ノートの取り方模索中

 ノートの取り方をいろいろ考えている。私自身のノートもそうだが、生徒諸君に提案することを前提にしている。様々なノート術の本や動画サイトを見て、実現かつ持続できそうな方法を考えているのだ。凝ったレイアウトは始めはいいが、その都度線を引くのは続かない気がする。

 ある人の意見と重なるところもあるが、今考えているのは以下の方法だ。

  • ノートは必ず見開きで使い左ページの左端4〜5センチは何も書かない。
  • 習慣化するまでは線を引いて仕切ってもいい。
  • 左ページの残りの部分を授業や講演のときのメモ欄にする。
  • 右ページはメモを取った情報を短文にまとめ直すために使う。
  • さらに書き足したいことがあればここに追加する。

 これは話を聞きっぱなしにせず、自分の言葉で置き換えることを日常化するための手段である。

 現代文のノートを思い出していただきたい。教師が黒板に書いたことをただ写すだけで、後で読み返してもなんのことか分からない。授業では分かったつもりになっても時間が経つと何だか曖昧になっている。それは教師がまとめた言説を表面的に写しただけで本当は理解できていないからだ。

 理解するためには自分の言葉で説明できる必要がある。その過程をノートで可視化しようという訳である。

 さらにこの方法は他人に自分のまとめ(言い換え)が正しいのか検証する段階がいる。ノートの右ページを相互評価し、過不足を点検する機会を設けたい。これを習慣化させることができれば国語力の向上につながるはずだ。

背筋を意識的に伸ばす

 背筋を伸ばすことを意識しておかなくてはならない。まだ高齢者とは言えないが、それに近づいている私は様々な身体の異変を日々感じている。加齢すれば起きることであるからこれは仕方がない。どんなにうわべを飾っても身体的な変化は避けられない。

 白髪についてはずいぶん前から認知していた。今は定期的に染めているので気づかないけれども何もしなければほぼすべてが白髪のはずだ。皮膚のしわは隠せない。ただ、こちらは日々見慣れているせいで逆に注意が向くことはない。自然に抜けた歯がもっとも加齢の悲哀を感じさせる。

 なんとかできそうなのが背筋である。背筋の衰えなどから猫背になり、やがて腰が曲がる状態になる。これについても私は高齢化の悪魔からの招待状を受けているような気分になることが多い。なるべく荷物を持って歩くこと、そしてときに意識して背中や首を伸ばすこと。背筋の衰えを克服することを意識することを考えている。気がつけば曲がっている腰をその都度直すのである。

 今のような生活がいつまでできるのかわからない。なるべく健康を保ち、自分にも他人にも迷惑をかけないようにしたい。





まとめる力

 恐らく教えなくてはならない国語の力に要約力がある。情報化社会では溢れるほどの資料が一瞬で集まるがそれがどんな意味を持つものなのかを見抜くのが要約力だ。いろいろ言っているが要するに何が言いたいのかを見抜くのが大事なのだ。

 そんなのは生成AIでもできると言う人もいるだろう。でも、機械ができるのは統計的に高い確率の言葉のつなぎ合わせに過ぎない。目的に沿って意味を見出すことは人間の能力によらなくてはならない。

 学校教育でそれを教えられているのだろうか。末端の知識に拘り過ぎていないか。あるいは図式的な読解術を金科玉条としていないか。形を教えるだけで出来上がるものを見届けていないのではないか。そういう反省からやり直したい。

別れの季節

 年度末が3月である日本は今が別れの季節でもある。私のような仕事をしていると実は周期的な繰り返しに過ぎないのだが、それでも端境の時期には独特の感情が起きる。

 小さな変化を区切りとして考えるのは、時間の区切りに意味をもたせることで特別な価値をもたらす一つの知恵である。ただ過ぎていくだけの時間に節目をつけ、目に見える区切りを設ける。それによって自分の現在地を確かめようとするのである。

 別れの季節は自分の新しい可能性を見出す機会でもある。親しい友人との別れは辛いが新しい自分を引き出してくれる人との出会いもある季節なのである。

 

桜開花予想

 実家の最寄り駅前の桜が咲いていた。早咲きの品種である。東京のソメイヨシノの開花は気象関係機関や企業の予報では3月20日〜24日ごろであり、あと数日後のことである。

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 桜が咲くには気温と日照時間のみならず、冬季の寒さも必要らしい。気温の変化によって休眠期間がおわり、開花が促されるそうだ。今年のように暖冬傾向が長々と続くとこの切り替えが顕著ではなく、開花が遅れることになるのだという。

 とはいえ、大方の開花予想日は平年よりは早く、満開になるのも28日ごろらしい。東京の標準木は靖国神社境内にある。都心の気温は高めで、周囲に比べて早く花期が経過する。それにしても入学式のころには散り急ぐ花を見ることになるのだろう。

