カテゴリー: エッセイ

上着の恩恵

 昨日は東京の最高気温が23.7℃だったらしい。おかげで鼻水が止まらなかった。猛暑に順応していた身体にとって20℃台の温度は対応不可能なのだ。

 ようやく上着を着ることができた。暑苦しさの象徴のような格好をして、服に健康が守られていることを再認識したのである。もはやおしゃれという範疇ではない。私は衣服によって人生を守られていた。そのことを再認識したのである。

 生身の体はいかにも弱い。それをようやく救うのが衣服というものなのである。夏になるとその恩恵を忘れがちになる。でも人間の弱さというのはそこにある。

 話が大きくなった。私が言いたいのは 人間がコントロールできる気温というものはごくわずかということだ。ほんの少しの気温差で体調が変わる。それは私たちの調子が気温に左右されているということだ。

 今日はまた暑くなる予報が出ている。日中は上着を衣紋掛に掛けることになりそうだ。これも久しぶりである。

古典を読む挑み

 万葉集の研究を少しだけやった私に今の学問成果に対して言えることは何もない。だからここから述べることは単なる思い込みだ。最近の流行り言葉で言うなら「単なる個人の感想」である。

 古典文学を読む時の基本的な態度は、その作品が作られた時代の価値観に則って読むと言うことだろう。これが意外と難しい。そもそも過去の人々の価値観など現代人には分からない。分かると言えば欺瞞となる。

 古典作品はぎりぎりのところで実は理解不可能なはずなのだが。それを学者の皆様があたかもそれしかないような説得力で語るのである。その時点で真偽など分かるはずがない。

 ただそれを論じる学者にはそれなりの覚悟がある。古代をなぜかように断じるのか。学者の大半はその功利的な側面を気にしない。自分がそう思ったからそう語るのであって、それ以上に企みはない。

 古典文学を論じる上で正論なるものはない。極めて限られた条件の中で確率の高い推測を続けるしかない。それが古文学者の宿命であり、やるべきことなのだろう。私はそれを志し、途中で投げ出してしまった。だから、古典作品に新たな読みを与え続けている学徒には尊敬の念しかない。

新涼

 俳句で新涼は夏の季語で夏ながら初めて秋の気配を感じたときの皮膚感覚に基づくものである。私の場合、昨夜その新涼を覚えた。9月23日のことである。

 おそらく冬の日から突然現在に訪れたなら全身で暑さを感じるに違いない。連日の猛暑に悩んできた私にとっては肌寒さで震えて仕方ないのだ。鼻水が止まらなくなっている。

 体感というものは相対的であり、暑さも寒さも結局のところ昨日との比較で感じているのに過ぎない。だから新涼という季語が9月下旬まで移動してもおかしくはない。いや、実はおかしいのだが。

文句を言う老人

 学生の頃、民俗採集のために訪れた祭礼でいたたまれない光景を目にしたことがある。それは高齢者が祭礼において必死に演じる若者に対して罵声を浴びせる姿であった。

 こういうと現代人は老害の何のと言い出すが、それは的を射ていない。むしろとんでもない間違いだ。若者たちは老人の振る舞いに感謝こそすれ、恨みなど決して抱くことはなかったのだ。そして、自らもその老人のようになることを夢見ていたのである。

 これは民俗学の世界では常識だ。高齢者は村祭りの経験者として、後進に祭事の詳細を伝達する役割を持っていたのだ。過去の振る舞いを忠実に模倣することを理想としていた社会において、高齢者は実践的にそれを示すことで村に貢献する役目があったのだ。

 それにしても祭礼の当日に衆人環視のもとであんなに批判する必要があるのかとも思うことがある。本番の舞台で演出家が役者を罵倒していいものだろうか。そう考えてしまうが、これも昔の考え方からすればお門違いだ。現代の芸能の観客は人間であり、しばしば観覧料を徴収するショーであるが、祭礼の観客はあくまで神であり、私のような村外からの訪問者は単なる傍聴人ですらない。神のために最善の振る舞いをすることが目的であり、そのためには演技の途中でも注文をつけなくてはならなかったのだ。

