投稿者: Mitsuhiro

仕事始め

 私の職場は今日が仕事始めです。今年は仕事の仕方を本格的に変えていかなくてはならなくなる事態に至ります。

 効率もしくは生産性を下げることなく時間を削ることが焦眉の急である現実の中で必ず取らなくてはならないのが同僚とのコミュニケーションです。自分だけうまくやっても集団としての力が生まれなくては生産性は上がりません。連絡の時間を確保しながら、互いの時間を阻害しないことを第一の計画目標としなくてはなりません。

 私のような職の場合、相手に合わせて業務内容を変えることも重要です。すると自分のやりたいことだけをしていても無意味です。場合によっては計画変更が大きく起こることもあります。それでも対応できるように余裕と、常時計画の見直しとをしていく必要があるのです。

 これらを行なうための道具として、ノートとスマートフォン、さらにこのブログを使っていきます。ノートは思考の整理のために、スマートフォンは計画を持ち歩いて参照するため、そしてブログは反省と決意を示す手段として。もちろんそれだけではないのですが。少ない時間を活用するためにできることから始めていきます。

目標設定

 今年やるべきことの一つが目標設定からは始めるということです。いままでは降りかかってきた状況に対処することばかりをしていました。今年こそは目標を決めてから実行するという習慣をつけていこうと考えています。

 もちろんすべてを目標志向型にするつもりはありません。やっているうちに形を成してくることもたくさんあります。とくに創造的なことに関しては目標はない方がうまくいきます。ただ、私の仕事の大半は目標を実現していくことの方にある単純な仕事なのです。この方面には目標達成を意識できる方がいい。そのためにも業務の単純化をすすめたいと考えています。

 まずは授業をするためのノートづくりを変えていきます。これまでは教える内容を中心にしていましたが、これからは教える手段、方法を中心にメモしていきます。それが実際の授業では役に立つのですから。授業の目的は教えることではなく生徒に考えさせることだという目標を設定するとノートづくりも変わってくるのです。

 次に会議資料作成の方法も目的を明示したものにしていこうと思います。何をやるかを決める前に何を目標にするのかを提示すれば方向性も早く決まります。方向性が決まらずに迷走するよりも時間の効率が上がります。

 他にもいろいろとやるべきことがありますが、まずは身近なところから始めてみたいと思います。

ローカルバスこそ位置情報を

 先日、茨城県の路線バスに乗る機会がありました。駅前からの乗客は私を含めて2名だけでした。私の降車する一つ手前の停留所で一人乗りこみましたが、私とともに駅から同乗した一人も降りましたので、客は一人だけになってしまいました。こんな光景はどこにでもあるのでしょう。でもいかにももったいない。いわゆるロケーションシステムを普及させればもっと利用者は増えるのではないでしょうか。

 地域社会にとってバスは欠かせない交通手段なのですが、いかんせん本数が少なくいつ来るのかもわからない不安感があります。私の乗ったバスも一時間に1本の割合で朝と夕方を走るだけであとはなし。乗りたいときに乗れないのです。公共交通機関がおぼつかない地域では自家用車の利用者が多いのですが、その理由の一つがバスは当てにならないということにあります。ただ、今後急速に進む高齢化社会の中で自家用車を使えない世帯も増えてくることは確かです。やはり公共交通機関は地方社会の不可欠な生活の軸であることには変わりありません。

 バスをもっと利用しやすくするためにも今バスがどこを走っているのかが分かりやすく示される必要があります。すでにいくつかのバス会社がバスロケーションシステムを導入していますが、利用者の多い都市部での提供が大半であり、地方路線ではほとんど活用されていません。私はむしろ他に交通機関がない地域こそこのシステムを導入し、積極的に利用者を増やしていくべきだと考えます。こうした地域には高齢者が多く住んでいますが、彼らにも使いやすいシステムを考えるべきです。スマートフォンで情報提供すればいいというのは高齢者を考慮に入れていません。もっと分かりやすいインターフェースを考える必要があります。

 自宅のテレビにバスの位置を映し出すシステムは容易に実現できそうです。地域のCATVなどでは実現可能でしょう。そのほかにも何か方法があるかもしれません。また町の掲示板にバスの位置を簡易に示す情報を作ることも検討する価値があります。こういうのはいくらでも方法があるはずです。コスト面の問題もありますが、広告収入などの活用で運用する方法も考えるべきです。

