カテゴリー: エッセイ

戦争経験のない世代にとって

私たちの脳は都合のいいものを優先的に記憶し、そうでないものは無視する機能が備わっているようだ。それは進化の過程で身につけたものであり、これがあるためにどんな悲劇からも回復し、次の段階へ進むことができたのだろう。

もし戦争の悲惨さを実感し、それが次の世代にも伝えたいものと考えられるのならば、かなりの時間を割いてそれを実行しなくてはならない。私たちにはそこまでの覚悟はない。ただ、自分の要求を主張し、それが損なわれると怒るのみだ。

戦争経験のない世代にとって非戦の主張は理念的であり、実感が伴わない。一種の自己主張でしかない。恐らくこの制約が人類の戦争史を不断のものにしてきたのだろう。

結果的に実感の伴わない反戦主義が空虚なものと捉えられ、時の集団ヒステリーに押し切られる。私たちはその時、踏み応えられるのか。平和の鍵はそこにある。

釣りの付き添い

 亡き父の趣味は釣りだった。小学生の頃は無理やり連れて行かれた。恐らく母親の保育時間を軽減するための手段であったのだろう。そんなことは今になって分かったことで、当時としては日曜日は川か海ということが当たり前になっていた。

 父の釣りは粘り強いというタイプで決して巧妙とは言えなかった。釣り場を決めたらその場で粘り強く待つタイプであった。恐らく子連れであったために頻繁に場所を変えることができなかったのだろう。

 海の場合は防波堤の上で陽にさらされることになる。子供用に穴釣り風の仕掛けをわたしに作り、自分は目的の釣りをしていた。私はフグが釣れるたびに外れだと言われ、ベラのときはいいねと褒められ、カサゴのときはとても褒められた。でも、何がいいのか全く分からず、すぐに飽きてしまった。

川の時はそれよりはマシだった。釣れるのはハヤと呼ばれたウグイの類で、ヤマベという魚がよく連れた。鮎も狙っていたはずだが、それは滅多に掛からない。私は川釣りはすぐに飽きて、近くの田んぼにゲンゴロウやタガメを見に行くことに熱中した。

子供にとってはそれで十分楽しめた。父の付き合いは退屈であったが、自然と向き合いゲームなどなくても満足できる時間の使い方を学ぶきっかけをもらったのかもしれない。

梅雨よ終わるな

 まだ6月が終わっていないのに梅雨明けした地域がある。降水量が著しく少なく、今後の水需要に耐えられるのか心配だ。

 九州地方や四国などの一部で梅雨明けした可能性が高いことが発表された。異例の早さである。関東地方の週間予報でも雨の降る日はありそうだが、梅雨と呼ぶには傘マークが並ばない。恐らく暑い日中と突然の豪雨という日々になるのだろう。気候変動と言われれば打ち消すことは難しい。

 恐らく若い世代の人たちに梅雨の情緒を理解してもらうことは難しい。霖雨が何をもたらしてきたのか。もうデータ上の出来事になっているのかもしれない。

 雨の季節は憂鬱なものだったはずだ。それがこうなると惜しく感じられてしまう。

燕の巣

 ときどき利用する駅には燕が営巣している。今年は3カ所あり、すべてがうまく雛が育っているようだ。

 巣のある場所の下には三角コーンが置かれ、頭上から落ちてくるものに注意するようにとの但し書きが付いている。誰もこの不自由さに不満を述べる者はなく、当たり前のこととしている。

 燕が人間と共生するようになったのはいつからなのだろう。この鳥が南方からの渡り鳥であり、その雛がまた戻って来ることを古人は知っていたのだろうか。燕が雛に与える餌の多くは昆虫であり、かつては農業を支える益鳥であったことをよしとしていたのだろう。都会の人間にもその記憶は残っているのかもしれない。

 燕が人のよく通行する場所に営巣するのは、天敵たちが近づけないことを見越しているからなのだろう。それを発見するまでの歴史に自然と惹かれてしまう。

暑い日々

 中期的な気象予報によればこれからの1か月は10年に一度のレベルの高温になるという。最近はこの種のニュースがありふれたものとなり、あまり刺激を感じなくなっていることも確かだ。

 隣接する市では、熱中症対策としていざというときに利用する避暑所というべきものを市民に示している。公立の施設が大半であるが、ショッピングセンターなどもある。買い物目的でなくても使ってよいと言っている訳だ。

 商業施設は入りやすいので改めてここにうたわなくてもよいのかも知れない。一部の人以外はあまり利用することが少ない文化施設や、庁舎などの開放は役に立つかもしれない。

 しばらく真夏日が続く。適度に避暑を忘れないようにしたい。

前景と後景と

 実際にはそんなに単純ではないが、例えば現実を舞台に例えるとすっきりすることがある。物事には間近に起きていることと、その背後で起きていることがある。それらは根本的には関連しているのだが、敢えて分けて考えるといいことがある。

