
暑い日が続いている。今日そのピークがあるというのだが、もはや何が頂上なのかも分かりにくい。
職場にも節電要請がきたようで管理職が対応に追われている。曰く冷房は消せないので細かく照明を消すことという。どれほど効果があるのか分からないがやらないよりはましだろう。
未曾有の長い猛暑に水不足も懸念される。節水も先行させた方がいいのではないだろうか。
日々の思いを言葉にして

昨日、関東地方など多くの地域で梅雨が明けた模様との発表があった。いわゆる梅雨明け宣言だ。関東では21日間の梅雨だったというが、その期間の短さも降水量の少なさも記録的なものになっているという。梅雨明け10日という言葉があるが、今年の場合は果たして10日で済むのか心配である。
昨日は電力逼迫に関する情報も出た。これだけ暑いと冷房を入れざるを得ない。公共の場に集まることも歓迎されない状況においては各家庭でエアコンを稼働することになる。電力消費を抑えなくてはならないと思っても、熱中症の恐怖もあるので何とも難しい。
この夏はある意味緊急事態である。だから、思い切った方策も必要だ。サマータイムのように始業と終業を早めるのもいい。暑いときは無理に仕事をしないというのもありかもしれない。こうした工夫はこの後、様々な形で紹介されるはずだ。
体力の消耗が激しい高温の状況下では短期集中しかない。一日の後半はあきらめてとにかく朝にかけよう。などと思いつつ結局夜更かししている。今年の暑さとの戦いはかなり長そうだ。

Youtubeで英語学習について述べているものを見て参考になったことがあるので記録しておく。英語の習得の際、やはり文法学習は必要だが、それを型で覚えるのがいいという。さらに覚える際には感情をこめて文を記憶するのがいいらしい。
言葉が情を表すものである以上、これは当たり前のことだ。にもかかわらずあたかも数式のように文章の型を覚えてもなかなか身につかない。その表現がどのような場面で使われ、どのような感情とともに述べられるものなのかを意識することが大切だというのだ。全くその通りである。
古文を学習する際にも同じことが言えるのではないかと考えている。たとえば現代語には過去と完了の助動詞の区別がほとんどない。「昨日着いた。」も「いま着いた。」も同じ「た」で表現されるから、古典語に「き」「けり」と「つ」「ぬ」「たり」「り」の多彩な助動詞があることが理解しにくい。「なり・に・けり」のように完了も過去も同時に使われる文に至っては意味をつかみにくい。そこで、感情とともに記憶するという方法がよいと思われる。
この方法を教えるためにはショートコントのような場面設定を作り、実際に演技させるのがいいのではないか。「夏は来けり」と「夏は来ぬ」の違いを演技で覚えてもらうのだ。これができれば推量系の多彩な助動詞群の差や、現代語以上に微妙な使い分けをする心情表現語の違いなども実感して覚えることができるかもしれない。そのための「台本づくり」が大切だと思っている。

