投稿者: Mitsuhiro

後生畏るべし

 私の最近の座右の銘は「後生畏るべし」なのかもしれません。あいまいな表現になっているのは結果的にそう考えているというものであるからです。次世代リーダーの輩出こそが責務と考えているのです。

 生徒諸君は多くが未完成で成長段階にあります。しかしそれは発達段階上の現象であり、自分より劣っているということではありません。昔より今の子どもは様々な点で恵まれている。だから苦労を知らない。苦労していないから自分より劣っているなどいう思考回路は私たちの陥穽にあたります。どうして自分より劣った世代が次の世界を担えるでしょうか。少なくとも自分たちよりは困難な状況が予測される将来を担う人材はもっと優秀であらねばならないし、現にそういう人材が生まれつつあるのです。

 だから生徒に接するととき、今は教員と生徒という立場にありますが、時間が経てばそれが逆転するかもしれない。いや、なるべく早く逆転できるように接していかなくてはならないと考えます。自分を超えた存在をいかにしたら生み出せるのか。教育の根本理念をもっと考えていかなくてはならないと考えています。

 そのために最低限必要なのは生徒に敬意をもって接することではないでしょうか。自分より劣った自分以下の存在を教化するのではなく、自分を超える存在が成長するのを手助けするという考え方こそ今の教育界に必要な考え方なのです。

善意の連鎖

 私の通勤で使う道には自主的にゴミ拾いをする方がいます。最近2人目の方に出会いました。

 道端に落ちているゴミをトングを使って拾い集めているご高齢の女性がいました。持参のビニール袋には結構な量のゴミが集められていました。さり気なく作業をするその方の様子にはちょっとした感動を覚えました。

数日前から別の男性がゴミ拾いをなさっている姿をお見かけするようになりました。もし善意の行動が広まったとしたのなら、すばらしいことです。ボランティア活動は現代の日本に必要です。これが善意の連鎖ならばこの世の中も捨てたもんじゃない。

 他人のことを誉めるだけではなく、自分には何ができるのかを考えることが大事です。いかにして社会に貢献できるのか。身近なところから考える必要がありそうです。

変わらないことへの感動

 一つの仕事を実直に続けている人をみるとさまざまな感慨に包まれます。どうしてかくまで情熱は絶えることがないのか。何が彼を動かすのかと。

 一つのことを継続することは年々難しくなっています。社会の変動が激しく、その影響に飲まれてしまうからです。とどまりたくてもとどまれない、大きな流れの中に私たちは置かれているのです。だから変化しないのは停滞ではなく、かなり能動的な行為であることになります。

 変化していないかのように振る舞い、変わらないための懸命の努力を怠らないことこそ、人を感動させる何かを醸し出す源泉なのかもしれません。

付き合って考える時間を

 英語の4技能をいかに育成するかという議論が、大学共通テストの運営の問題でおかしな方向にそれつつあります。そしてそれ以前に母国語の4技能も怪しいのではないかという危惧も生まれています。

 PISAの試験結果によれば日本人の読解力の低下が懸念されるという結果が出たとのことです。国際比較試験はその測定方法に問題点も感じるので、その結果そのものが事実を反映しているのか否かについては慎重であるべきです。ただ、実感としても若年層のみならず、大人世代以降についても読解力の低下がもたらす弊害が随所で出てきている気がしてなりません。大きな原因は文章をしっかりと読む習慣が減りつつあることに相違ありません。

 日本の産業界の悪習として無駄な説明書を作りすぎるということがありました。その反省からいまは直観的に操作できる機械とか、説明なしに始めてしまう社会システムが優先されています。それはそれで素晴らしいことなのですが、個々人が説明を理解することなくなんとなく始めてしまうということが増えています。またその方法について話し合うとか教え合うということもあまりなされず、個々人の試行錯誤に任せるという風潮にあります。こうした中では文章を読んで理解したり、互いにコミュニケーションをして答えにたどり着くということが行われなくなります。自然と読解力、理解力の育成される場がなくなっていく状況にあります。そして、この方法を大人たちは子どもにもそのまま当てはめてしまっています。

 子どもたちの読解力低下をスマートフォンなどの情報機器のせいにするのは簡単ですが、それ以前に子どもにものを考えさせる機会を奪っている大人たちの責任も考えるべきではないでしょうか。情報さえ与えれば子どもはそれを勝手に理解できると勝手に考えている。そして、子どもの疑問に付き合い、ともに考え、答えのヒントを出していく過程を今の大人たちはほとんど放棄している。それが読解力とか話の内容を理解する力を身につける機会を奪っているのです。

 将来のこの国のあり方を真剣に考えるのならば、大人は子どもの置かれている学習環境にもっと関心を持つべきです。そして特にコミュニケーションの分野においては学校任せにせず、もちろんそれ以前に機械任せにせず、家族とか社会全体で将来の世界を担う人物を育てるという視点を持たなければならないでしょう。子どもたちに考えさせる時間・場所をそれぞれの立場で考えなくてはなりません。