 そしてやがてはバス利用の予約をすれば路線の中で発車時間を融通してくれるシステムも可能かもしれません。その際にAIが活用されるかもしれませんし方法は何でもいい。地域の動脈を生きたものにすれば首都圏などへの一極集中を避けることができるし地方経済の発展にもつながります。その一歩としてほとんど来ないしどこにいるの変わらないバスを、使える交通機関に変えていくことを提案します。

長く続けるために

 かつては55歳が定年だった時代があります。それが60になり65になり、やがては70歳もしくは定年制度そのものがなくなるかもしれないとのこと。私たちはまだ走り続けなくてはなりません。

 定年延長とはつまり扶養家族にならないということです。社会保障の対象にならずに自立しなくてはなりません。それなりの収入が必要になります。高齢者が企業にどの程度貢献できるのか。あるいは若い世代への影響を考えるとキャリアの後半は低賃金になることも覚悟しなければならない。そういう考え方に早く適応しなくては立ち行かなくなりそうです。

 こうした事態においては自分のポジションを確保しておくこと、時代の流れに敏感であることなどいくつものクリアしなくてはならない条件があります。その中でも最も重要なのは健康でいることなのでしょう。長く走り続ける選手であるためには乗り越えなくてはならないハードルがたくさんあります。今回は義務表現を何回使ったことか。こうした状況を好機と考えることにしたいと思います。

初詣の意味

 日本人は無宗教だという錯覚を見事に打ち消す習慣が初詣です。ただ、多神教の民族は一つの神だけに祈りをささげることはなく、すべての神が信仰の対象になります。私もすでに二柱の神に祈りをささげています。

 さて、初詣をすることには副次的な意味があります。それは地域の連帯を確認することです。遠方の名刹を訪れることもありますが、初詣の基本は産土の神への参拝です。そこには地域の住民が集まります。村社会でない限り、同じ地域に住んでいてもほとんどつながりがないのが現状ですが、同じ神社や寺に参拝するということで何らかのつながりを感じることができます。これは教会に通う一部の宗教ほどではないにしても、またかつての檀家のような集団にははるかに及ばないものの一定の意味があります。

 同じ地域に住む者同士が共同体の中で生活しているということを初詣を通して感じることができることは昨今の人間関係の希薄化のなかでは有意義です。同様の働きをするものとして他には地域の祭りもありますが、実施できるところとそうでないところがあるのが実態です。参拝は無意味と考えるのは合理的のようで実は大切な効用を見失っているのかもしれません。

初詣には意味がある

初売り

 昨年11月にオープンしたグランベリーパークは今日が初売りです。福袋が並ぶ中で私はスーパーの寿司を買って帰りました。

グランベリーパーク初売り

二十四時間働けますか(反語)

 一部のコンビニエンスストアが元日の営業をやめたとのことです。英断といえましょう。これからは過剰なサービスはやめて質にこだわるべきです。

 24時間営業の便利さは私も実感しています。特に孤独を感じた独身時代に深夜のコンビニでの缶コーヒーは本当に心を温めました。しかし、いま人材確保も難しく、肝心の店員の質も低下している今日において24時間営業の意味はあまりありません。むしろ私たちはサービスの途切れる時間があることを踏まえた生活をしていくべきです。

 働き方の改革だといいますが、改革すべきは生活の仕方の方です。私たちは人任せでなにもかも金をだせば何とかなると思い過ぎてしまった。やはり自分の人生は自分で責任をとるということをもう一度考え直さなくてははならない。いつでも開いている店があるのは幸せですが、その幸せを前提にしてはならないのです。コンビニは店の事情で夜は占めても構わないし、その方が永く営業してくれるのならばそれに越したことはない。

 元日の今日、あわてて何も食べられなくてもそれでもいいではないですか。季節感を失った人に一日の断食は当然です。むしろそういうことを通して文化を知るきっかけになるのならいいことではないでしょうか。

あけましておめでとうございます

 2020年が始まりました。今年は東京オリンピック・パラリンピックが行われる年です。この行事の関係で私の仕事も大幅にスケジュールが変わります。日本にとってはメダルをとること以上にこの大会を成功させることと、大会後の景気対策を成功させることが肝要の一年になります。

