このところ最高気温がが日毎に上がったり下がったりしている。三寒四温という言葉があるが、一高一低ともいうべき感がある。
ただ、日没が日々早まることにさすがに季節の移ろいを感じる。コオロギがかなり多くないていることに気づいた。いつの間にか秋は深まり、痩せ細った秋の束の間の時間が通り過ぎるのだろう。
日々の思いを言葉にして
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今日から生活用品や郵便料金等が値上がりする。困ったことに必需品が多い。それに見合った賃上げが必要だが追いついていない。
首相が変わってどのような政策が展開されるのだろう。世間ではリベラル寄りの思想で増税がなされるとの観測がある。ただ、自民党としてできることは限られており、現状維持が基調になるはずだ。慌てて株を売った個人投資家は見事に術中にはまった。
現状維持ならばこの低成長もしくは停滞を切り抜けなくてはならない。まずはほどほどに金を回すことは大事だ。デフレは貧乏意識と富裕層の海外逃避にある。いい意味での愛国心を期待するしかない。国内の経済が潤えば彼らにこそ利益がもたらされる。目先の利益にとらわれず、同胞の幸福に投資をする人が増えてほしい。羨ましいが我慢することはない。それが未来の一層の利益を齎す。
持たざる者にもやるべきことがある。好きなことには金を使うこと。そして他者の幸福に繋がることをなんでもいいからやることだろう。今のところ庶民にできることは少ない。ただ従前の振る舞いは日本人の国民性には向いているから達成可能だろう。
値上げの10月はこれで最終回ではない。政府と財界には利他的な精神をそれぞれのポリシーに付け加えていただきたい。日本という国が世界の範例となることを切望している。
小の月であるので今日が月末となる。強烈な残暑は下旬まで続き、最近ようやくそれらしい陽気になってきた。台風の影響でまだ一時的な暑さは続くらしい。しかし、もう半袖は片付けるときになった。
新暦においていつからが秋なのかについて悩むことがある。かつては9月がその初めだった。夏休みが終われば秋と考えていた。それが最近はなかなか夏が終わらない。旧暦の基準でも収まらない。何しろ中秋の名月はとっくに終わってしまったのだから。
気候変動を嘆いてばかりいられない。間もなく衆議院は解散し新内閣が組織される。石破氏に関しては様々な論があるが世間が騒ぐほどの変化はないだろう。特に経済政策について大騒ぎしている方々はおそらく変動を創出したいのに相違ない。むしろ変わりそうもないことが懸念材料と私は考える。
秋からもいろいろなドラマが展開されそうだ。それらに振り回されず、うまく乗り切ることを目指そう。そして、あくまで他人事にしないようにしなければ。
昨日は東京の最高気温が23.7℃だったらしい。おかげで鼻水が止まらなかった。猛暑に順応していた身体にとって20℃台の温度は対応不可能なのだ。
ようやく上着を着ることができた。暑苦しさの象徴のような格好をして、服に健康が守られていることを再認識したのである。もはやおしゃれという範疇ではない。私は衣服によって人生を守られていた。そのことを再認識したのである。
生身の体はいかにも弱い。それをようやく救うのが衣服というものなのである。夏になるとその恩恵を忘れがちになる。でも人間の弱さというのはそこにある。
話が大きくなった。私が言いたいのは 人間がコントロールできる気温というものはごくわずかということだ。ほんの少しの気温差で体調が変わる。それは私たちの調子が気温に左右されているということだ。
今日はまた暑くなる予報が出ている。日中は上着を衣紋掛に掛けることになりそうだ。これも久しぶりである。
今日も暑かった。ただ、どうもこの暑さもそろそろ区切りとなる。彼岸までということだ。ただ、懐かしい秋はまだ先なのかもしれない。秋の風情を文学作品で語っても、若い世代には注釈が必要になる。昔の夏は8月半ばで終わっていた。新暦でも9月半ばは秋を実感していたのだと。
詩境深まるのはやはりゆきあいの時期である。行く季節を惜しみ、来る季節におどろく。我が国の詩の世界はこれに救われてきた。そのゆきあいが昨今曖昧になり、夏冬のデジタルになりつつある。気候変動が人間の感性に及ぼす影響を危惧しているのである。
秋の儀式がある。秋刀魚を旨く食すこと、栗飯もいい。紅葉に過剰に反応し落ち葉に心震わすこと。そうした過去の感性を高齢者は無理やり再現するのがいい。それに付き合ってくれる若い世代が少しでもいれば古典的感性は引き継がれるかもしれないから。
父親の仕事の関係で渋谷区民だったことがある。最寄り駅は原宿と表参道だ。すぐ近くにある表参道はいまよりずっと静かで落ち着いていた。そこを歩道橋で渡って学校に通っていた。
表参道が静かだったのはデザイナーズブランドの店が並んでいたからで、高価すぎる服をウインドウショッピングする人が大半だった。同潤会アパートもその原因の一つだった。その静かさを突然破るのが暴走族と呼ばれた輩で、エンジンだけではなく、変なメロディのあるクラクションで周囲を驚かせていた。
