投稿者: Mitsuhiro

蒸し暑い日に

 今朝の東京は低く垂れ込めた雲に覆われています。かなり湿度が上がりそうな気配がします。

 日本の夏は湿気が高いというときっと不正確です。太平洋側の地域はという条件が必要です。南から吹く季節風が太平洋で発生した蒸気を列島に運び続けるために、東京や名古屋、大阪などの都市は高温多湿の酷な状況にさらされます。

 最近は熱中症の被害者が深刻な問題となっています。今日のように日照がなくても症状が発生することがあるとのこと。むしろ油断して重篤化するまで気づかないこともあるらしい。気をつけなくてはなりません。

融合

 横浜には様々な日本初があります。多くは近代の文明開化によるものです。

 日本初と称するものの多くは海外のものやことを移植したものです。しかも単なるコピーではなく、無意識の和風化が起きている。取り入れたものを見よう見まねで作り出した結果、オリジナルとは似て非なるものができたのです。はじめはまがい物扱いだったものが、時を経て価値のあるものに変わってきたのです。

 進取の精神は忘れてはならない我が国の徳の一つ。最近それを少なくとも私は忘れかけているようで自省していますが

詳細にこだわらず関係性を説く

 自分の思っていることを相手に伝えようとするとき、そのほとんどが伝わらないという経験をしばしばしています。それは私の話し方に問題があるのでしょう。それではどうすればいいのか。自分なりに修正を試みます。

 自分では論理を立てて説明しているつもりでも、初めてそれを聞く人にとっては非常に分かりにくいことがあります。自分にとっては一度通った道でも、始めてきた人にとってはどこに連れていかれるのかわからない探検のような雰囲気になります。分かりやすくするためには適度な道案内と、ゴールが見えているようにする可視性が必要なのでしょう。そのためには結論先出、説明後付けの方法がいいのでしょう。

 板書をするときなどは論理の筋道を文字化、図式化することを心がけます。細かい情報に拘ると全体像が見えなくなりますので、全体を見通せるようにします。最初にその地に立った人は、自分の立地点のことばかりを考えてしまいますが、あとになって考えるとその位置はあまり重要でなかったということもあります。大切なのはその地点ではなく、他の事象との相対関係であることが多いものです。まずはそのことを説明するべきです。

 個々の物事を説明するのではなく、互いの関係性をできる限り俯瞰して見せること。それがうまい説明につながるのでしょう。

終息せず収束した状態

 日本語は音韻の数が少ないため同音異義語が多数存在します。使われる文脈で大抵は意味が使い分けられるのですが、なかには判別が難しいものがあります。その一例で昨今頻繁に使われているのが「しゅうそく」です。

 収束はものごとがおさまることを意味します。混乱していたものが一定の秩序を取り戻した時に収束したと言います。コロナウイルスの流行に関して我が国では感染者数、死亡者数ともにひところよりは減っています。これを表現するには収束の語がふさわしい。

 それに対して終息は終わったことを意味する熟語です。ウイルス感染がほぼなくなった状態が終息ということになります。この終息への道はまだまだ遠い。厳密にいえば終息はありえず、ほぼ終息という状態をいう言葉ということになります。

 アメリカやブラジルなどでは感染者数がまた急増しているとか。海外での数万人の死者の報道は日本人からすると信じがたい事実なのですが、まだ日本で同様のことが起きる可能性は消えていません。あくまで収束の方向に向かっているだけで、終息には程遠いというわけです。

明日は夏至

 明日は夏至です。東京は梅雨の季節であり、いつの間にかに過ぎているということが多いのですが、今年は晴れそうです。

 年間でもっとも昼の長さが長い日という夏至ですが、確かに帰宅する時間まで明るく、それを実感できます。

 明日は部分日食でもあるのだとか。

霖雨

 朝からかなりまとまった雨が落ちています。地域によっては水害発生の可能性もあるとか。梅雨空が戻って来たと思ったらいきなり本降りの期間に入りました。

 例年、大きな被害が出るのは梅雨の末期です。ここ数年は日本のどこかで水害が起きています。今年はウイルス対策もしなければならず様々な厄介な問題を抱えています。何事もないことを祈るばかりです。

本当の敵

 自分のことをよく見せるために相手を必要以上に貶めたり、あたかも諸悪の根源であるかのように喧伝する手法があります。支持率の高い政治家がよくとる手法なのです。

 相手がいかに劣っているのかを主張すること自体は、討議においてはよくある手法です。しかし、それが事実を超えた誇張になると悪意になります。相手を悪く見せることで自分を飾る手法には巧みな悪意があり、詐欺や欺瞞です。

 私たちは苦境に立たされたり、強い不安があるとそうした嘘に簡単に騙されてしまう。民主主義の盲点をつかれます。分かりやすい説明の裏に何が隠されているのかを考えていかなくてはなりません。

出発点

 このブログの個人アイコンにしている星のような、あるいは花のような形の図形は東京駅の新幹線のホームにあります。

 この幾何学的な模様は東京駅の新幹線ホームに置かれており、気をつけてみると0Kmと彫られています。新幹線の走行距離の起算点のシンボルのようです。私はこれを勝手に出発点を表すものとしてアイコンにさせていただくことにしました。

 実際の生活は2次元では表せず、3次元でも説明できない。様々な要因が同時多発的に関わって出来上がっています。ただそれでも何か目安がほしいときがある。そのようなときは出発点に戻ってやり直したいと考えるのです。

東京駅新幹線ホームにある0kmポイント

組み合わせ

 新しいものを作り出すことは容易ではありません。ゼロから作ったという表現には明らかな誇張があります。創造神でもない限り無から有を生み出すことは不可能です。

 私たちが新しいものと感じているのは大抵の場合、既存のものの組み合わせです。今までにない取り合わせ、意外な連係が新しいものとして現れるのでしょう。私たちはもっとミックスとかブレンドとかに興味を持つべきなのです。

 これは有形物のみならず、無形の概念、社会の仕組みなどにも共通します。新しい何かを考えるときには現状の分析と大胆な組み合わせとが肝要なのです。

蒸し暑い日

 日本の夏は湿度が高く、気温以上の圧倒感があります。いわゆる不快指数の高い日が多いのです。これは宿命ですが試練でもあります。

 梅雨前線が列島にかかると、それをめがけて吹き込んでくる太平洋の湿気を含んだ温風が気温と湿度を一気に押し上げます。今日は昨日より最高気温が10℃以上上がるとのことです。マスクのそうでなくても違和感が強い状況を助長する環境になりました。

 気持ちの上で涼をとる方法を文化的に育んできたのが我が国の伝統です。色使いやデザイン、質感、配置など実際の温度を下げる効果がなくても少しでも涼感を覚える方法を育ててきたのです。何でも物理的に冷やせばいいという昨今の方法は、結果的に放射熱を生み出し、気温上昇の原因となる悪循環を招いています。

 先人の知恵に学ぶべきは学び、この国の夏に立ち向かい、共存していこうと思いを新たにしています。