投稿者: Mitsuhiro

イブ

 クリスマスイブです。キリスト教徒でもない人がこの行事に右往左往するのはおかしいなどという人はほとんどいません。八百万の神々を容認する我が国においてはさまざまな点で寛容です。

 クリスマスが冬至の祭祀と何らかの関連があったことは容易に想像できます。太陽のエネルギーの復活を祈る祭りは、神の誕生と結びつくのは明白です。続日本紀にも冬至の祭を行った記録があります。東アジアにもこの辺りの日を特別に考えていたことが伺えます。

 かつて冬は過酷な季節だったはずです。その中での切実な願いが発露される祭祀だったはずです。今日のように大量消費の日になったことを古人はどのように思うのでしょうか。

祝日

 昨年まで今日は天皇誕生日でした。明仁上皇との二重体制とならないように今年からは平日であるとのことです。

日本は祝祭日の数だけで考えると世界有数の多い国だそうです。働き過ぎの国民性には必然的な必要性があったのかもしれません。週休2日が浸透し、昨今の労働環境の変化からすると祝日よりも労働時間と給与改善の方がいまは肝要です。

 休みであった日が平日になると何か損をした気持ちになるのも確かです。春にあんなに休んだのに。

トランペットの音色に

 先日、トランペットのソロコンサートに行ってきました。勇ましい音色の楽器という先入観を見事に覆す演奏会でした。

 トランペットには煽情的な要素があるようです。恐らく吹奏楽の持っている根本的な力は人の気持ちをあおることにあるのではないかと感じました。それを力強く使えばファンファーレのようなものに、かつては軍楽でも使われていたといいます。ただそれをメロウに演奏すれば心の琴線に触れることができることが分かったのです。

 息を吹き込む時のわずかな音、空音というのか何というのかはわかりませんが、それがまた心を揺らします。人間が吹いているということを感じさせるからかもしれません。金管の魅力を再確認したのでした。

贈答禁止の余波

職場で贈答品授受の禁止が通達されました。関電の事件が影響したもので、企業側から自主的に送られたものについても断り、返品することが求められるようになりました。

 趣旨自体はよいことであり、遵守すべきだと感じています。贈答のためのコストを商品そのものに反映させた方がよいのに決まっているからです。

 ただ、少しだけ困ったことがあります。毎年楽しみにしていたきれいな写真のカレンダーやちょっと重いけれども十分に使える企業名入りの手帳などもまた禁止されてしまったことです。旅行会社のものはかなり使いやすいものでしたので残念です。

 カレンダーや手帳についてはいわゆるバレットジャーナルを始めたためにほとんど必要がなくなり、カレンダーは百均にいいものがあることを知りました。当面は問題なく過ごせそうです。ただなくなるとちょっとさびしくなる。これからこういう感情を持つことが増えそうです。

学び直し

 教員の役得の一つとして、近くにいろいろな教科の教員がいるということがあります。これを利用しない手はない。そこで学び直しといくことにしました。

 教材は生徒諸君が卒業時に残していった問題集や参考書がありますので、それを使えます。なぜかほとんど使った形跡すらないのはなぜかわかりません。でも報われなかった学びの本たちに活躍の場を与えてあげることにしたのです。

 継続できるように学びの記録はスタディプラスというサイトにつけることにしました。問題集単位の記録なので何をどこまでやったのか分かりやすいのがよいところです。いつまで続くのかお立会。

 生涯学生と考えていますがそれを形でも表わそうということです。最近読んだ脳科学の本によれば高年齢者の脳も学習次第で活性化するのだとか。真偽のほどはさておくとしてとりあえずやってみたいと考えています。

ハンコ文化

 印鑑証明が必要になりました。いろいろなことが電子化していくなかで、押印による書類文化は依然として生きています。

 印鑑を素早く正確に押すロボットが開発されたことがニュースになっていました。捺印という行動そのものを自動化したことに技術者の意図があったのですが、いろいろないみで境界的な発明であったといえます。

