投稿者: Mitsuhiro

減少せず

 緊急事態宣言が解除されたあとも新型コロナウイルス感染者数は減少せずむしろ漸増の傾向にある。新型株なるもののせいなのか、たんに検査数が増えてきたからなのかはわからない。大阪や宮城のように首都圏以外の地域の動向も気になる。

 このままこの傾向が続けばまた様々な制限がかけられるだろう。それにともないいろいろなことができなくなる。また変わらなくてもいいものまでが変革を迫られる。妙な言い訳がまかり通って大切なことを見失う。ワクチンの購入は国家的に進めてほしいが、同時に国内企業への開発奨励も進めてほしい。

 世界のシステムが一気に変わりつつある中で、その行く末を見極めたい。さらに、創作提案することもあきらめてはいけない。いまは変化のときだ。誰かに追随するだけでは立ち行かない。

逆算の発想

 結果からさかぼってやり方を考え直すことを始めようとしている。何かを伝えるとき、伝え方の方を考えてしまいがちだが、実は大切なのはどう伝わるかということだ。それを見直してみたい。

 何かを伝えるとき、どのようにしたら効果的に伝えることができるのかということばかり気が向いてしまう。これは当然の成り行きだ。だが、経験上うまくやれたと思っても効果が上がっていないことがある一方で、力を抜いてしまったときでも効果が上がることもある。つまり、意図と結果が相関していないのだ。

 これは因果関係がないというのではなく、基準としている考え方が間違っているということなのだろう。実は原因と考えているものが結果とは無関係ということもあるのだ。だから結果から逆算しなくてはならない。現状がどのようになっているのかを冷静に見直し、考え直す必要があるのだ。発想を逆転することでおそらく今まで見えなかったなにかが分かることがある。それが改善の糸口になるはずだ。

 どんなことにも当てはまることだろうが、物事を固定的にみると閉塞感が生まれる。世界は変化に富んでいる。それをどのようにとらえるのかが大事だ。

問題点は

 問題点を洗い出す方法を考えなくてはならない。毎日、漠然と過ごしている私には難しいことだ。ただ、限られた時間内でやり遂げるには抜かしてはならない。

 典型的な状況対応型の私にとって、PDCAのような考え方は理想というより憎むべき悪習だ。偶然と寄り道をなくして何がよいのかと思う。でも、やりたくないことを早く済ませるにはいい方法だ。この方法に関心を持つようになったのは、私の仕事が自分の本心から離れたことの証だ。

 効率的に何かをしていると豪語する人や、やたらと片付け好きな人をみると私は気の毒に感じる。それをやらなければならないと考え出しているのは自分もその状態にあるのだということなのだろう。

新年度

 日本では年度の始めは4月である。つまり今日が2021年度の最初の日だ。桜の咲くこの時期に区切れ目を設けたのは日本人の感性としてはふさわしい。もっともこれは後付の理由説明であろう。

 不断の時間に切れ目を入れて新しい何かを実感しようとするのは人類の叡智の一つだ。意識が変われば実感も変わる。だから世界が変化するのだ。変化は緊張ももたらす。ストレスを感じるのもこの時期の特徴だ。過ぎてしまえばどうということもない。

 私自身、年度という単位を特に重視する立場にあるため、過大な意識を持ちやすい。それを自己変革の機会に使いたい。

 今朝の東京は薄いフィルタが入ったように霞んでいる。体感できるほどなので何かが起きているのだろう。恐らく大陸からの黄砂の飛来ではないか。

 通勤電車内では鼻をすする人がいつもより多い気がする。アレルギー症状が出ているのかもしれない。日本にも遠い砂漠の影響があることを考えると、世界観が変わらざるを得ない。

再発

 緊急事態宣言が解けてから、感染者数が増える傾向にあるという。人の動きが活発になればリスクは増えるのは当然だ。

 医療機関などで病床が逼迫する状況は各地で見られるという。ワクチン接種に係わる医師や看護師も必要だ。彼らに過度な負担をかけないように予防には努める必要がある。

 同時に自粛だけが予防法出ないことを知るべきだろう。経済活動が止まれば社会システムへの影響が出る。それが不安を引き出すことになれば別の深刻な問題が出来することになる。止めずに守る。それが現時点での最善策だ。

気温上昇

 今日は最高気温がかなり上がるとのこと。大陸から黄砂が飛来する可能性も高いとかでアレルギー症状のある私にとっては辛い一日になりそうだ。

 気づけば朝部屋に差し込む光の状況が変わっている。少しずつ変化していたはずなのに、こういう認識はコマ送りだ。桜は満開を過ぎ、名前を知らない草花が次々に開花している。恐らく意識されない何かが終わり、知ることさえないかもしれない何かが始まっている。

 私の中の細胞もあるものは消え、あるものは生まれている。春にそれを感じるのは自然の風景が分かりやすく変わるからであって、実は不断の連続なのだろう。

 通勤電車の車窓から見えるまだ葉の出ていない木の梢に鳥の巣があるのを発見した。いつの間に作ったのだろうか。

カウントダウン

 人生をカウントダウンで考えるのか、カウントアップで考えるのかで人生観は大きく変わる。若いころはアップであったが、最近はダウンで考えてしまう。それは仕方がないことだろう。

 事故とか病気とかで自分の年齢以下で死んだ人の数が増えていくと、次は自分の番なのではと考える。本当はいつそうなるかなど誰にもわからない。ただ、残された時間が減っていくという感覚がカウントダウン思考に駆り立ててしまうのだろう。

 そうした考え方をいままでは消極的で否定的なものだと考えていた。しかし、最近は少々変わっている。残された時間を充実させるためにはカウントダウンも必要なのではないかと。できることを少しずつ確実にやり遂げるためには持ち時間を意識する必要もある。だから、必ずしもマイナス思考ではなく、建設的な考えを持つためにカウントダウンも必要なのではと考えるようになっている。

発想の転換

 ただいいものを作るだけでは評価されないという。それをどのように伝えるのかが大切だ。私たちは発想の転換を迫られている。

 いいものを作ればそれに対して正当な評価がなされる。そのように私たちは信じている。恐らく根本的にはその通りなのだろう。だが、実社会では必ずしもそうではない。いいものを作ってもそれをどのように表現するか。どのような手段を使うかで事態は大きく変わってしまう。いいものを作ってもそれを伝えなければ評価に結びつかない。

 逆に考えれば製品の機能が高くなくても、訴求する要素さえ伝えられれば評価は高くなる。これが経済活動ならば価格競争に勝てる原因となり、普及すれば収入も増え、それが設備投資なり研究開発費に充てられてますます発展するというサイクルになる。

 伝えることの重要性を私たちは再認識になくてはならない。

本を

 読書の習慣を身につけるのは現状ではかなり難しい。読書よりも楽しいことはいくらでもある。その断片はネットで検索できるし、要約したり、映像化したものまで溢れている。読解力を総動員して理解せねばならない読書はハードルが高い行為のようだ。

 それでもやはり読書の必要性はなくならない。むしろ、細かな知識や全体の文脈を知るためには欠かせない。私は教員として読書を推進する立場にある。押しつけではなく、自然に本を開く行動を促す工夫をしていきたいと考えている。