 かつては農業の指針であり、伝統的な美意識の対象ともなったこの花は、現代では人間の生活に翻弄され生態を変えつつある。いつまでも桜花爛漫を寿ぐ文化が続いてほしいと願う。

漢字の学習

 漢字を覚えるための方法はなんだろうか。最近のこどもの傾向として漢字が書けなくなっていることは大方の賛同を得られるはずだ。私はこの主因をデジタル機器の普及にあると考えている。スマホを使い出したあたりから、私たちは漢字の能力を落としていった。

 複雑な字形の漢字は常に書き続けないと忘れてしまう。漢字の部首とか、成立過程だとかを知っていれば誤りは減る。でも結局は書いた回数が漢字力を支えるのだ。これは手を動かすしかない。

 子どもが喜んで漢字の練習をするのは小学生までだろう。ならば中学生以上はどうするべきだろうか。漢字を書かせる習慣を無理にでも作るしかない。それを設けるのが国語の教師の役割の一つとなる。

 漢字の添削をすることも実は大切だ。「畏」「託」など書き間違えやすい文字は他人に指摘されるまで気づかないものだ。「完璧」がパーフェクトウォールになっていたら、直していかなくてはならない。地道な作業だがやるべきだろう。

シニア都市計画

 街の造り方がこれからは変わっていくはずだ。高齢者が増えればいまの構造は都合が悪い。段差、傾斜は極力少なくしなくてはならないし、文字表示は大きくはっきりさせる必要がある。これは少しずつ確実に起きていくだろう。

 交通機関もバスや相乗りタクシーのシステムを実態に合わせたものにしていかなくてはならない。こういうことは地方都市で実践されているから、その先例を検討すべきだ。

 高齢者を家に閉じ込めず、街に出させ消費者にさせることが、この国の課題となる。まずはそれで経済を回し、並行して少子化対策をしていく必要がある。高齢者をこどもの養育や学童クラブの指導者として活用するのもいい。働ける高齢者をいかに活用するか。街のハードとソフトのデザインを進めていかなくてはならない。

礼服

 この時期になると礼服を着ることが多い。日本の略礼服はネクタイの色を変えるだけで慶弔を切り替える。便利だが複雑な思いにもなる。この前これを着たときはどうだったかといった思い出が湧き上がる。そして、それはときに切ないものである。礼服をあと何度着るのだろうか。

周囲が気になるときは

 自分が周囲からどのように見られているのか気になるときがある。ちょっとしたことでも気になってしかたがなくて身動きができなくなる。一方で傍若無人に振る舞えることもある。

 周りの人は実はそれほど自分には関心はない。試しに今日電車の隣の席に座った人を思い出せるだろうか。恐らくどんな服を着ていたかさえ分からないだろう。他人の関心など本当は気にする必要はないのかもしれない。

 周囲の目が気になるときは、心の中で自分の存在が実態以上に大きくなっている。誰からも注目されているように感じてしまっているのだ。そういうときは少し自分から遠ざかる必要がある。自分を俯瞰できるといいのだが、そう簡単にはいかない。

 一つには広い風景が見える場所に身を置く方法がある。実は自分は世界の中では小さな存在であり、自分と同じような人は他にもいるということを実感するのだ。

 他には知らない誰かと話すことがある。自分のことを知らない人と話せれば、自分の存在が他人からどう見られているのかなど気にならない。何しろ知らないのだから。そういう人を探すことが難しい。こういう場を作るのが悩める人を救う方法なのだろう。

 小説や映画を楽しむのもいい。作品の世界を除くことは合せ鏡で自分を見つめることにつながる。作品を挟んで自分を少し遠くから見ることができるだろう。

 私もしばしば自分の姿を錯覚する。後で考えるとどうしてあんなに悩んだのかと思う。そのときに思い出したい。自分の思う自分は等身大なのだろうかと。

立ち直ること

 13年前のこの日は不安で包まれていた。東日本大震災とその後命名された大地震を職場で迎えた私は、交通機関が遮断され、電話が通じなくなった現実に直面していた。停電がなかったのが幸いだった。その後、部分開通した電車で途中駅まで行き、徒歩で帰り着いた。津波の被害や原発事故、その後の混乱などを知るのはそれからの日々だった。

 今年の元日の能登半島地震も驚いたが、考えてみれば数年間隔で大きな地震があり、その中には甚大な被害が出たものもある。世界の地震がかなりの割合で日本で起きていると聞いた。この先もそれは変わらない。

 災害に耐え、立ち向かうのはこの列島に暮らす人間の宿命であり、それに沿った文化形成がなされてきた。私はこれを再認識したい。立ち直ることがこの国の人々の特性である。

 震災のあと私たちはあきらめないことも学んだことは確かだ。それを思い出し現実に臨むこととする。