特異日

 10月10日は晴れの特異日と言われている。今日は晴れというわけにはいかなかったが明るめの曇りであった。南岸の台風の影響もあるのだろう。でも降水がなかったことで面目は保たれた。

 1964年のこの日が東京オリンピックの開会式に選ばれたのもこの特異日であったからという説があるそうだ。日付と天候との相関はなく、単なる偶然らしい。

 そうであっても体育の日をスポーツの日とし、可動な祝日としてしまったことは、少し残念だ。今年のスポーツの日は雨の予報だ。これもまた偶然なのだが。

 次の晴れの特異日は11月3日ということだ。気候変動で過去のデータが使えなくなるのではとも危惧しつつ、穏やかな祝日を迎えたいと思う。

失敗しないなら

失敗しないことが保証されているとしたら、何に挑戦しますか ?

 このお題で直観的に思ったのは、それなら挑戦はしないかもしれないということだ。挑戦というからには相応の覚悟を決めて準備し、失敗するリスクを考えてやるはずだ。始めから失敗しないことが分かったいるのなら、何も新しいことを始めなくてもいい。

 私がこれまでやってきたことの大半は失敗し、そのたびに軽重の差こそあれ、挫折を味わいやり方を修正してきた。その中には諦めという選択肢もあったが、第二、第三の道に進んでいまに至るのだ。

 だから失敗のない人生はもしかしたらかなり味気ないものになるのだろう。まあ負け惜しみだと言われたなら何も言い返せないが。

教師の人を見る目は当てにならない、でも、

小学校の時に受けた知能テストであまりいい点数ではなかったようで、担任が親にあなたの子供は問題があるといった意味のことを言ったようだ。転校したばかりで消極的になっていた当時の私を親としても心配していたようだが、その担任の言葉に大いに憤慨したようで、私にも先生を見返してやりなさいというようなことを言っていたことを覚えている。

 私は自分で言うのもなんだが努力型のタイプで才能がきらめくという人材ではない。何度も失敗してそれをなんとか克服していくという次第で、再度知能テストをやっても顕著な結果は望めまい。ただ人がとうに飽きた頃にまだやっているという経験を繰り返しているうちに、なんとなく頭角を表したように見えるだけなのだ。

 だから当時の小学校の担任を私は恨んではいない。多くの教師がそうであるように、そしていま自分も教師になって分かるように、人を見る目がなかっただけなのだ。少なくとも保護者にあなたの子はおかしいという神経は過去のものとしなくてはならない。それがこの先生から教えていただいた重要事だ。この記事を読んで思い当たる教師がいたら、いますぐ考え直していただきたい。あなたの人を見る目は間違っている可能性があることを忘れないでいただきたい。

 人の将来は誰にも分からない。最近はデータベースに照らし合わせて、ある傾向を提示してそれが事実のように述べる人が多いが、彼らのいう外れ値があるのが現実の人生というものだ。教員であるなら、その例外的なデータこそ指導の目標とすべきなのだ。君は確かに偏差値幾つというデータを出し、この成績ならばこういう進路の可能性が大きい。でもね、それはあくまで可能性であって君の運命ではないんだ。そういうふうに、心から言える教員がほしい。

 彼らの多くは現実の厳しさに打ちのめされるはずだ。ときには本人やその家族から詐欺まがいの非難を浴びるかもしれない。確率的には統計学上の結果になることがはるかに多いのだから。

 でも、コンピュータがこのような確率であなたの未来を予測しているから、あなたはこのように生きなさい、というのはもはや教師でもなんでもない。単なるコンピュータのオペレーターだ。一面的な測定すぎないテストの結果に囚われ過ぎず、あくまで本人のやりたいことを刺激して、結果として未知の才能を導き出すのが指導者なのではないだろうか。この役割こそが人工知能に代替されない教員の仕事だと考えているのである。

つまずき

 小さなつまずきは誰にでもある。ちょっとした凹凸を予測できなかったり、何か他のものに気を取られていて意識が別のところにあったりした場合に起きやすい。物理的なことだけではなく、精神的なつまずきもまた不意に起きる。

 つまずいたことをなんとも思わないことがこれまでは多かった。よくあることとすぐに忘れられた。それが特定の状況下においてはうまくいかないこともある。いつまでも気になって、さまざまな自己嫌悪にぶつかる。本当はただバランスを崩しただけなのに。あたかも致命的な転倒をしたかのように感じられることがある。こうなると萎縮してつぎの一歩が踏み出せなくなることもある。

 失敗は成功の素とは分かっていても気分というものは簡単には切り替わらない。ネガティブな感情に囚われているときは、些細なことであっても重大事に感じてしまうものである。

 職業柄、人を励ます機会は多いが自分のこととなるとまるで思い通りにならない。落ち込むとなかなか抜け出せなくなる。誰かに相談すればいいのだが、そういう相手がいない。弱みを見せられず誤魔化してしまう私の習性もよくない。

 歳を重ねて少しだけ身についたのは、行き詰まったら一度その件については思考停止をしてしまうのがいい。いつか状況を俯瞰できるときがくるものだ。本を読むように自分の置かれていた状況を自分の外側に置けるまで待てばいいのだろう。さすれば答えが見えてくることもある。その中に諦めるという選択肢も含まれるのだが。

