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インボイスなら廃業します

 いつもお世話になっている赤帽の運転手の方とお話をする機会があった。世間話を早々に切り上げて彼からはインボイス制度への不安と不満が漏れてきた。どうもこの制度はベテラン運転手の皆さんにはかなり具合の悪い制度らしい。

 インボイス制度はこれまで課税の対象になっていなかった一定額以下の売り上げ所得の業者に対してあった課税の特例を廃止する方向に向かわせるための制度らしい。所得税の申告の必要のなかった小規模企業、個人経営者などにも課税の記録を求めるものである。下請け的な発注がなされていた場合、所得に関する税金は結果として大企業が肩代わりしていたことになるが、これが許されなくなった。個人経営者にとっては複雑な税務管理を強いられることになる。

 知り合いの赤帽運転手によれば、税金の計算などを管理するアプリケーションソフトなどがあるようだが、これについていけないらしい。高齢のドライバーはこれが原因で廃業することを決めたという。その方はこれまで税率が変化してもいつも計算しやすいピッタリ価格で通してきた。そのために実入りは減ってきていたが、今回はどうするか分からない。もしかしたら、外税価格にしなくてはいけないかもしれない。でも、それは自分の主義に合わないからもしかしたらもう止めるかもしれないなどとおっしゃっていた。

 この制度は運用に関しては様々な問題点が指摘されている。まじめで良心的な労働者の気概をそぐようなことだけはしてほしくはない。

平和を語る勇気

 被爆二世の方の話を伺う機会があった。その方の話によれば、自分たちの置かれた立場では平和について訴えるのは難しかった時期があったという。それはかなり心を揺さぶられる問題であった。

 肉親に被爆者がいるということは絶対に知られてはならない。そのように家族の中で云い伝えられてきたという。原爆症があたかも伝染する病魔のごとく捉えられ、差別されることをおそれたというのだ。事実、その方もそのことが原因でいじめを受けたことがあるという。だから、平和を語るといったことも控えめになり、その話題に立ち入らなくなっていったのだという。自分の立場を知られずに過ごすために、平和を語るのはかなり勇気が必要だったという。

 このことは書物などで読んだことがあったが、実際に該当者から直接お話を伺うとかなり衝撃が異なる。戦争は戦後も人々の心におかしな状態を作り続けてしまう。残念だがそれが事実なのだ。

ゼルビア昇格

 FC町田ゼルビアがJ1リーグへの昇格を決めた。悲願達成といったところか。

 何度か書いてきたが私はJFL(社会人リーグの最高峰)に昇格したときにこのクラブの存在を知った。少年サッカーチームのトップチームとしてあったものをそのまま使ったために、企業スポンサーがなく、スタジアムも客席が足りない市営陸上競技場を使うなど悪条件ばかりだった。すぐ隣にはフロンターレの練習場があり、東京にはヴェルディもFC東京もあるからさらにクラブはいらないとも言われていた、

せっかく昇格条件を満たしてもスタジアムが規定以下ということで見送られたり、コロナ禍で昇格枠が小さくなって機会を喪失したりとあまりいいことがなかった。

それがサイバーエージェントがスポンサーとなり、一時町田以外に移転する説も出たがそれを振り切り、今回に至った。まずは努力に賛辞を送りたい。夢を見させてくれてありがとう。J1リーグは厳しいと思うが、挑戦する姿を見守っていたい。

そういえば優勝の経験は私がこのクラブを知ってからは一度もない。今季は後少しだ。ぜひ優勝を。

秋の冷たい雨

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 今日は一日中秋の冷たい雨になった。おそらくつい最近まで続きすぎていた猛暑の反動で絶対的な温度よりも寒く感じるのだ。こういう雨に久しぶりに降られたので外出が億劫になっている。よく考えていれば手袋もマフラーもいらないのだから、冬の国から帰ってきたら快適そのものだろうに。

 雨が降ると精神的に落ち着くこともある。余計な選択肢を自ら捨てて家の中にこもってしまうのは、見方を変えれば集中するにはよいということになる。ただ、そうやって本などに向かっていると別の意味で違った悩みも発見する。やらなくてはならなかったのに無意識に、もしくは意図的に後回しにしていたことがどんどん浮かび上がってくる。

