投稿者: Mitsuhiro

差別の根源

 アメリカの黒人差別問題が世界中に波及しつつあります。その背景には自己中心的な自己優先主義があるように思えてなりません。

 黒人差別の問題は古くて新しい問題です。帝国主義時代の奴隷貿易から今に至るまで形を変えて続いています。資本主義の存在に欠かせない格差という仕組みを人種差別は直接請け負ってきたのではないでしょうか。格差を意図的に作り出すシステムとして被差別民の存在が悲しいことに機能し続けているのです。

 同じ人類としてそれはおかしい。グレートジャーニーの末に風貌は変わっても元は同じ生物であるのに。同じ遺伝子をもつ者同士に格差をつけ差別するのは道理に合わないことは変です。

 差別の問題がいま噴出しているのは自国自民族優先主義の軋みが出ているのではないでしょうか。自分の領分だけを豊かにするという考え方は、その周辺にあるものを攻撃することと同じことだからです。それほど人々をいらだたせているのは何なのか。それを考えるべきです。

リモートの呼びかけ

 近隣のコンビニのガラスにずっと前から貼ってあるポスターがあります。リモートワークを検討してほしいというものです。

 ウイルス感染予防の手段としてリモートワークは喧伝されましたから、その一つかと見てみるとどうも様子が異なります。東京オリンピックの期間は世界中からかなり多くの人が訪れる。交通機関の混雑を避けるためにもその期間は自宅勤務をしてほしいというものだったのです。

 日本には膝を突き合わせて胸襟を開いてといった密なコミュニケーションを重視する文化があります。座の文芸を発達させてきた伝統もあることから、リモートワークは馴染まなかったのでしょう。技術やインフラの普及以前に遠隔勤務を阻んでいたものがありました。

 最近の事態は不本意ながらも遠隔勤務を実現可能なものと実感させるきっかけをつくりました。オリンピックのための動きを先取りしたことになります。

鮎釣り

 子どものころ、父に連れられてよく釣りに行きました。海や川に毎日曜に連れられて行った記憶になっています。水面に向き合う時間はいまとなっては贅沢なものですが、当時の私にとっては多分に退屈なものでした。

 釣り人にとって別格だったのが鮎釣りでした。父はもっぱら毛針でやっていましたが、ころがしや友釣りなどの特殊な釣りをする人をみるのは楽しみでもありました。滅多に釣れなかった鮎でしたが、それでも数匹を手にすると父は大変機嫌がよかった。鮎は特別な魚だったのです。

 大人になってからは店頭にパック詰めの鮎が並ぶのをみるようになりました。それでも釣り上げたあの魚とはやはり違うと考えてしまうのです。

梅雨

 今日は午後から雨が降り出しました。かなり厚い雲が覆い、まとまった雨がひとしきり落ちました。

 これから梅雨空が続くかもしれない。そんな予報になっています。梅雨前線が列島に沿うように伸びています。

 気象庁の発表した梅雨入りという言葉が少々気を重くします。ただどの季節も必要なものであることを考えなくてはなりません。

マスクの価値観

 コロナウイルス対策のためにマスクを着用するのが当たり前になる以前の話です。大手スーパーのイオンは従業員にマスクをさせないことを発表して物議を醸しました。理由は声が通らず、表情が見えないことはサービス業として不適切だというようなことでした。それが状況一変して今はマスクをしない店員は許されない状況にあります。

 マスクがコミュニケーションを阻害することは紛れもない事実です。私たちは表情で人の感情や心理といったものを判別します。マスクで覆い隠されてしまうとその情報量は半減以下となり、発音の不明瞭さも加わって伝わりにくい状態になります。またウイルスの大きさが流通しているマスクの繊維の隙間より小さいため予防効果はほとんどないとも報じられてきました。咳や嚏などによる飛沫を防ぐためのものだと説明されてきました。

 ところがそういうことはいつの日から言われなくなりました。感染予防のためにはマスクが不可欠だ。マスクをつけていない人は接近してほしくない。マスクをつけない人は社会的に問題のある人物だとされるようになっていったのです。日本人は同調性が強い国民性を持っていますので、マスク絶対主義な瞬く間に広がり定着しました。店舗からマスクは消え、高額で転売される事態が発生したのも事実です。