授業でSurfaceを使い始めていろいろできることが広がった。私の機器は最低スペックの機種なのでパソコンでやる仕事をそのまま持ち込むと問題が生じることが多い。だが、パワーポイントのスライドを見せたり、ブラウザの画面をスクリーンに映すといった用途に限れば十分な性能だ。
職場には備え付けのプロジェクターがあるのでこれに最初はケーブルを使って接続していた。問題はないのだが学校の授業のようにある程度動き回らなければ生徒の緊張感が落ちてしまうような場面では、動けない存在は少々都合が悪い。そこで無線でつなぐことを考えていたところ、実にいいものを見つけた。MicrosoftのUTH-00036というワイヤレスHDMIアダプタだ。これはHDMIにつないでその信号を無線化して飛ばすものだ。Windowsにプリインストールされている制御ソフトに接続すれば、端末の映像を転送することができる。手元でパワーポイントの操作をすれば、遠くの大画面が変わるという寸法だ。
これはかなり便利だ。問題点としてはこのアダプタにも電力供給が必要であるということだ。そのため、タイプAのUSB端子がついている。テレビなどでは背面のUSBにつないで電力を得るように設計されているが、私の職場はHDMIの近くにUSBはないため、モバイルバッテリーをつなぐことにした。スマホ充電のバックアップ用のものだ。授業は連続でも3時間は超えない。今のところ、ほどほどに充電しておけばこのくらいの時間の耐久力はある。転送時に多少の遅滞があることも事実だ。しかしこれもゲームの中継でもない限り気にはならない。
教室の後ろから黒板を書くはかつての夢だった。どうしても教室の後ろの生徒は緊張感を欠きがちだ。それが教員がすぐ近くで話をし、黒板(ホワイトボード)には手元のタブレットの画面が映り、電子ペンで書き足したものも投影される。ビジネスの世界では当たり前なのかもしれないが、こういう方法は教員も考えた方がいい。
もっとも席替えでせっかく後ろの席を勝ち得た生徒諸君にとって私の徘徊が非常に邪魔なものであることは察して余りあるが。

最近、気になってきた流行語にワンチャンがある。One chance からきた和製英語らしい。元々麻雀愛好者が使っていたらしい。麻雀に無縁と思われる人も使っているから流行語なのだろう。
機会さえあれば形勢を逆転できると言う意味がもとらしい。一発逆転と言うことだ。雀士が一発逆転を使わないのは役名に似たものがあるからだろう。ワンチャンはそのぶっきらぼうな表現からして背水の陣をひくものにふさわしい。
ワンチャンが流行語になる原因を考えるに、昨今の状況が極めて厳しいという前提があるのではないか。ただ、そのなかにわずかな可能性を考えるときこの言葉の出番がある。諦めていないのは救いだ。無努力無根拠にチャンスを言っている向きもあるので少々心配になるが。
閉塞的状況の把握とその打壊願望がワンチャンにあるという深読みをしてみた。若者たちがノーチャンと言い出さない社会をつくることがロウトルのやるべきことだ。

