雨の土曜日です。土曜が出勤日に戻ってから随分経ちますが、やはりなんとも特別な一日です。
半日勤務ではなく、普通の勤務なのになぜか午後は特別な気がする。そんな一日です。
日々の思いを言葉にして
投稿者: Mitsuhiro
雨の土曜日です。土曜が出勤日に戻ってから随分経ちますが、やはりなんとも特別な一日です。
半日勤務ではなく、普通の勤務なのになぜか午後は特別な気がする。そんな一日です。
昨日、東京都の新型コロナウイルス感染者数が3桁に達したことが発表されました。第2の波がきたのではないかという人もいます。そうなのでしょうか。
日本は感染者の積極的な割り出しに関して消極的です。軽症者が多いこの病気に対しては今のところはこれが結果的に奏功しています。なにしろ感染者と分かってもほとんど打つ手がないのですから。
自粛要請が終わったあと。気をつけているとはいえ、密なる状態は随所に見られます。人間の活動自体が群集の中で営まわれる以上、避けることはできない事実です。
本当の波はこれからくるのかもしれません。変異したウイルスが社会活動を止めることがないように祈るばかりです。しかし、それもいずれ克服できると私は楽観視しています。
今朝は夏の陽射しが照りつけています。この陽気は一時的なもので、梅雨末期の危険な日々が始まります。
梅雨の大雨による水害の大半は7月になってから起きていると記憶しています。河川の決壊など深刻な被害が多く、毎年犠牲者が出ています。累積すれば地震被害にはるかに甚大な深刻な問題です。
今年はウイルス感染の脅威もあり、避難所に行っても安心できない状況にあります。なんとか水害が起きないようにと願うばかりです。
1年の後半が始まりました。ここ数年の世界情勢はまさに歴史的な異常事態です。コロナウイルス感染者は日本では低く抑えられている感じがあります。マスクとソーシャルディスタンスの効用がどれほど有効なのか分からない現状では、偶然そうなっているとしか言えません。
オリンピック開催のために昨年からこの月がいつもと違うようになることは既成事実でしたが、さらなる大変更が起きるとは考えてもみませんでした。この年の後半も波乱続きが予想されます。
様々なことが満足にできない現状を転機の材料とすることは至急の課題です。雨降って地固まる。ころんでもただでは起きない。臥薪嘗胆。今にふさわしいいろいろな金言を探しています。
日本の古い習慣に「夏越の祓え」があります。これで、なごしのはらえ、と読みます。19世紀以前の日本では月の満ち欠けを基準とした太陰暦が使われていたため現在とは実際に指す日時が大きく異なるのですが、6月末日は意味のある一日でした。
夏越の祓えは旧暦では夏の最後の日とされていました。またそれまでに犯してしまった罪や穢れを消し去る儀礼が行われたといいます。それは身体についたほこりでも落とすかのような気楽な罪悪感です。もちろん、どれほど真実として受け入れていたのかはわかりません。呪いの一つのようなものだったのでしょう。
一年の折り返しに身を清めてリセットをしようという考え方の方に注目します。半年という意識がどれほどあったのかも興味深い。また、清めた身体が様々な能力なり活力なりを復活できると考えていたのかも知りたいことろです。
旧暦の6月末日は今年の場合は新暦8月中旬であり、古人の祝った日とはほど遠いのですが、半期に一度の心の大掃除の日ということにして今日を送りたいと考えています。
日本の教員の仕事が多忙かつ多岐にわたっていることは、その業務に就く一人として実感しています。できることはすべてやらせられるという感すらある。ただ、働き方改革の流れにコロナウイルス感染予防のための自粛の社会情勢が作用して、教員の働き方を見直すきっかけが与えられているように感じます。
教員が授業に専念できるためには、事務的な要素の効率化と、部活動顧問などの外注が欠かせません。そのためには責任を持って児童や生徒を預かる機関なり企業なりが必要です。保護者の負担が大きくなり過ぎないように、行政の補助が必要になります。そういうことが確保できれば教員は子どもたちの教科や生活の指導に注力できるようになります。
部活動顧問の外注化は卒業生や地域の住民の力を借りるべきです。校舎を活動場所として指導者には資格審査をして責任を持って行動していただきます。この方が結果的に活動は活性化するのではないでしょうか。
教員が定時で帰宅できるようになれば日本の教育は復活できるのではないでしょうか。消耗ばかりで発展できる機会が限られている教員の現状は早急に改善すべきことです。
昨日、日本のプロサッカーリーグの2部3部のJ2、J3が再開しました。無観客試合という変則的な方法ですがとにかく始められたことは大きな前進といえます。
スポーツ興行の再開は経済効果的は小さくても、社会に与える影響力は大きなものがあります。彼らが試合ができることが、精神的な勇気をあたえるほか、集客を前提とした産業全体に希望を与えると思うのです。客を集めなくては始められない商売のウィズコロナ時代でのあり方を具体的に考える契機を与えてくれるはずです。
野球やサッカーなどの屋外でできるイベントの次はホールなどの密閉空間でのあり方を考えなくてはなりません。リモートではなくリアルな興行をどうやって成立させるのか、知恵が必要になります。
実効性が重視されすぎるといろいろな矛盾が出てきます。しかし何でもやればいいというのも無理な話です。
最近よく使われている言葉の一つに生産性があります。なんでも日本人の生産性は低いらしく、やっている割には金になっていないというのです。骨折り損のくたびれ儲けが現状という訳です。働き方改革などはこの文脈から出てきます。これは改善しなくてはなりません。
ただし、これはあくまで労働時間と収益との関係の話であり、仕事の内容、質は別の次元に追いやられています。時間をかけてもやらなくてはならないものを考えるべきなのです。
教育の分野では特にこのことが言えるのではないでしょうか。なんでも生産性に置き換え短期的な効果ばかりを考えるのは問題がありそうです。
通勤に使う靴を買いました。私は安い靴を履きつぶしては乗り換えています。ところがどうもこれはあまりよくない方法のようです。
靴は歩行によって大きなダメージを受け、さらには水分などの付着で変質しやすい環境に晒されるために、一定期間回復の時間を設けた方がいいようです。結果的にその方が長持ちするし、型崩れもしにくいようなのです。
今度はそうしようとおもいながら、また同じことを繰り返し始めています。
午前5時の少し前に千葉県沖を震源とする地震がありました。最大震度は5弱とのことです。私の住まいのあたりも3程度の揺れが少し長めに続きました。
今朝はしっかりとした降雨もあり、コロナウイルスの感染の脅威も消えていないとあって悪い要素が揃ってしまいました。このあとの梅雨末期の災害はかなり高い可能性として、大地震の発生は低いけれども影響甚大な要素として常に考えていなくてはなりません。
日本人の心性を語る上でこの天災との付き合い方は不可欠の要素です。