雨が洗う

 住まいの近くはこのところ雨続きだ。強い雨ではないが、いつまでも止まない。地域によっては水害も出ていると聞く。

 通学途中の駅の土手に葛が群生しているところがある。この季節になると日々勢いを増して斜面を遡る。次々に広がる葉は、それぞれ大きくなって陽光を奪い合う。 

 いまその太陽は雨雲の上だ。それでも少しでもよい位置取りを目指すかのように緑が埋めていく。それを雨が濡らし洗っていく。来週はまた暑くなるという。

恩師

 大学時代の恩師が突然訪ねていらっしゃることになった。そこで酒食を用意して歓待しようとする。こんなに夜遅くどういうことなのだろう。

 なかなかいらっしゃらないことを心配しているうちに、布団がないことに気づいた。どうすればいいのだろう。出かけている母に電話で聞いてみることにした。しばらく帰れないから、番号案内に電話して貸布団屋を探せばよいとの答えを得た。そうかその手があったのか。分かったと理解した。それにしてもなぜ帰って来ないのかと尋ねようとしてはたと思考が止まった。

 先生はもう何年も前に逝去されていた。実家の母はすでに外出などできる状態ではない。なにかおかしい。

 これが夢であることに気づいて時計をみると丑三つ時だ。実に古典的夢オチである。なぜこんな夢を見たのだろうか。ここ数日の疲労感と体調異変やもしかしたら気圧の急降下が影響したのかもしれない。

 そういう科学的解釈とともに、何らかの不安が映像化したものとも考えられる。恩師に世話になっていた頃はもっとも輝いていた時代だという思いがある。懐古を通り越した回帰願望が出てしまった可能性がある。

 正気に戻って考えることは、有為転変の中で過去にとらわれることは免れることはできないという通念の確認だ。ただ、過去には戻れない。戻れたとしてもそこにすばらしい何かがある訳ではない。今を生きるしかないし、それこそが生きるということなのだ。

 夢の中とはいえ、恩師と少しお話できたのはよかった。そして今もなお教え導いてくださっていることに感謝申し上げたい。

大雨

戻り梅雨

 今日帰国した人がいたら日本は梅雨の末期であると考えるはずだ。例年この時期は豪雨になりやすい。その意味ではもとの季節に戻ったのだろうか。

 記録的短時間大雨情報というのが出されるようになった。警戒レベルのメモリが変わり避難勧告の上のレベルができたという。そのくらい最近の雨の降り方はおかしいということだろう。

 旅をすると河川の周囲にはさまざまな集落があり、豊かで美しい佇まいを見せている。しかし、これが増水時にはどうなるのだろう。今まで見た風景の全てが無事であることを祈る。

 自然災害は避けられないが、せめて被害が少ないことを祈る。

体調管理

太陽とうまく付き合いたい

 昨夜、突然めまいがして体調が崩れた。いろいろ調べてみると熱中症らしい。自室にいたのにも関わらずなんとも情けない。

 自室にはエアコンはないが隣室から涼風は届いており、サーキュレーターも回していた。この季節は日中に壁が吸収した熱が放射されるようで室温が下がりにくい。連日の猛暑で体力が落ちていること、年齢的な問題なども影響しているのかもしれない。

 この季節は例年以上に体調管理が難しい。何とか切り抜けなくては。

蝉しぐれはまだ

 約一か月早く来た猛暑の日々だが、ここまでのところ何かが違うと感じていた。それはあの騒がしい蝉の声が聞こえないということだ。数日前の新聞でも報じられていたが、同じような違和感を持っている人は多いはずだ。

 セミが鳴かない理由は簡単に言うと季節の進行の速さについていけていないということらしい。蝉が成長する前に気温が上がってしまったというわけである。昨日の朝、私の住まい近くでは多くの羽蟻が発生した。ようやく昆虫の世界が季節に対応し始めたのかもしれない。

 セミのいない夏が終わり、まもなくセミの鳴く夏が来る。まだ暑い日が続くのかもしれない。いろいろな意味で調子を外しそうだ。変な季節を楽しむしかあるまい。

夏の宿題

計画は立てないよりはまし

 教員には夏休みがあるという人もいるが意外に夏は忙しい。合宿の引率が入ると24時間営業のn倍の労働があるし、部活動顧問としても時間外労働が課せられる。決して休めるわけではない。

 とは言っても、日常の多忙さからは軽減されるので夏はインプットの機会として活用することにしている。仕事関係の本5冊とそれ以外5冊は読みたい。この中にはテスト問題を作る素材探しは含めない。地域との関わりを考えて、何らかのイベントに参加したい。とりあえずは客として行くだけでいいが、その後はボランティア参加できるものを目指す。