廃棄を防ぐ

 大量消費、大量廃棄が当たり前だった時代は終わろうとしています。環境の維持は至急の命題ですが、経営的にもいかに無駄なコストを下げるかが重要になっています。そのために各業界でいろいろな試みがなされています。

 教育業界では紙面の無駄遣いを考えなくてはならないと思います。何でもデジタル化すればよいというものではありませんが、必要ではないものは印刷しなくてもよいと考えます。小テストなどはいわゆる裏紙利用も積極的にしていこうと考えています。また、ちょっとしたメモなども再利用の紙でできます。再利用するためにはサイズを揃えて、しかもすぐに取り出せるようにしておくことが必要です。

 生徒が落とした筆記用具などの文房具などもなるべく取りに来させるようにさせなくてはなりません。身近なものを大切に使わせることは大切な教育です。どうしても引き取り手のないものは、必要な人に使わせることや寄付できるものがあれば積極的に行うことも重要です。

 コンビニ業界では恵方巻などを注文販売にしたり、賞味期限の近いものを値引きすることなどの工夫がなされると聞きますが、学校でそうした試みをすることは教育的な効果もあるはずです。色々と工夫をしていきたいと考えています。

イブ

 クリスマスイブです。キリスト教徒でもない人がこの行事に右往左往するのはおかしいなどという人はほとんどいません。八百万の神々を容認する我が国においてはさまざまな点で寛容です。

 クリスマスが冬至の祭祀と何らかの関連があったことは容易に想像できます。太陽のエネルギーの復活を祈る祭りは、神の誕生と結びつくのは明白です。続日本紀にも冬至の祭を行った記録があります。東アジアにもこの辺りの日を特別に考えていたことが伺えます。

 かつて冬は過酷な季節だったはずです。その中での切実な願いが発露される祭祀だったはずです。今日のように大量消費の日になったことを古人はどのように思うのでしょうか。

祝日

 昨年まで今日は天皇誕生日でした。明仁上皇との二重体制とならないように今年からは平日であるとのことです。

日本は祝祭日の数だけで考えると世界有数の多い国だそうです。働き過ぎの国民性には必然的な必要性があったのかもしれません。週休2日が浸透し、昨今の労働環境の変化からすると祝日よりも労働時間と給与改善の方がいまは肝要です。

 休みであった日が平日になると何か損をした気持ちになるのも確かです。春にあんなに休んだのに。

トランペットの音色に

 先日、トランペットのソロコンサートに行ってきました。勇ましい音色の楽器という先入観を見事に覆す演奏会でした。

 トランペットには煽情的な要素があるようです。恐らく吹奏楽の持っている根本的な力は人の気持ちをあおることにあるのではないかと感じました。それを力強く使えばファンファーレのようなものに、かつては軍楽でも使われていたといいます。ただそれをメロウに演奏すれば心の琴線に触れることができることが分かったのです。

 息を吹き込む時のわずかな音、空音というのか何というのかはわかりませんが、それがまた心を揺らします。人間が吹いているということを感じさせるからかもしれません。金管の魅力を再確認したのでした。

贈答禁止の余波

職場で贈答品授受の禁止が通達されました。関電の事件が影響したもので、企業側から自主的に送られたものについても断り、返品することが求められるようになりました。

 趣旨自体はよいことであり、遵守すべきだと感じています。贈答のためのコストを商品そのものに反映させた方がよいのに決まっているからです。

 ただ、少しだけ困ったことがあります。毎年楽しみにしていたきれいな写真のカレンダーやちょっと重いけれども十分に使える企業名入りの手帳などもまた禁止されてしまったことです。旅行会社のものはかなり使いやすいものでしたので残念です。

 カレンダーや手帳についてはいわゆるバレットジャーナルを始めたためにほとんど必要がなくなり、カレンダーは百均にいいものがあることを知りました。当面は問題なく過ごせそうです。ただなくなるとちょっとさびしくなる。これからこういう感情を持つことが増えそうです。

学び直し

 教員の役得の一つとして、近くにいろいろな教科の教員がいるということがあります。これを利用しない手はない。そこで学び直しといくことにしました。

 教材は生徒諸君が卒業時に残していった問題集や参考書がありますので、それを使えます。なぜかほとんど使った形跡すらないのはなぜかわかりません。でも報われなかった学びの本たちに活躍の場を与えてあげることにしたのです。

 継続できるように学びの記録はスタディプラスというサイトにつけることにしました。問題集単位の記録なので何をどこまでやったのか分かりやすいのがよいところです。いつまで続くのかお立会。

 生涯学生と考えていますがそれを形でも表わそうということです。最近読んだ脳科学の本によれば高年齢者の脳も学習次第で活性化するのだとか。真偽のほどはさておくとしてとりあえずやってみたいと考えています。