 私の見た祭礼はそれでもかなり有名になっており、明らかに研究者やそうなりたい院生たちの姿がかなり見られた。それでもまだ年配者が口を挟んでいたのを見たのは貴重な経験だったのかもしれない。観光資源と考えられてしまうと神のためではなく、金を落としてくれる余所者のための祭礼となり、本来の荒々しさは消える。演劇のような展開と無難な結末が用意されたイベントになってしまう。

 すると高齢者の出番はなく、むしろ余計な口出しをしないように戒められることになるのだろう。祭りを遠くから見守り、直接の関与はできない立場に追い込まれているのである。

 理不尽な振る舞いをする高齢者がしばしば取り上げられ、脳の衰えという文脈で説明されているが、果たしてそのすべてが真実なのだろうか。むしろ批評家としての彼らの発言権を無にしたことで起きている弊害ではないか。過去がよかったという訳では決してないが、先輩の経験を活かせない時代こそ、不幸であると考えるのである。

類型把握

 この話は前にも書いたことがある。でも、少し考えが変わったので書いておくことにする。私が物事を把握するとき、目前の対象をありのままに受け入れているとは言えない。むしろ初めて見るものは何が何だかわからない。

 そこで、それまで自分が経験したこととの照合がなされる。瞬時に行われるから私自身も普段はそのつもりはない。これは誰かに似ているとか、以前見た物の少し変形したものだとか考える。それを持っている言葉に置き換えてようやく把握できる。だから色やサイズ、形状の差異があってもイヌかネコかを区別できる。

 これは言語論の基本だが、この現象を一人の人間の時間的な変遷の中で捉え直すとどういうことになるのか。幼い頃は持っている言葉が少ないため照合できる目印が限られている。だから、本来分類した方がよさそうなものがまとめられていたり、その反対もある。成長とともに言葉を覚えるとともに、その言葉が持っている文化的伝統も身についてくる。すると、水と湯を区別したり、雨の降り方に様々な区別をし、虫や鳥の鳴き声にオノマトペを使うようになる。

 さらにその中で個人的な把握も加わる。過去に起きた印象的な出来事が文化的枠組みを超えて認知に影響を与える。それは言葉すら超越するような身体感覚として突然発生する。

 そのような様々な要素が複合して目の前の物事が認識されている。だから、同じものを見ても条件が変われば別物として感じられるのだろう。類型として把握することは変わらなくても、物差しとその使い方が刻々と変わる中で私は生きているのだ。

ゆきあい

 今日も暑かった。ただ、どうもこの暑さもそろそろ区切りとなる。彼岸までということだ。ただ、懐かしい秋はまだ先なのかもしれない。秋の風情を文学作品で語っても、若い世代には注釈が必要になる。昔の夏は8月半ばで終わっていた。新暦でも9月半ばは秋を実感していたのだと。

 詩境深まるのはやはりゆきあいの時期である。行く季節を惜しみ、来る季節におどろく。我が国の詩の世界はこれに救われてきた。そのゆきあいが昨今曖昧になり、夏冬のデジタルになりつつある。気候変動が人間の感性に及ぼす影響を危惧しているのである。

 秋の儀式がある。秋刀魚を旨く食すこと、栗飯もいい。紅葉に過剰に反応し落ち葉に心震わすこと。そうした過去の感性を高齢者は無理やり再現するのがいい。それに付き合ってくれる若い世代が少しでもいれば古典的感性は引き継がれるかもしれないから。

明治のあり方

 明治時代の人たちはさぞ大変だったと思う。維新後に様々な価値観が激変し、昨日までの正義が突然邪道となり、またその反対もよくあった。排斥していた西洋文化が規範となり、模倣の対象となる一方で、東洋的な価値観は後進的とみなされた。

 それでもやはりいざとなると儒教的な価値観が支えとなっていたようであるし、漢文の素養が精神的な基盤にもなっていた。毀誉褒貶が状況ごとに変わり、その都度うまく立ち回ることが求められた。それが明治のあり方だったのかもしれない。

 渋沢栄一の「論語と算盤」を読むとその立ち回りの大切さを感じる。精神論と功利主義のバランスをいかに取るのかが大事だった。ただ結果として、明治は国益を重視したあまり戦争へと邁進する。

 現代の我々も価値観が急激に移り変わる時代にあり、さらに科学技術の発展により心身ともに振り回されている。毎日振り回されているから、それほど感じないが、おそらく俯瞰すれば翻弄されている己が見えるはずだ。その意味で明治の人々の生き様から学ぶことは多い。