 つまずいたときはまずは、その事実から距離を置き、しばらくしてから次のことを考える方がいい。それが若い人たちに伝えたいことなのだ。

鉄道網の上に立つ首都圏

 毎日利用している電車が事故のため一日中止まった。人為的ミスとシステム上の問題点が重なったようである。怪我人は出なかったというのが幸いだが、おかげで首都圏でも有数の混雑路線が使えなくなった。

 振替乗車をして職場へは遅刻することなく到着できた。首都圏は都心部から郊外へと走る路線が数多く存在するので、迂回ができるのだ。それらをつなぐ路線が大切であると実感した。

 鉄道網が東京圏を支えているのは明らかだが、今回のような事故があって始めて実感できる。今回は一つの会社の2路線のみの障害だったが、同時多発したときどう振る舞うのかを考えておかなくてはならない。

台風来るかも

 今日の未明に小笠原諸島近海で発生した台風22号は今のところは台風としては小型だが、今後発達する可能性もあるという。台風の恐ろしいのは強風と大雨である。さらに、それらが急に接近することも脅威である。

 それでもかつての航海者に比較すれば、わずかではあるが予報が可能であり、全くの不意打ちてはないことは事実だ。台風がくることが、予測されており、その意味では気が楽である。多くの船乗りが台風の訪れを知らずに遠洋の旅に立ち、帰らぬ人になっている。

 今回の台風は規模としては大きくはないようだが、比較的本州に近い場所で発生し、すぐに影響を与えるという点において要注意だ。被害が出ないことを祈る。

女性首相誕生へ

 高市早苗氏が自民党総裁に選出された。時期総理に指名されることは確実であり、憲政初の女性首相が誕生しそうだ。少し遅すぎたがようやく性別による偏重が解消されるきっかけが生まれたことになる。内閣にも少なくとも4名以上の女性大臣を指定してほしい。議員でなくてもいい。能力のある人がいればだが。

 ただ、状況は容易なものではない。少数与党となっていることは変わらず、野党との協力が必要となる。高市氏は右派の考え方を信条としており、靖国神社参拝問題はその象徴的な事実だ。連携できる政党は限られるし、韓国や中国との関係も考慮しなくてはならない。融和を標榜する石破政権は進歩は少なかったかもしれないが大きな損失はなかった。自身の信条に固執するあまり国益を損することのないようにお考えいただきたい。

 保守層の一部が新総裁の誕生を歓迎していることは確実であり、これを機に社会が活性化すればよいが、理念ばかりをふりかざし現実から乖離した政策を展開すれば、分断を生むだけだ。大いなる期待と不安を持たざるを得ない。

美しき日本

 ラフカディオ・ハーンの「日本の面影」に彼が赴任した島根の師範学校の様子が描かれている。学生の規律と勤勉さが賞賛されているのだが、現代の師範学校と言える大学の教育学部の学生との差はかなり激しい。

 ハーンの見た師範学校の学生は軍隊的な規律で統一されていたという。学費と一年の兵役を免除されていた学生たちは、それと引き換えに極めて自己抑制的、集団主義的な立ち居振る舞いを心がけていたようだ。ハーンはそれを美意識で捉えているが、現代の日本人からすればかなり窮屈で偏向した価値観に映る。教員となるものがかような一元的価値観で生活して良いものなのかと考えてしまうところである。

 ハーンはしばしば欧米との比較を行い、日本文化の独自性と優位性を論う。どちらが優れているのかという判断は個人的なものであるからそれ以上言うことはない。ただ、ハーンの見た日本のありようは晩年に精神的な理想郷を見ようとした心の作用の影響にあることは間違いない。

 ハーンにとっての島根時代がいかに豊かで素晴らしいものであったのかを、この「日本の面影」は伝えてくれる。ここに描かれた美しい生活は今の日本にあるのだろうか。

喉の風邪

 ここ数日喉の腫れを感じ、時々まとまった咳がではようになっている。発熱や倦怠感は少なく、その点はいいのだが、声を出す仕事をしているので甚だ都合が悪い。

 周囲を見渡すと同じような症状の人が結構いるようだ。伝染するものかどうか分からない。むしろこのところの日々の気温の変化の違いや日較差に対応仕切れない人が多いということなのかもしれない。

 これからも10月らしからぬ天気が続くというから、気をつけていかなくてはならない。

NHKネット時代

 放送法改定に伴うNHKのインターネット放送が始まった。とはいえ、これまでもいわゆるオンデマンドや見逃し配信などはあったのであるから、目新しさはない。受信料さえ払っていれば、テレビでもスマホでもリアルタイムに近い放送が視聴できるというだけである。













 今日、新しいサービスが開始されたが、ログインできない利用者が多発したようで、滑らかな移行は失敗したようだ。事前予告はかなり念入りだったのだが、実際に始めてみると早速トラブル発生である。これは克服しなければならない教訓だろう。ネット社会の脆弱性が露呈するとさまざまなことがたちいかなくなる。

 テレビ局の放送をオールドメディアと揶揄する向きもある。だが、自社のスタッフで独自の方針により、組織的な情報発信をする送り手はやはり必要である。無責任な自己本位な個人的メディアは玉石混淆であり、それを見定める能力がある人は限られている。

 NHKがネット配信も放送の一つとした今日はある意味、画期的な変節点なのかもしれない。