 それらを再び忘れようと気晴らしのことを始める。およそ非生産的なことのほうがこの手の対策には向いている。だから無為な一日が生まれやすい。結局何かを始めようとして、ある悩みに気が付き、それを隠匿しようとして別のことを始め、いつしか時間がたっている。そういうことなのだろう。こうしたことをこれまでもう何度も繰り返しているというのに一向に制御できないのはなぜなのだろう。

 冷たい雨に打たれるほうがやはりいいのかもしれない。

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支えとなるもの

 何かに行き詰ったときに特定の神にすがるということを日本人はしない。一神教ではないからだ。それでは人間を超越した存在を信じていないのかといえばそれは違う。日本人は結構いろいろなものに神性を見出す。多神教かつ自然崇拝の日本型の信仰形態は世界的には珍しいのかもしれない。

 このような風土を培ってきた背景には過酷な自然条件がある。四季のはっきりした気候は恵みを多くもたらすが、反面災害も多く発生する。さらに地震や津波被害、火山活動など他の地域には少ない条件も加わり、常に崩壊の危機を感じて生きることに慣れている。現代のわれわれも東南海トラフ崩壊型の大地震の非常に高い確率を知っても冷静に日常生活を営んでいる。

 そういう風土に住むものとしては支えとなるものは一柱の神だけでは足りないのかもしれない。神もまた人間と同様に相互に関係を持ち合う多神教こそが複雑な現実の説明には適している。このような精神風土になったのは意味があったのだ。学生の頃にこのような内容の書籍をいくつか読んでそうかもしれないと思ったが、最近は実感として覚えるようになっている。

大丈夫ですか

 大丈夫というのは安心ができる安定した状態をいうことばと子どものころは思っていた。ただ最近は確認や拒否の場面で用いられている。むしろこの方が多い気がする。例えばレジ袋はいりますかと店員が聞く場面で「レジ袋は大丈夫ですか」と尋ねる。客は「大丈夫です」といえば拒否の意味になる。

 「大丈夫」という名詞の意味は立派な男子ということで、剛健な男子が安泰であることを意味にしたのだろうか。それが安定状態という言葉に活用され、副詞的に使われるようになった道筋は想像できる。それがなぜ確認の文脈で使われ、拒否の回答で意味をなすようになったのか。

 思うに日本語によくみられる婉曲の表現の一つと考えるのが最もわかりやすい。確認するのも、拒否も本人の意思がむき出しになりやすい。そこで、用件の許諾そのものではなく、人の心理状態の方に置き換え、意志の確認を是か非かではなく感情の問題にしていることがこの受け答えの背景にあるように思う。

 私自身は最近の大丈夫の使い方にはなじめずにいる。変な気遣い無用などといきがってしまう。これは彼らの使用の意図とは異なっているから、私の憤懣はお門違いなのは分かっている。ただ、大丈夫ですかといわれるとそこまで窮地には陥っていないなどと勝手に考えてしまうのである。

夢の存在を崩した事件

 いろいろな意味でアイドルが注目されている。漫画の「推しの子」ではアイドルという虚構の存在が内側から描かれている。アイドルは人間がつくり出した理想形を現実に演じる存在である。そういう人がいたらいいと思うが本当はいない。そういう存在を演じることがアイドルの条件になる。

 昭和のアイドルにもさまざまな伝説や醜聞はあった。制作側がつくり出すイメージにいかに自分を当てはめるのかがアイドルになる条件だった。それに耐えきれず挫折する人や、そのイメージから脱するためにほかの方面に進む人も多数いた。また、手の届かない存在としてのアイドルとは別の、身近にいそうなイメージを演出するタイプの人もいた。これは現在でもその流れをくむタレントが多数いる。ただ彼らもまた現実にいそうでいない理想形のタイプの一つであるのには変わりない。

 現在ニュースを毎日騒がしているジャニーズ事務所の問題はもっとも知られてはならないアイドルの裏側を暴露してしまったことで大問題である。これまでの噂話のレベルの醜聞とは桁が違う。しかも当事者が物故した後にようやく露見するということは、多くの人が見て見ぬふりをしていたということになる。その意味では非常に構造的な大問題だ。