 私自身も20年代の始まりということを意識して今までにやってこなかったことを始めてみようと考えています。資格や検定にも挑戦しますが、もっと関心があるのは趣味的なことです。中年という年齢の後半に入った私としては一生続けるというよりは今熱中できることを一生懸命やるという一年にしたいのです。

 私の生き方は人様に自慢できることは少しもありません。少々夢見がちな点を除けば普通のおじさんの域を出るものではありません。でも、年甲斐もなくいろいろやろうとしているという点だけは周囲より抜きんでてみたいと考えています。

共生と独自性

 今年行われたラグビーワールドカップが残したものは大きいと感じています。日本チームの健闘はもちろんですが、そのチームが多国籍の選手で作られ、しかもその戦略は日本語で行われていたことが非常に示唆を与えてくれました。スポーツのあり方を越えた今後の社会の方向を予感させてくれるものでした。

 イングランド大会で日本代表チームが南アフリカに勝利したときには、日本代表選手にカタカナ名の人物が多数いたことに対して一種の拒否感があったことは否めません。それがラグビーという競技の特殊性という枠の中で納得されようとしていたことも事実です。今回の日本大会でラグビー流の考え方は一気に広まりました。そしてこの競技はいわゆるにわかファンを受け入れる懐の深さがありました。

 この大会でかなり多数の日本人は各国の国歌を覚え、試合前の国歌斉唱で歌いました。地域の取り組みとして国歌を披露したこともあったようです。国別対抗という形をとる試合ではどうしてもホームアンドアウエー的な殺伐した感がでてしまうのですが、日本の取り組みはそれを緩和するものでした。日本流のおもてなしだと考えられた行いですが、実はこれは日本人にとって国のあり方を考えさせるきっかけにもなっていたと考えます。

 チームに外国人がいることに対しての寛容性も一気に進みました。外国籍の選手が多数いても日本代表として疑われなくなりました。当時は韓国籍だった選手がもっとも負担の重い最前線でチームを支えてくれていたことに対して大きな賛辞が送られていました。日本国籍を取得した人、国籍上は日本人でも他国の文化を持っている人などさまざまな背景の人たちがチームを組んでいるのを知り、それを素直に応援することができました。いわゆる純血に拘っている限り決して見ることができなかった風景を見ることができたのです。のちに生まれたOne Teamという言葉は非常に象徴的なものでした。

 スクラムを組む時の日本独自の作戦は日本語を通して練られたといいます。「間合い」といった伝統的な日本語をチームで共有し微妙な力のベクトルを修得していったそうです。日本語でビクトリーロードという替え歌をみんなで歌うことでチームの士気を高めたとも言います。ということは多文化共生は単なる雑居ではなく、揺るがない独自性というものがあって力を発揮するということになります。日本文化が移民によって汚され薄められてしまうという危惧は確かにありますが、それよりもこの国の文化のよさをはっきりと認識し、新入りに伝えていくことの方が現実的なことなのです。

 スポーツを離れた社会全般にもこのことは言えます。これからの日本はいろいろなことを受け入れていかなくてはならない。そうしないと国としての形を保てなくなります。ただ、どのようになっても今まで築き上げてきた伝統を強みとして磨き上げ、新しい時代に適した形で伝えていく必要があるのです。そのためにはもっと自分たちについて知らなくてはならないし、理解したことを言葉にしていかなくてはならない。グローバル化と言いつつ、自国文化を顧みなかったこれまでのあり方を反省し、日本文化を武器にすることを考えていくべきであると改めて考えています。

年賀状

 年賀状を年内に出す習慣がなくなりました。昔はそれなりに書いていたのですが、今は年が明けてから投函する始末です。

 新年のあいさつは本来自ら赴いて行うべきものであったはずです。それが郵便の発達によって書面で行うようになり、さらにはがきという便利なツールができたために挨拶は一枚の紙になりました。いまはそれが電子媒体となり、もはや物でさえなくなっている。液晶の点滅の仕方で挨拶を済ませるようになっているといえます。

 私はその点滅すらもさせない。でも年賀状を出すことの意味はあると思っています。とても少ないのですが賀状は出します。私の書く年賀状は結構文字が多いので、普通の手紙と変わりありません。だから書ける枚数も少ないのです。

 年賀状は私にとっては自分の抱負や計画を公開するための手段になっています。人に行ってしまうとやらなくてはならなくなるという作戦です。結果として毎年、多少嘘つきになっていることも事実なのですが。