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成功は失敗のもと

 今読んでいる野口悠紀雄『リープフロッグ』は経済的な弱者がその条件ゆえに一気に先頭に立っていくという逆転の経済仮説を述べたもので興味深い。強者と弱者の格差が年々開いていくと考えるのが一般的であるが、実は条件さえそろえば一気に状況が変わるというのだ。

 氏は中国を例えにしてこの現象を説明する。古代中国は様々な発明をし、強大な王国を作り上げたものの、その体制を保全するために保守化し、欧米や後進の日本にリープフロッグされたが、いま欧米日本が既得権益を維持するために新技術を開発する力を持ちながらその先に踏み出せないうちに、中国が再逆転したというものだ。これはある意味積極的な発展観であり興味深い。逆転されたら再逆転しようというモチベーションにもつながるものだ。

 ただ、気になったのは現状に満足しているとそれが滅びの原因となっていくということだ。つねに次の段階を考察してあらゆる可能性を考えていかなくてはならないということになる。このレベルにも当てはまることだろう。

近未来展望

 最近、ここ数年がどのような一年になるのかを予測する文章を読む機会が増えた。いろいろな内容がある。

 楽観的な意見ではコロナウイルス克服後の景気回復を強調する。仮に完全な収束はなくても、昨年進んだ諸方面の対策で社会システムが進化したことが恩恵をもたらすというものだ。

 悲観的な予想は多い。パンデミックは収束せず、低迷を続ける社会に人々が疲弊していくというものだ。株式市場などの景況も実態に近づいていくという悲観論である。

 どちらが正しいのかはまったく分からない。ただ、危機的状況にあることと。それが次のチャンスをもたらすということだけは確かだ。どの局面を強調するかで未来予想は変わっていく。

制御

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。もう知らない誰かが罹ったいうレベルを超えてすぐ近くまで病魔が迫っている感がある。感染拡大を行政の失敗と非難する人も出てきた。当たっているが間違ってもいる。

 政治家ができるのは外出規制や補助に過ぎない。人々の動きを拘束できない以上、判断は各自に任されている。また、そういう社会を望んでいるのは私たちだ。

 指導者たる人がとるべきは各自が適切な判断をくだせるようにその都度情報を提示し続けることだろう。それが不十分なまま勧告しても従う人は増えない。

 制御することは不可能かもしれないが、とるべき方法はまだある。低下する関心の中で増加する犠牲者がいる。私たちは今一度冷静に状況把握をするべきなのだ。

 

対応

 ウイルス感染対策の深刻化が進んでいる。ただ、昨年と違うのは心理的恐怖感が弱いということだ。何とかなると考えている人、所詮防疫は不可能だと諦めている人が多い。

 距離を離したり、ついたてを置いたりするのはそれなりに効果はあるというがこれも多くの人は納得していない。規制されないよう形を整えていると感じている。

 専門家の皆さんにはもっと積極的に発言をしていただきたい。何が有効で何が無駄なのかを少しでも分かれば新たな動きがあるかもしれない。

自分が属するのは

  エマニュエル・トッド『大分断』というインタビューを文章化した書籍を読んでみた。一学者の意見ながらヨーロッパの分断の様がうかがえるものであった。筆者の意見はかなり手厳しい。フランス人が国家に対する尊敬の念を忘れつつあるという意見は印象に残った。市民レベルを上げるために行われるはずの教育が、自己利益を守るためのスキルのようなものに成り下がっているという指摘はなにも彼の国だけのものではない。

 自国ファーストの考え方にも抵抗があるが、自国なり自分の共同体を全く考えないことも困りものだ。そのバランを考えることがこれからの社会には必要になる。人間は社会的な生き物であり、他と連携することで生きることができる。その連携先はリアルなものでなくてはならない。ネットでつながっている「ともだち」が単なる購読者にすぎないことを思い出さなくてはならない。自分が何に属していてどのような運命共同体にあるのかを考えなくてはならないのだ。

 自分の属する集団を知り、その利となるもの求め、害となるものを退けること。それがこれから必要な生き方になるのだろう。

世代差

 職場の棚からフロッピードライブが出てきた。そこで若い同僚にこれがなんだか分かるかと尋ねると不思議そうな顔をするばかりだ。容量が1.4MBしかなかったといってもなんのことかわからない。若い人にはわかりませんよね。などと頷いている者もVHSはわからない。日進月歩の技術の中で私自身も知らない何かがある。それが世代差というものだろう。時々それが顕在化する。

冬来たりなば

 冬至を越えたのでこれからは昼の長さが増える。始めはゆっくり、だんだんと急に。

 毎年の繰り返しではあるがやはり冬至以降の期間には期待を持ってしまう。実際にはこれからが冷え込みの時期であり、降雪もあるかもしれない。それでも春遠からじという気分になるのだ。

 2020年はある意味でずっと冬だったともいえる。なにしろずっとマスクをつけてきたのだから。ウイルスという寒さに耐えてきた。その脅威に震えてきた。

 欧州でウイルス感染力が強い変異種が発見されたというから、まだ安心はできない。どんな解決策であれ、人々が安心して暮らせる春が来ることを望む。

帰省

 政府が旅行代金等の補助金を年末年始は対象外とした。その結果、帰省を取り消す人もいるようだ。感染予防のためならば致し方ない。ただ、なんとも残念なことだ。

 今年は里帰りを控えた人が多い。特に高齢者のいる家庭に行くことがはばかられている。断絶の進む家族の絆を取り戻す貴重な機会も奪われていることになる。

 ウイルスのもたらした害は数々あるが離れた家族の距離をさらに引き離していることは大きな弊害の一つだろう。

電気自動車

 少しずつ電気自動車が増えてきている。日本ではハイブリッド車がまず普及してきており、低速では音もなく近づいてくる自動車に出会うことは珍しくない。環境保護という訴求要素がある電動車は、価格の割には売れている。

 海外では国や地域ごとの規制により、化石燃料の使用ができなくなりつつある。発電にかかる環境負荷の実態はよく分からないが、少なくとも各車から出る排ガスはなくなりつつある。

 日本は自動車産業で立国してきたという一面がある。エンジンを生産してきた技術が今後は過去のものとなるのかもしれない。ただ電動車になってもガソリン車のメカニズムはきっと役立つはずだ。それを活用すべく、国家的な支援策をとるべきだろう。

 自動運転車の実用化も近い。チャレンジが可能な環境を構築してほしい。

登場人物

 小説や演劇などのストーリー性のある作品において、すべての登場人物にはその存在意義があるということを教えている。教員である私にとって伝えなくてはならないことの上位にある事実だ。

 主役脇役あるいは端役という言い方があり、確かに小説、演劇などの創作において登場人物のもたらすメッセージに濃淡があるのは事実だ。だが、作品全体の構成から考えるとすべての登場人物には役割がある。その役を果たすことによって作品が作られていく。

 創作者はそれぞれの人物に託して世界を形成する。こういうことは実際に作者になったり、役者となって演じてみると納得できる。そういう機会を与えることも大切だ。