 アイドルという存在に夢を見ることができなくなる時代は大変残念なものだ。でも、過剰な期待を人間に求めるのは間違いなのかもしれない。そういう一種の絶望感を今回の事件は浮上させてしまった。私たちは何に自分の夢を求めていくべきなのだろうか。

地産地消の再構築を

 福島第一原発の処理水の海洋放出をめぐって中国が日本の水産物の全面禁輸に乗り出したことがニュースになっている。日本側としては放出した処理水の放射性物質が極めて希薄なものであり、健康への懸念がないということを繰り返し説明するしかあるまい。こうした高度な科学的知見に関しては一般人にとってはブラックボックスになっている。海外の人にはもちろんだが、まず日本人に事実説明を行うべきだろう。

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 中国の対日環境については政府の意向が大きくかかわっている。おそらく核汚染が世界的な大問題であるということを繰り返し報じているに違いない。為政者がそのようなことをするのは国内の政策が行き詰っているとき、国民の関心を他にそらすための常套手段である。一般人としては言われたことを信じるほかはない。科学的な情報に関するリテラシーがなければいわれるがままである。それは程度の差こそあれ日本も変わらない。中国の場合はとにかく格差が激しいため、世界的な科学者もいれば何も知らない庶民も多い。それが日本の何倍もいる。情報統制がどれほどなされているのかは分からないが、とにかく説明を試みるほかあるまい。

海産物の中国への輸出が消滅することは大きな痛手になるが、実は日本にとっては大きなチャンスでもある。この際、日本国内で消費できる販路を確立し地産地消を実現しておく必要がある。日本人がまず海産物を消費できるようにすれば、世界的にも食の安全を保障できるし、何よりも食料や肥料などの生産サイクルを堅固なものにできるのである。今回の国際問題はその契機として活用するべきだろう。

引き出すために

 私の仕事の本質は人に何かをする気持ちにさせることである。TeacherではなくFacilitatorである。もちろんゴール設定をした上での展開なのでビジネスでいうそれとは違う。

 引き出すために何をするのか。きっかけ作りに関してもっと研究をしたい。経験上、あまり意図的なものは乗ってこない。むしろ無意識の内にやってみせたことがキューになることの方が多い。ならばプロとしてはあたかも偶然かのように学習者のやる気を引き出すしかあるまい。

 その一つはやはり率先垂範の考えだろう。やってみろという前にやってみせる。その苦労も達成感もそのまま見せることが、自分もやってみたい、自分ならもっと上手くできるということに繋がる。

 失敗が責めないことも大事だ。何かを始めるときにはどうしても失敗はつきものだ。失敗しなくては新しいことを始めることなどできない。だから失敗したことをむしろ称えるべきなのだ。そこからつぎの段階が開ける。

 適度な助言も大切だ。何から始めればいいか迷っている人には、まず歩いてみようと提案してみる。選択に迷った人には間違えたら引き返せることをいう。くじけそうな人にはこれまでの努力と夢の力の強さを思い出してもらう。それぞれの局面にあったことばをかけたい。

 他人のチカラを引き出すことは一筋縄では立ち行かない。それが面白いところでもある。

監視するだけではなく

 久しぶりにTwitterにアクセスしてみた。もっともいまはXというそうでそっけないロゴになった。最近のニュースではいわゆるブロック機能をなくすという発表があったようだ。したことも(たぶん)されたこともないので私には縁がないが、誹謗中傷から身を守る手段の一つのようでそれをなくすことには疑問を感じる。

 そのXの通知をみると、不道徳とか暴力的だというコメントとともに、該当する行為をしている動画が添付されていた。なんの加工もされておらず、個人の特定ができそうだ。確かに悪質なものもあり、許しがたく感じられるものもある。ただそれを不特定多数の人に拡散していいのだろうか。あるいは投稿者の思い込みの可能性や、悪意のある加工の果てではないのかなどと考えてしまう。告発する側は匿名であるのも不公平だ。

 ソーシャルメディアが監視のために使われている。あのパノプティコンの例えを想起されるのだ。個々の正義は保たれるように見えて実は社会をどんどん息苦しくしている。公衆道徳を高める方法は告発だけではないはずだ。