投稿者: Mitsuhiro

粘り強さ

 自分にかけているものを数えあげていると憂鬱になるほど時間が掛かりそうですが、その中の最たるものの一つが粘り強さであろうと自覚しています。これは多くの事柄に通底する大切な能力でしょう。

 すぐには解決しないことを考え抜きやり抜くことは容易ではありません。しかし、それができることこそ成功の鍵なのだと考えます。便利な検索機能を使えば何でも分かったつもりになれる環境がかえって考えぬく習慣を奪っているのかもしれません。私たちはインスタントな知見で満足せず、その上を目指さなくてはならない。そのためには未知の領域に踏み込んで迷っても、簡単には諦めない強さがいるのです。

 粘り強さを生み出す精神力は机上では生まれないのかもしれません。いろいろな経験を積むことが大事なのでしょう。

もとの風景

 東京の最盛期はすでに過ぎているのかもしれませんが、都市としての新陳代謝は継続しています。方丈記の言を引くまでもなく大家は小家となり、再びそこにビルが建ち、道路になります。

 私が移り住んだ街もすでに過去の風景が思い出せなくなるほど変貌しています。ここにはかつてあれがあったと覚えているうちはまだしも、そのうち過去のことなど全く浮かばなくなるのでしょう。思えば私が当地に来たころはすでに大きな変化は始まっていたようであり、さらに過去に遡ればまったく違う風景が広がっていたはずです。

 私たちは現在にしか生きられないので、現実を受け入れるしかありません。ただ、わずかに残った過去の風景から学ぶことは大きい。その姿に思いを馳せることで、未来のいつかに誰かが至る感慨を予想することはできそうな気がします。

問題は花粉症

 新型コロナウイルスの流行によって慢性的なマスクの供給不足が続いています。メディアの報道によればマスクはウイルス予防にはあまり効果がなく、感染した場合の飛沫感染予防のほうに効果があるとのこと。ただ気分的にはやはりマスクは欲しいと願うのが人情というものでしょう。

 困ったのは効果がある花粉症予防の方です。スギなどの花粉がここ数日かなり飛散しているとの情報があります。花粉の大きさはマスクで防御ができる大きさであり効果があるといわれています。このためのマスクがいま不足しているのです。私は幸い買いだめていたものがまだあるのですがそれが尽きるもの時間の問題です。

 最近は洗えば100回は使えるマスクというものも売られています。こうしたものも注目を浴びるようになるのでしょう。問題は花粉の方です。

どのように考えさせるか

 一問一答式の問題への対応ではなく、予め答えが用意されていない課題に対応する能力が求められています。中等教育では従来の基礎教育が引き続き必要であるのとともに、知識を応用し自主的に考える方法を教えることも求められることになります。

 大学共通テストの記述問題は、採点を公平に行うという問題を乗り越えることができず頓挫してしまいました。解答の方向性を決めるためにさまざまな制約をつけて出題すれば、形を変えた選択問題と等しくなり、記述型でみたい思考力は十分に測定できません。いろいろ補助線を引けば解決すると考えられた採点作業も結局、公平性を保つほどの精度が期待できないということになってしまいました。大学受験者が一斉に受ける試験にこういうタイプの問題はもともとあっていなかったというのが私の意見です。やるならば各大学の個別試験でやればいい。求める文章力や論理の立て方が学部ごとに違ってもいいし、各大学ごとに個別の基準があってもいい。それが記述型試験の本来のあるべき姿であると考えるのです。

 さて、それは大学の入り口の件ですが、その影響を受ける中等教育では自分の考えをまとめ表現することに対してどのような教育を行うべきなのでしょうか。まずは問題意識を喚起させることから始めなくてはなりません。今の生徒、すくなくとも私の関わっている生徒は、教員から与えられた課題に対して答える努力をする才能はかなり高度なものがあります。その反面、自分なりの疑問点をもつことや、それを表現することはかなり苦手であり、結果として常に受動的な学習をしていることになります。

 生徒に自由な課題を選択させて論文のようなものを書かせようとすると、ネットで検索すればすぐに解決してしまうような問題をあげる者が大半です。また、どうしても解決しようもない大問題をあげる生徒もまれにはいますが、むしろそれは歓迎すべきです。答えが出そうもないことは考えないという判断停止の習慣は大人も含めて日常化しています。それを変えていかなくてはならない。

 学校は知識の伝達の場という印象があまりにも強いために、知の創生ということがおろそかになりすぎた。中高生は発展途上でインプットが中心だという考えも強すぎた。いまやらなくてはならないのは知識を伝達しながらも、いかに出力をする方法を教えていくか。そして大学教育にそれをどのようにつなげていくのかを考えていなくてはなりません。