天気予報によるとこれからしばらくは最高気温が30℃を超える。なかには36℃を予想している日もある。梅雨時の多湿もあり体調管理が課題だ。
降水確率を見るとこれも低い。梅雨が明けたかのような天気記号が並んでいる。おそらくこの後に大雨の揺り戻しがあるのだろうが、1か月早く真夏になってしまうかの予報になっている。これでは身体が持たない。最近少し太り気味で疲れやすくなっていることもある。健康に気をつけながら少しずつ鍛錬をしていこう。
基本的には夏は嫌いではない。ただ、極端な暑さはそのなかにさまざまな滅びの予兆が感じられるので不安になる。このように感じる人は多いのではないだろうか。盛者必衰を感じるのは私の場合、この季節なのである。
参議院議員選挙が公示され選挙戦が始まった。相変わらず多数の政党が乱立して分かりにくい。中にはなぜこの場に参加する必要があるのか理解できない政党もある。しかし、この選挙を無視することはできない。
多くの人が気にしているのは平和と経済の諸問題であろう。ウクライナ侵略があってから武力で現状を変えることの可能性が再認識されている。日本は敵対する陣営に属する大国と、制御が難しい独裁者の国に囲まれており、地政学的には危険である。それでは軍拡して対抗すべきかという議論にはなるまい。かつての戦争体験が生きている限りは反戦を貫くべきだ。人権を蔑ろにする悪行だ。
ロシアの現状を伺うに戦争は何もいいことはない。経済を疲弊させ、恨みを長年に渡って残す。いろいろな意味でコスパが悪すぎる。
まずは戦争に参加させないために政党選びをするべきだろう。非武装中立の夢はどうも無理筋のようだ。かと言って核武装も困る。バランスを適切に説明してくれる指導者がいる党を探したい。
さしあたってそれよりも注目されているのは経済対策だ。国際的にも顕著な低成長ぶりは、給与が一向に上がらないことに現れている。これは現政権までの流れの失敗と言わざるを得ない。安定性を重視するあまりにその場しのぎの対策を継続してしまった。
自民党への批判はよく耳にするが対案は示されているのだろうか。減税や消費税率の軽減といった話はあるが、その効果はどうなのだろう。下げたあとの世界はどうなるのか。そのあたりの中長期的な説明がない。だから野党の演説も素直に聞けない。
政治家は理想を示し、それを実現するのが仕事のはずだ。その理想が伝わってこず、何をしてくれたのかも分かりにくい。失言とスキャンダルばかりが報じられる。これでは選挙に行かない人も増える。
人まかせにできなくなっているのも事実だ。確実にダウンサイジングする我が国の舵取りに有権者は関心を持たなくてはならない。サービスはよくないがよく考えて選挙に行きたいと考えている。
パラアスリートを支える伴走者の存在は私にとっていい刺激になっている。伴走者は競技者より優越的な立場なのだろうかという問いをしてみる。
視覚障害などでガイドを必要とする競技者にとって伴走者は大切な存在だ。ただ間違ってはいけないのは伴走する人が競技者を牽引しているのではない。あくまで傍らにいて方向を伝えているのにすぎない。それが声によってなされているのか、何らかの身体的合図によるのかは分からない。とにかく引っ張っているのではないということだ。
素朴な疑問として伴走者が走れなければそもそも走れないのではないかということがある。競技の成功は伴走者の走力次第なのではないかと。これはある程度は正解かもしれない。しかし、前述したように伴走者は牽引するのではない。アスリートと同等の力があればいいのだ。
一流のパラアスリートの伴走をするためには自分も同様に鍛えなくてはならない。ともに練習し同等の走力を発揮できるようにしておく必要がある。これは大事な視点である。
教育の世界でも教員は牽引者ではなく伴走者であるべきだという考えがある。ともに走るようにともに学ぶ。時には生徒側の走力、つまり学力が急進することもある。その時のために日ごろからトレーニングは欠かせない。思わぬ時にダッシュしてもついてもついていけるように。

コロナウイルスシフトが弾力的になってきて少しずつかつての日常が戻りつつある。海外の人のために申し添えると日本ではまだほぼ全員がマスクをつけている。政府は距離が保てれば外しても構わないと言っているのにも関わらず。
海外の観光客もこれから増えていくはずだ。大量のお土産を買って帰る姿は復活するのだろうか。円安が進む中で狙い時であることは確かだ。
韓国は前政権が日本との対立によつてアイデンティティを確立していた構造上、民間レベルでも不買運動などがあったという。日本はどうか。一部の人の理不尽なヘイトはあるが、実はかなり少数である。大半は韓国の文化に寛容であり、羨望すら抱いている。年齢層ごとに対象は異なるが、韓国文化に日本人は日常的に接している。日本のテレビ番組表を調べてほしい。韓国ドラマがまったく放送されない日を見つけるのは困難だ。中高生に好きなアイドルを聞いてほしい。きっと韓国人の名前が出てくる。
異文化に対する寛容さと受容と消化は日本の文化的特質だ。差別という考えも他国に比べると少ないのではないだろうか。もっともこれは数や程度の問題ではない。どのような段階でも人権が蹂躙される機会は注意深く取り除く必要がある。
その上で、海外の人に日本を知っていただき、一人でも理解者を増やすのは得策だ。海外の人々には日本旅行を検討してほしい。買い物も良いがぜひ真実の日本人の姿をご覧いただきたい。あなたの国で言われているほど好戦的な国民ではない。むしろ穏やかであり、国際感覚には欠けているが悪意はない人たちばかりだ。
隣国の大韓民国を始め、心の距離が遠くなってしまった国や地域の皆さんが来日して真実の姿を知っていただくことが何にもまさる友好の手段ではないと考えているのである。