 一向に上手くならないギターやウクレレの曲を3曲は仕上げたい。仕上げるというのは人前で聞かせられるレベルにするということだ。

 このブログのアクセスを10倍にしたい。芸能ネタ等を使わずに、今のような随筆で人さまのお役に立つものを書くにはどうすればいいか。考えていきたい。10倍というとものすごい感じかするが、かける前の数が微少なのでそれほど増える訳ではない。

 といったことを私の夏の宿題とする。宿題はたいてい終わらないものだ。終わらないときは何とかしなくてはならないものだ。これは教員が言ってはならないことだった。

サクラ

充電設備が鍵

 日産自動車の電気自動車サクラは価格が抑えられたこともあって、普及が考えられる。課題は充電用のインフラが十分でないことだ。

 電気自動車が環境対策の最適解なのかという疑問は消えないが、少なくともヨーロッパからはガソリン車はなくなっていく。日本も時代の流れにはついていく必要がある。水素エネルギーの開発などの次世代技術を進めながらも、近未来的にはEVの時代を通過することは間違いない。トヨタも大胆な電気自動車化を発表しているが、日産の動きは速い。LEAFは先駆的だが、価格が高すぎる。中国の格安の電気自動車や韓国の比較的高性能な電気自動車は日本の先を行っている。

 日本の電気自動車といえば三菱のアイミーブという先駆的存在がある。これも軽自動車の車体であった。三菱を傘下に置く日産に技術者が合流したこともこの流れに何か関係しているのだろうか。日本の風土には軽車両があっており、一定の需要がある。今回のサクラは軽といっても大きめの車両である。安全性とエネルギー系のインフラが確保できれば普及も考えられる。

インボイス制度

的確な領収書作れますか

 徴税の徹底化を目指したインボイス制度には個人や中小企業への配慮が欠けているという。多くの人が関わることになるが実態は知られていない。

 商品の販売に関して税金分を加味した売買がなされたことを示す領収証の作成が義務付けられ、それがないと小売店などの納税申告義務のある業者は、仕入れにかかった税も含めて払わなくてはならなくなる。ここまではよいのだが、問題点もある。

 1000万円以下の収入の零細企業や個人からの購入の場合、申告業務がなかったので適格な領収証を発行する必要がなかった。インボイス制度が始まれば、こうした事業者から購入すれば税制上の免除は受けられないので、的確領収書が出ない相手との取引は控えるようになる。経理にかかる費用とスキルに関して不利な立場にある者には厳しい制度ということになる。

 まずは簡単な経理のツールを普及させたり、安価で経理を肩代わりするシステムが必要だ。デジタルトランスフォーメーションが必要なのは分かるがある程度道を示してから制度化するべきだ。最近この手の強引な手法が多いように思う。

人任せにはできない

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 残念ながら安倍晋三氏は逝去されてしまった。心から哀悼の意を表したい。国のために生きた政治家として尊敬する。容疑者が政治信条に対する恨みではないと述べているらしい。宗教団体の幹部を狙ったなどとも言っている。もしこれが本当だとすれば、この何とも訳が分からない者の手によって元首相が殺害されという事実が悲しい。理由が何であれ、暴力で現状を変えることは間違いだし、絶対に許すことはできない。

 安倍氏はマクロ経済に着手することで日本の国力の復活を目指したのかもしれない。結果的に復活はせず、国民は金融政策に守られているという安心感だけを得て、成長ができないまま停滞してしまった。既得権を持つ者の利益はある程度守られたが、新興の個人や企業には厳しい政策を続けている。その流れはいまも続いている。結果的に安倍氏の目論見は達成できないままだった。

 金利を下げ、金回りをよくするだけでは経済は動かないという事実が、安倍政権以降の政策で明らかになった。これは残念ながら、いかんともしがたい事実なのだ。日本の将来のためには別の方法がとられなくてはならない。新しいものを生み出すことに価値観を見出し、それを応援することができる社会的なコンセンサスが必要だ。

 安倍氏が結果的に命を懸けて変えようとした日本の状況を私たちは引き継いでいる。残念ながら政府に任せていると同じ事が繰り返されるだけだ。まずは国を変えるという意志を持たなくてはならない。おそらく最も優先しなくてはならないのは自分たちの未来を人任せにしないということだろう。日曜日の参議院選挙の投票はそのための第1歩だ。

あってはならない

 安倍晋三氏が選挙演説中に銃撃され、現時点で意識が不明という。わが国で起きてはならないことだ。暴力では何も解決しない。日本もここまで落ちたということかとがっかりする。

 アベノミクスには確かにさまざまな問題があった。その影響は多大なものがあり、今後もその負の遺産を引き継ぐことになる。ただし、それと政治家の命を狙うのとは別だ。憎しみを晴らすことも、問題を解決することもできない。残ったのは国民の失意の増大だけだ。

 衰退する日本の中でどのように幸福を確保していくのかは、様々な知恵が必要だ。もっと学び行動していかなくてはならない。でもその中に暴力の選択肢はない。