 慢性的に品不足であったマスクですが、いまはかなり安価に手に入るようになってきました。品切れになる店もありますが、根気よく探せば手に入ります。マスクの価値がここ数月でこれほど激変するとは。今後もいろいろな価値観が変わっていくことになるのでしょう。

真夏日

 今朝はすでにかなり気温が上がっています。今日明日は最高気温が30℃以上と予報されています。

 梅雨入り直前の陽光が強烈に降り注いでいます。夏の陽射しそのもので湿度も高く、外出を控えていた身体にはかなり厳しい。あわせてマスク着用の約束はウイルスとは別の身体的危機をもたらすものです。

 マスクを外せる場所や外すときの作法について私たちは考えるべきです。また、何らかの方法を専門家に教えていただきたい。果たしていかなるときでもマスクが有効なのか。暑い季節を前に知らなくてはなりません。

紫陽花

 梅雨入り前にしては夏本番のような陽気が続いています。今朝は曇天ですが、これから晴れて暑くなるのだとか。この時期の楽しみの一つに紫陽花(あじさい)の花を見ることがあります。

 紫陽花には額の花と言われるものから。花弁がいっぱいのいわゆるアジサイまでいろいろな品種があります。変わり咲きの品種は年々増えているようで時々それを発見すると小さな驚きが生まれます。

 花は人心を操ります。それが癒しに向かうときは喜ばしいことと思います。紫陽花は曇天に照らす光です。色移りするのも面白い。今年もこの花の威力に頼らなくてはならない季節になりました。

値段じゃなくて

 Googleレンズというアプリで画像検索すると、出てくるのは商品名と価格です。値段を調べたのではないのにと複雑な気持ちになりました。

 そのうち人物を検索すると何かが数値化されて出てくるのかとSF小説的な発想に陥っています。おそらく自分の映像を検索すると… もう想像すらしたくない。

説明力

 国際的に自らの立場を正当かつ適切に説明できる能力はどこから得られるのでしょうか。もちろん英語の語学力が大切なことは言うまでもありません。しかし、それだけでもなさそうです。

 私たちの協調性や礼儀正しさは均一もしくはそのように見える文化の中で育くまれてきました。説明する以前に常識という概念で自らの振る舞いが規定されてきているのです。なぜそうするのか、してはいけないのかは不文律として共有されていて、それを守らない人には軽蔑か無視の目を向け、仲間から除外されます。

 それが通用しなくなって立ち往生しているのが日本の姿です。我々の常識では卑怯もしくは不作法と思われるやり方を次々に繰り出してくる国際社会に直面して次の一歩が踏み出せないのです。

 相手に合わせることは大切です。そしてそれは日本文化が培ってきた美徳です。ただし相手に自分の意志が伝わらない場合は説明するしかありません。議論をすることも必要です。そのためには交渉力が必要になるのです。

 言い訳することは悪いことと教えられてきました。しかし、正当な言い訳まで封じてしまうと説明する力は育ちません。教員として面倒な作業ではありますが、説明する力を養うために生徒諸君に言い訳してもらおうと考えています。もちろん、それにまさる指導のための説明を私がすることになります。もし、必要は場合は。

パターン認識

 老眼が進んで視力が低下していることによるのでしょうか。道行く人を知り合いではないかと思うことがしばしばあります。近づいてみると別人であることが分かって自分の識別能力の低さに苦笑いします。

 私は個人認証する場合、いくつかのパターンを使っていると自覚しています。身長や体格の他に、顔の形、頭髪の状態などの他に特徴的な要素をいくつか取り出して過去の記憶と照合しています。その方法が近ごろ簡略化している気がします。

 細かい観察ができるのは才能の一つなのかもしれません。得られた情報を細部まで検証することは時には非常に重要です。この点において私は劣っているし、開発する努力を怠っています。逆にいえばピントを甘くして複雑怪奇な現実を大まかに捉えて心的負担を減らしているとも言えるのかもしれない。

 大雑把な把握によって誤った判断をしないようにと願うばかりです。