 承認文書のスタンプラリーは職場にも根強く残っています。確かに読んでその内容に責任を持つということを形で示している訳です。まったく電子化された文書もありますが、確かに埋没して見逃すことも多いので、ハンコ文化にはそれなりの意味があるようです。

 最近喧しい生産性という点においては印鑑を押すべき人が多すぎるのが難点と考えられています。承認ルートの見直しも大切です。

考え方次第

 まったく同じものを見ていても感じ取るものが違う人がいるということはよくある経験です。自分の感性がすべてだとは決していえないのです。

 たとえばあるものを手にするときに、右手で扱うか左手にするかでその後の成り行きは変わります。その人の利き腕が違えばまた異なる結果になる。身長の差だけでも世界は別の姿になるし、それをどう捉えるかも人それぞれです。同じものを見ていると言えるのかどうかもあやしくなる。

 だから、始めから同じものを見ているとは思わない方がいい。また自分が感受したものは他者には説明しなくてはならないときがあることを意識しておかなくてはならないのです。

 このことを分かっているつもりでいながら、いざというときにあっさりと忘れてしまう。それが私たちの宿命であり、欠点でもあります。悲観的になりすぎないための本能かもしれませんが。

電子イタコ

 死んだ人にもう一度会いたい。話がしたいという悲願を叶えてくれるのが東北地方で活動しているイタコと呼ばれる民間の祈祷師です。口寄せという呪術で死後の人の意志を伝えてくれるのです。

 これがAIの力を得て電子化されつつあります。生前の写真や動画を組み合わせると立体的な映像として生前の姿を現出できる。ホログラムの技術が進めばより見分けのつきにくい仮装現実が作られるようになるかもしれません。口調や口癖などをマスターさせ、発言内容を入力すればもう死者のよみがえりというべきものになる。

 ただし過去のデータからその人がやりそうなことやいいそうなことを予測することはできても、本当にその人が生きていたらやることなのかは誰も分からない。私たちの行動は不確実であり、変動的です。いかなるディープフェークも限界があります。

 ただ、心配なのはその嘘が見抜けなくなる人が増えてゆくことです。作り物と知っていても騙されてしまうのはもっとローテクの段階でも起きていますから。

前を向くこと

 何番以内、平均点以上、そんなことより別の目標を考えようよ。それが今の私の口癖です。

 生徒諸君の関心事は順位や偏差値ばかりです。これは他人との比較です。他人と比べるだけでは自分の努力はなかなか報われないように見えます。周りの人たちも頑張っているときには相対的な位置は簡単には向上しないし、場合によっては下がってしまうこともある。努力は報われないように見えます。

 果たしてそうなのでしょうか。明らかに前回より頑張ったはずなのに成績が出ない。やっても無駄なんだと短絡する前に他人との比較ということの意味のなさに気づくべきなのです。比較する必要があるとしたら、それは過去の自分と現状との比較であり、努力の量が増えているならばそれは立派な向上と言えるのです。

 結果はすぐには出ないこともある。出るのが相当後になることもある。ただいつかは何らかの成果が出る。その出方が人によって違うのです。遺伝的には私たちは実に不平等な環境にあると聞きます。違う車に乗っているのに速さだけ競っても意味はない。むしろどれだけ前に進もうとしたかを自己評価するべきなのです。

 そのためにはやはり横を見るのではなく、前を見ることが大事なのでしょう。目指したい目標は何か。どのような人生を送りたいのかをそのつど考えていく必要があります。進んでいくうちに目標が少しずつ変わっていくのは仕方がない。そのつど何かに狙いを定めて取り組んでいくことに意味があるのです。

クリスマスツリー

グランベリーパークのクリスマスツリー
グランベリーパークのクリスマスツリー

 数日前に取った写真です。ツリーの上には満月が見えています。ガラケーのカメラではこの程度しか撮れませんでした。