猛暑日最遅記録

 昨日、東京地方は最高気温35.1℃であったために観測史上最も遅い猛暑日となったらしい。この記録、まだ更新されそうなのである。

 いつまで経っても終わらない夏、一昨日は中秋の名月であったのに秋はかなり痩せている。団子を供えても風情がでない。アイスとかラムネの方がいいと思うほどだ。

 明日の最高気温予測は会社によって異なるが大半が猛暑日のアイコンをつけ、中には37℃というものまである。来週からは少しずつ気温が下がるようだが、夏の最後の足掻きは強烈なようだ。

渋谷区民だったころ

 父親の仕事の関係で渋谷区民だったことがある。最寄り駅は原宿と表参道だ。すぐ近くにある表参道はいまよりずっと静かで落ち着いていた。そこを歩道橋で渡って学校に通っていた。

 表参道が静かだったのはデザイナーズブランドの店が並んでいたからで、高価すぎる服をウインドウショッピングする人が大半だった。同潤会アパートもその原因の一つだった。その静かさを突然破るのが暴走族と呼ばれた輩で、エンジンだけではなく、変なメロディのあるクラクションで周囲を驚かせていた。

 原宿の近くに人なんか住んでいるのかとよく言われたが大通りを外れると細い道の住宅街が広がっていて、ちり紙交換のトラックや、チャルメラを吹いて豆腐を売りに来る自転車が通っていた。野菜や果物の移動販売は物価が高めのこの地域では住民に人気があった。

 その後、歩行者天国が始まり、いわゆる竹の子族とか一世風靡とか色々な人たちが来るようになって、さらにタレントのグッズを売る店ができると大衆化が一気に進み、毎日縁日のような街になった。地方から来た中学生らしき男女のグループの一人に松田聖子の店はどこかと問われたことがある。地元民として場所は知っていたが、入ったことはなかった。人気があったのはとんねるず、丹波哲郎の大霊界、悪役商会などだったがついにどこにも入らなかった。

 バブル景気が始まると小学校の同級生たちが転居して散り散りになった。いわゆる地上げのために嫌がらせを受けたというような噂がかなりの信憑性とともに語られた。

 公務員住宅に破格の家賃で住んでいた私たちにとって、そういう経済学上の問題は距離を置くことができた。収入の低い家族にとって、いかに金をかけずに楽しむかは自然に身についたスキルとなった。

 表参道や代々木公園にいけば見世物はいくらでもあり、こどもの私にとってはキデイランドで模型を見るのは楽しみだった。買えるのは年に数回で、それは申し訳なかった。金を使わずに楽しむという考え方はその時代に形成された。なんでそれを続けなかったのだろう。

 渋谷区民時代を思い出すといくらでも話ができる。都心に住みながらも、結構質素な暮らしをしていたあの時代こそ、私の核となる人間形成の時期であった。バブル景気にも狼狽えず、様々な環境の激変にも耐えられたのはこの頃の蓄積ゆえだ。

 自分で小金を稼ぎそこそこの生活をするようになってこの精神は挫けてしまった。数百円の節約のために駆けずり回ったあの時代の精神が再現できれば人生はもっと豊かになるはずだと信じている。

感触

 圧倒的に足りないのはその時限りの感触だと思う。それは常に一度限りの偶然のものであり、類型化できない。そういうたぐいの経験を現代社会はあまりにも蔑ろにしていると感じる。

 AIが達成した生成技術とは人々の経験の類型化の産物だ。個々人の経験はあくまでその材料であり、平均から遠いものは外れ値として処理される。かけがえのない経験というものは注意深く除外され、最も確率の高い答えが採用される。だから、間違っていないと感じさせるとともに、どこか胡散臭い感じもある。

 こんな時代に自分を見失わないためにはどうすればいいのだろう。他人と比べてこれが正解だと安易に考えないようにすることが大切だろう。ただこれにはリスクが伴う。社会的に正解と規定されたことから離れたことをすれば、それだけ評価が低くなる可能性がある。それでも自分の価値観を貫きたいと思うなら、もうそれは哲学の問題だ。大方の理解が得られるとは限らない。

 自分の感触を信じて非効率、非社会的でも己の美学を通すのか、その逆でいわゆる効率的に生きるのか。現代社会はその選択を迫ってくる。