関東地方に接近した台風はなんと南に進んでいる。このまま、勢力を弱めて消滅する予報が出ている。今までの常識を覆す進路だ。
詳細に見ればこういった現象はほかにもあるに違いない、数年前一度消滅したのが復活したり、反転して戻ってきたりしたものもあった。自然現象の予測は難しい。誰にもわからないものだとは知っているが、近年のものはあまりにも例外が多すぎる気がする。
南進した台風が戻ってくる可能性は低いという。これもよく分からない。自然は侮れない。
日々の思いを言葉にして
関東地方に接近した台風はなんと南に進んでいる。このまま、勢力を弱めて消滅する予報が出ている。今までの常識を覆す進路だ。
詳細に見ればこういった現象はほかにもあるに違いない、数年前一度消滅したのが復活したり、反転して戻ってきたりしたものもあった。自然現象の予測は難しい。誰にもわからないものだとは知っているが、近年のものはあまりにも例外が多すぎる気がする。
南進した台風が戻ってくる可能性は低いという。これもよく分からない。自然は侮れない。
台風は南にそれていくようで最悪の事態からは免れるようだ。ただ、すでに強めの雨が降っており、油断はできない。私には最近風雨とは無関係の悩みがある。
急激な気圧の低下が起きたときにどうも調子が落ちる気がするのだ。めまいや頭痛を伴うこともあるが、大抵はなんとなく違和感があるといった程度だ。厄介な事実である。
気象病ともいわれる症状を訴える人は一定数いるらしい。今日はそれを少し感じている。
言葉にならないのだが、私の最近の日常は何か膜のようなものに覆われている気がしてならない。直接触れることができないし、その介在物によって実体が歪んで見えている。
その膜がどこにあるのかは分からない。実体に貼りついているのか、空気中にあるのか、あるいはソフトコンタクトレンズのように感覚器を覆っているのか。分からないがどこかにそのようなものが存在していると感じている。
もちろん、これは文字通りの錯覚だ。そんなものがあるはずはない。誰がなんのためにそんなことをするのか説明がつかない。それでもやはり何かを感じている私がいる。
今日の東京の予想最高気温は16℃である。一気に季節が進む。南海上を遅行する台風の影響によるものと考えられる。弱いが着実な雨足がこのあと大きく強くなって行くことが予想される。もう半袖の人はいなくなった。薄手のコートを着始めた人もいるようだ。私にとっては曇る眼鏡を気にする季節となった。
トランプアメリカ大統領のパフォーマンスを英雄信奉精神の表れと評す人がいる。コロナウイルス罹患を敵に見立てそれを克服したかのように見せかけるスタンドプレーに辟易した人も多いだろう。ただこれはアメリカ人の基本的な思考の一つであり、個人の問題ではなさそうだ。
英雄は危機的状況においてもっとも目立った仕事を行う。逆境に負けることなく、力技で形勢を逆転する。弱みは見せず立ち向かう姿勢こそが英雄の資質なのだ。その結果、多くの人が救われることになる。
ただ、英雄は正義の名のもとに破壊行為も行う。正義の行動に巻き込まれて死傷した人は尊い犠牲なのだ。場合によっては彼らも英雄チームに加入させられ、不合理な結末が隠蔽される。そして多くの人がそれに見事に騙されてしまうのだ。
アメリカは英雄信仰が強い国民性を持っているのかもしれない。少なくともそういう思考経路をとる人が一定数存在する。ただこれはアメリカだけのことではない。呼び方は様々であっても、英雄信奉の考え方はどこでもあり、多少の濃淡はあるが、共通するのは自己目的達成のための犠牲を無化しようとする発想だ。
かくいう私もヒーロー好きな子ども時代を過ごした。今でも心躍るものがある。ただ、最近はウルトラマンが怪獣退治のためにどれほどの建物をなぎ倒し、何人を踏みつけて圧死させたのかが気になるようになっている。

電車の待ち合わせで時間があまった。見上げると鱗雲が広がっている。季節は確実に過ぎている。
陶芸の展示を観てきた。難易度の高い美意識涵養の場になった。東アジアの美は奥深い。
陶器の芸術性は難解だと感じている。本来、何らかの用途のために作られた陶磁器は実用性という裏打ちがある。それが芸術性の方面に傾くときに別の様相を見せはじめる。
釉薬のたれ具合に何かを感じるのは完全に見る側の美意識の問題になる。作者は当然何かを狙って窯に入れるのだろうが、出来上がったものは偶然性が極めて高い。それに価値を見出すのは、一種の伝統といえる。
陶芸の美を味わうためにはまずこの審美の伝統に入らなくてはならない。その上で自らの美意識を発動する必要がある。これはどの芸術にもあてはまるが陶芸は特にこの点が意識される。
最近、精神的な休みがなく少し疲れている。こういう時はすこし息抜きをした方がいい。ところがその息抜きの仕方を忘れてしまっている。
そうだ、かつてこれをしたことがあった。ラフマニノフの交響曲2番を聴こう。確かにこれは効果がある。毎日の些細なことをしばしば忘れさせてくれる。有名な3楽章は特に一種の麻薬のような即効性がある。
今日は久しぶりに何もない朝。しばらくは穏やかな幻想に浸ることにしたい。
トランプアメリカ大統領がコロナウイルスに罹患したというニュースは世界に衝撃をもたらした。選挙の直前ということでその影響力は甚大だ。まずは回復をお祈りしたい。
トランプ大統領がこのニュースで特に注目されるのは、自身がウイルス軽視の立場を取り続けてきたこと、その結果世界でもっとも死者を出した国になっていることである。政策次第では被害者の数が軽減されていたのではないかという説もある。
大統領が国民のロールモデルであるという考えはアメリカにはないのかもしれない。尊敬すべき存在としての国家元首という考え方はなさそうだ。自分に利益をもたらす人物であれば多少問題を抱えていても構わないのだ。トランプ失脚を恐れているのは税制上優遇されている富裕層だろう。
大統領の罹患という非常事態でも、心配の対象は彼の健康ではない。大統領はそういう立場の人だといわれればその通りだが、何ともやりきれない思いが残る。
昨日から10月が始まった。年度後半ということになる。日本では4月が年度の始まりだからだ。
聞くところによるとOctoberは8番目の月という意味なのだそうだ。古代ローマでは3月に当たる月から一年が始まり、一年は10か月だったという。時間の基準というものは時代により、権力により変わってしまうものなのだ。
私にとっては10月は通過点にすぎない。ただ、なにがしかの時間の折り目として区分を意識することもある。ちょっとした緊張感を得られたならば、それなりの意味はあるだろう。