 まずは自分が興味を持ったことを記録させることをやっていこうと考えています。いきなり自分が取り組むテーマを見つけようといっても無理があります。自分がどのようなことに関心をもち、何に疑問をもっているのかを形にしていくことが大事ではないか。少しずつ形にしていくことが大事なのではないかと考えています。

黄砂

 

 今朝はどことなく空が霞んで見えます。天気予報によると大陸から黄砂が飛来しているとのこと。季節の風物詩といえばそれまでなのですがアレルギー持ちとしては厄介な現象です。

 今回のウイルス騒動でもそうですが世界は繋がっていると感じさせます。長屋王の「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」の感慨に至るきっかけはいくらでもある訳です。

耕し

 都会に住んでいると忘れてしまう風景があります。この時期に田畑を耕す耕運機の往復があったことを思い出しました。

 耕しは耕作地に空気を混ぜ込む大切な作業です。土の香りが立ち上がり、どこからか現れた鳥たちが虫を狙って歩き回ります。その上を通る風はなぜか趣きが違って感じられ、季節の歩みを体感するのです。

 私たちは土から離れた生活に慣れてしまいました。しかし完全には生活から切り離すことはできない。田畑を見たときに突如現れる感情はその証です。

脅威の価値

 北米大陸を中心にインフルエンザが大流行し多くの死者が発生しているようです。中国発の新型肺炎よりも致死率は高いようですが報道は控えめです。

 アメリカで流行しているインフルエンザはウイルスとしては新しいものではないようで、対策のワクチンも存在するようです。ただ皆保険制度が存在しないアメリカではインフルエンザにかかっても医療機関には行かない人が多いために流行が把握しにくく、対策が後手に回るようなのです。

 アメリカのインフルエンザは非常に脅威ではありますが、さほど報道されず、コロナウイルスばかりが注目されています。これはニュースの価値が実情以上に偏向しているといえます。事実をどのように伝えるのかはジャーナリストの責任でもあります。またそれを読み取る側の能力も試されています。

創造心

 何かを新しく作るということには様々な魅力があります。それは希望でもあり夢でもあります。

 まったく新しいものなどは作りようもありませんが、せめて自分なりのアレンジをして結果的に少しずつ変化させ結果的に新しいものにたどりつくということを考えています。そのためにはいつも現実に向き合って妥協をしないという態度がいるでしょう。

 何になるのか分からないけれど気になることは気にとめ、場合によっては記憶しておくという習慣が必要です。その意味でノートや手帳、このブログのようなデジタルデバイスを活用すべきでしょう。

 次のためにいろいろな下積みをしておくことは新しいものをつくるためには大切なのです。

誰もいない学校

 新型肺炎の感染に関する脅威は日々高まりつつあります。多くは過剰反応であると思うのですがあまりに世情が動くと虚も実になっていきます。

 感染が広まって様々な日常生活に支障が出たと仮定してみます。いわば思考実験です。外出が制限され、多くの企業が社員の出勤を制限し始めると、学校も閉じざるを得なくなります。これまでなら単なる休みになってしまうのですが、いまはネットで授業はできます。動画も交えた授業を行う学校もきっと現れるでしょう。

 感染が収まった後に授業はネットでもできるという実績が様々な変化をもたらします。これまで紙面で行ってきた資料配布やテストをネットで行う授業が残ることになるかもしれません。検索すれば答えが出るような問題やクラスメートの答案のコピーでは評価れない問題が出されるようになります。

 一方で授業ごとにある教員の雑談はなくなり、効率的で無駄のない授業になるはずです。誰がやっても変わらない授業が展開されます。残念ながら味わいは同時になくなります。

 などと考えているうちに時間になりました。

退勤後の学習

 休み方も改革しなくてはなりません。労働時間の短縮がトップダウンで行われている現況において、非労働時間が単に空白になってしまえば、自分としてはマイナスになります。

 就業規則で会社から放り出されても、給料が増えない限りは何もできない。その時間でやるべきなのは自己のグレードアップでしょう。地域の図書館が開いていてさらに座席も確保できるなら、そこで教養や資格につながる学習を1時間して帰るのも手です。そういった場所がなければコーヒーショップでもいい。

 本当はカルチャーセンターなどに通えればもっといい。趣味的なものでもいいので柔軟な頭を維持することが肝心なのです。少しやるべきことを怠けている己への反省文です。