 私たちは間近で起きていることに気を取られやすい。個々の現象は複雑でそれに対応するだけで日々の暮らしの殆どが終わる。うまく対応できたときはよいが、それができないときは懊悩激しく神経をすり減らす。

 でも少し遠くを見ると日常の困難が些事の様に見えてくることがある。近視眼的な考えを超越できれば新たな可能性が生まれる。

 舞台に幕を引いて前景と後景の世界を別視点で見せる技法がある。中には紗幕を使って半透明にし、非日常空間を創出することもしばしば見られる手法だ。実人生ではそんなに意図的に視線の変更はできない。だから、意識してレンズの焦点を遠景に向けてみることも大事だと思う。

塩分補給

 熱中症対策には水分とともに塩分補給が必要だという。日頃、塩分を害毒扱いしているが、発汗する季節は寧ろ摂らねばならないもののようだ。

 この時期になると熱中症予防のレクチャーを受ける。それはこの症状が健康な人を一気に死に陥れる危険性をはらむからである。私も若い頃にそれに近い状況になったことがあるが、軽度であったためことなきを得た。これになると水分が取れなくなるから不思議だ。脳にダメージが加わると何が必要なのかの判断ができなくなるらしい。

 最近は基礎体力が減退しているので熱中症にはかなり気をつけている。暑い日が続く、油断はできない。

中東への介入は悪手

 イスラエルとイランの間の戦争にアメリカが介入して、一層中東情勢が不安定になっている。アラブ地区とは少し異なるイランはイスラム圏では独自の政治と文化を持っている。中東は地域内でも数多くの民族、宗教宗派が入り乱れるが、さらにイギリス、フランス、ロシア、アメリカが干渉して状況の複雑さが際立っている。

 思えばイスラエル建国やシオニズムの流れを誘導したのはヨーロッパの列強であり、第二次世界大戦後はアメリカが利権をめぐって暗躍している。イラクも石油施設をイギリスに奪われ、国営化を目指した政権は米英の秘密機関によって潰されている。歴史上の教訓として欧米が中東情勢に絡むと混乱と戦争をもたらすということは言える。

 にも拘わらず、アメリカはまたしても介入してしまった。いろいろな言い訳をしているようだが、報復合戦になることは容易に予想できる。アメリカは自国中心主義となり、海外の問題に金をかけないといっていたはずだが、その主張はどうしたのだろう。いろいろな矛盾を抱えたアメリカ政府のふるまいをアメリカ国民がどのように捉えているのかを知りたいと思う。

記憶の上限と下限

 人生の中でもっとも昔の記憶は何だろう。私の場合は幼稚園に通っていたころの一コマが思い浮かぶ。ただ、それにはその後の人生の中で獲得した様々な経験が上書きされているので純粋な記憶かどうかは分からない。とにかく、決まったいくつかのシーンだけが残っている。

 何が記憶に残るのか。それもかなり偶然な気がする。ことの重要性や深刻さの度合いで記憶が選択されるのかといえばそうでもない。大切なことはむしろ忘れることが多いのに、何気ないことの方が記憶に残っている。特にとてもショックな出来事はなぜか忘れてしまう。心の防衛本能が働いているのだろうか。

 記憶の下限はどこにあるのだろうか。死の間際まで意識がある場合はまれだ。多くの人は記憶の下限を迎えて、それから身体の死を迎える。だからその下限を確かめることはできない。今の私の記憶がこれからもそのまま残るものなのか。そのいつか分からない下限のときまで持っている記憶は何なのかと考えてしまう。

下り坂に咲く花

 減退した中で咲かせる花はあるのだろうか。最近はそればかり思う。自分の心身の衰えを痛感するゆえに、それでも何ができるのかを模索したくなる。

 年老いた親の姿を見ると、己の未来が如実に予測できる。どんなに気丈であっても、脳に障害が発生すれば遺憾ともしがたい。私のように不摂生な毎日を送っていればその落ち込みは急激に表れるはずだ。

 だから、せめてどうしようもならないうちに、人様の役に立つことをしておきたい。最早、最後の目標はこれから自分が他者から受ける恩恵を越える貢献を残したいということしかない。残念ながら、財産を寄付するといった直接的な貢献はできない。わずかでもお前がいて助かったというに何かをしておきたい。

 恐らくこうした願いは先輩たちが共通して考えてこられたことなのだろう。でも、これを言葉にすることは難しく、評価も困難だ。多くの方が思い半ばで他人に見いだされないままになられている。

 自分の業績を残したいわけではない。ただ、相当意識していないと加齢とエントロピーの崩壊則に飲み込まれてしまうことは忘れてはならない。