原宿の近くに人なんか住んでいるのかとよく言われたが大通りを外れると細い道の住宅街が広がっていて、ちり紙交換のトラックや、チャルメラを吹いて豆腐を売りに来る自転車が通っていた。野菜や果物の移動販売は物価が高めのこの地域では住民に人気があった。
その後、歩行者天国が始まり、いわゆる竹の子族とか一世風靡とか色々な人たちが来るようになって、さらにタレントのグッズを売る店ができると大衆化が一気に進み、毎日縁日のような街になった。地方から来た中学生らしき男女のグループの一人に松田聖子の店はどこかと問われたことがある。地元民として場所は知っていたが、入ったことはなかった。人気があったのはとんねるず、丹波哲郎の大霊界、悪役商会などだったがついにどこにも入らなかった。
バブル景気が始まると小学校の同級生たちが転居して散り散りになった。いわゆる地上げのために嫌がらせを受けたというような噂がかなりの信憑性とともに語られた。
公務員住宅に破格の家賃で住んでいた私たちにとって、そういう経済学上の問題は距離を置くことができた。収入の低い家族にとって、いかに金をかけずに楽しむかは自然に身についたスキルとなった。
表参道や代々木公園にいけば見世物はいくらでもあり、こどもの私にとってはキデイランドで模型を見るのは楽しみだった。買えるのは年に数回で、それは申し訳なかった。金を使わずに楽しむという考え方はその時代に形成された。なんでそれを続けなかったのだろう。
渋谷区民時代を思い出すといくらでも話ができる。都心に住みながらも、結構質素な暮らしをしていたあの時代こそ、私の核となる人間形成の時期であった。バブル景気にも狼狽えず、様々な環境の激変にも耐えられたのはこの頃の蓄積ゆえだ。
自分で小金を稼ぎそこそこの生活をするようになってこの精神は挫けてしまった。数百円の節約のために駆けずり回ったあの時代の精神が再現できれば人生はもっと豊かになるはずだと信じている。
9月は連休が2回もある。これは設計ミスかもしれない。今年の場合、もともと連休を作るために日にちを移動してきた敬老の日に加えて、秋分の日も日曜に当たるため、振替休日が設定された。
休みが多いのはいいことだが、曜日ごとに決まったことをする職種にとっては、月曜が集中して削られて行くことは色々な不都合がある。振替休日がなぜ月曜なのかということを考えるべきだ。
日本は世界的に見ると祝日が多いという。それでは休みが多い国なのかというとそうとも言えない。日本の労働環境では個人が自分の休日を申請することが難しい。制度上は有給制度などがあっても、それを行使するには障害が多い。
祝日の多い我が国はそれがなければ休むことがままならない。もっと休暇を取れるシステムを各組織が取るべきなのだろう。
高温の日々が続いているせいで疲労が蓄積している。暑さのために集中力が失われ、ときに目眩までする。このままでは大きな損失に繋がる。いまは調節が必要だ。
でも、おそらくもっと大変なのは心の問題なのだろう。9月病などと言われるが、これは中高生だけの話ではなさそうだ。最近、何事にもうだつが上がらないと自覚している私などもその未病者の資格が十分にある。
周りが自分を評価してくれていないときには、特に落込みがちだ。しかし、誰にも気づかれなくても他人にはできないことをやり続けるのだという気概は持っていたい。すぐに結果を求めるのが最近の風潮だが、そんなうわついた評価はこちらからお断りするべきだろう。
他の人にはできない何かを愚直に続けるしかない。たとえ誰にも評価されなくても、少なくとも自分は満足できる。それでいいのだ。自己満足できる何かを続けていく。そこに中断の合図がでたら、そこで身を引けばいいだけだ。
中学生のころだったと思う。短波放送を受信して聞くことがブームになったことがある。海外の放送局の日本語放送があり、それが聞けたことが一種の自慢の種になっていた。
中国や韓国、北朝鮮などの放送は簡単に聞けた。アメリカのVOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)やラジオ・オーストラリアのワライカワセミの声などは聴けただけでも感動した。モスクワ放送はソ連時代のもので、どこか重苦しい音楽が印象的だった。当時はラジオもアナログでラジオのつまみをほんの少し回すことでチューニングをしており、わずかな調節で聞こえたり聞こえなかったりした。それが楽しみだったと思う。
私はついに挑戦しなかったが友人の中にはベリカードという受信証明を発行してもらい、それをコレクションしている人もいた。短波は電離層の屈折を利用してかなり遠くの電波を受信することができるが、中波にも夜間には越境が起こりやすいので、国内の遠隔地の放送局に受信証明をしてもらうこともあったようだ。
いまはインターネットを通したサイマル放送が一般化しているので、このような楽しみはなくなってしまったのかもしれない。ただ、少し余裕ができたらまた短波ラジオでも買って雑音の中から遠隔地から届いた電波を聞き取る楽しみを味わいたいと思っている。
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