観光地として

自分の住んでいる場所を観光地として集客せよという課題は面白い思考実験だ。ぜひやるべきだと思う。

歴史的な遺跡なり、歴史的建造物があるならばこの課題は容易にクリアできるかもしれない。問題は取り立てて他と比べるものがない場所の住民だ。

その場合は価値を創出しなくてはならない。イベントを継続的に行うのはその手段の一つだろう。しかし、実現可能なのだろうか。テーマパーク的なユニークな施設を作るのも手だ。誰が出資し継続的な収益が見込めるのだろうか。

 難題ばかりだが考える価値がある。何でもない場所を魅力的なものにできたならこの課題は達成するできたと言える。分からなくてもいい。考える価値はある。

公園の役割

 子どもの声がうるさいからというクレームで公園が廃止されたというニュースがあった。その後の報道をたどるとどうもこれは極端な伝え方であったようで、クレーマーと言われた人の言い分も理解できない所はないし、行政の在り方にも問題があったようだ。そもそも、公園としての使用期限がもともと決まっていたらしい。

 公園が単なる共有地としてあるのなら、それをどのように使用するのかということについて考え直さなくてはならない。子どもの遊び場という意味以上のさまざまな役割がある。国土交通省都市局公園緑地景観課によると、良好な都市環境の保全ため、災害時の避難場所、延焼防止、などの災害対策、市民の活動、憩いの場、賑わい創出や観光拠点として地域活性化の役割などを挙げている。公園といっても数坪の狭いものから広大な敷地があるもの、なにもない場所から歴史的な遺跡等を有するものまでいろいろあるので一概には言えない。公共の場所ということだけが共通する。

 都市の中の公園に限れば、交流もしくは相互扶助という側面を今後活用してくべきだろう。少子高齢化社会のなかで従来の社会システムが機能しなくなりつつある。それを補うのは地縁による助け合いということなる。その拠点の一つが公園だろう。以前公民館のことを考えたことがあったが、それよりも簡単にできるのが公園の利用だ。屋外や簡易テントなどでできる交流のきっかけを地域行政は提供し、それを行う団体を支援するべきではないだろうか。

 公園が魅力的な場所になるならば、冒頭で触れたような厄介な空間という扱いではなくなる。

新薬

アルツハイマーの症状を緩和する新薬がアメリカで承認された。日本の企業のエーザイが開発に絡んでいるとのことで期待されている。

ここからは妄想だ。新薬の価格はかなり高価で、今のところ誰でも使えるわけではない。日本の場合は保険の対象になる可能性はあるが全額は出ない。するとこの薬は富裕層に独占され、それ以外は恩恵に与れないことになる。

 すると、天命を全うし、健康年齢を活用できるのは限られた集団のみということになる。この妄想はおかしい。罪深くさえある。しかし、もし事実ならば未来はどうなるのだろうか。

新薬がもたらす新世界の幻想はこれまでもSFの世界では常套的な構想だが、それが近い将来に現実になるかもしれない。妄想だが。

欧州は暖冬

 東京は乾燥して寒い日が続いている。北海道や日本海側の一部では例年以上の積雪があり、死傷者まで出ているという。

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 その一方で欧州各地は記録的な暖冬で雪が降らずに困惑する地域もあるらしい。ウクライナ情勢からエネルギー供給に不安がある状況においては暖冬を幸運と見る向きもある。ただこれが人為的要因による気候変動の現象なのではないかと考える人も多く、大いなる脅威とされている。

 西洋の思想の根源には自然は人間が制御しうるものという考え方がある。その手段として科学があり、それに基づいた技術が制御を実現するのだ。そういう背景のある人々にとって制御不可能な気候変動の現実はあってはならないことで、さらに高次の技術が必要だと考える。最近はその傾向が顕著になっている。

 雪がなければ冬の観光やスポーツ関連の産業が打撃を受ける。それだけではなく、水資源の変化は農業や畜産業に影響し、内水面漁業のみならず、海洋にも何らかの関係を及ぼす。短期的な変動ならば振り子のように揺り戻しがあるはずで、バランスが取れると期待できるが、もし振り切って止まった状態ならば、と考えてしまうのだ。

 昨年末はアメリカで大寒波の報道があり、日本でも大雪の被害が断続的に続いている。これらが一連のものなのか。いわゆる気候変動と関係があるのかについては短絡はできない。ただ、ここ数年異常気象が国内外で報告され続けていることには注意が必要だと言える。

山手線

 渋谷駅再開発に伴う工事のため、今日は山手線の大崎から池袋の間が全日運休している。渋谷、新宿、池袋の主要駅を含む区間であるため、土曜とはいってもかなりの影響が出るに違いない。

 山手線は地元では「やまてせん」とも呼ばれている。山の手の意味が分からなくなった時代から読みが怪しくなったのだろう。東京の土地の格を言うときにこの環状線の外か内かで区別する考え方がある。これは根強い一種の固定観念だ。

 一周するのに約1時間弱かかるはずだ。誰もそれは気にしない。一周通して乗る人などいないからだ。私は学生時代それをしてしまったことがある。と言っても意識がなかったので正確なところは分からない。一周以上したことは確かで、なぜか大崎駅で起こされ、もう今日の運行はすべて終わったと言われた。幸いその時は比較的近くに住んでいたので深夜の行進は遭難せずに終えることができた。これを片手では足りない回数繰り返した。自慢することではない。

 山手線などのことを国電と読んだり、ごく短い期間だがE電と呼んだことを知っている世代はもう多くはないのかもしれない。翁さびてももっと先輩からは緑でなかった頃の山手線を知らないくせになどと言われそうだ。

 東京のことを知らない方には何のことか分からないだろう。地元民に取っては東京の電車のナンバーワンであり、いろいろな思いを乗せた鉄道なのだ。それが今日止まったということには意味があるのだ。

疲労時の判断

 疲れているとき大きな間違いをおかしやすい。そういう経験をいくつも重ねてきた。その理由は何か。

 冷静になれなかったからという考え方は間違っていない。確かに疲れた頭で適切な判断をすることは難しく、それが失敗に繋がると言えそうだ。だがそれだけではあるまい。自分では落ち着いていたはずなのにと思うこともある。

 記憶の一部が阻害されるからという別解を考えている。ある程度の披露が蓄積すると、記憶の蓄積量が減り、目の前のことしか判断する材料がなくなる。普段なら過去の経験から、止めた方がいいと判断する選択肢を選ぶ可能性が高まるのではないだろうか。

 私たちが何かを考えるとき、常に目前の対象とともに過去の経験との照合を続け、最適解を探している。それが疲労時にはできなくなるのではないか。

 ならば重大な決断は疲労時に行うべきではない。時間のおいて再考すべきだ。どうしても決めなくてはならない時は、疲労する前に日常的判断のルールを決めておき、それに従うというやり方にするのがよい。

 経験的印象に過ぎないが記憶が体力に左右されるという事実は間違っていないはずだ。

家でアート

 グーグルのサービスの中でもっともいいと思うのはアート・アンド・カルチャーのサービスだ。スマホのアプリにはAR(拡張現実)で美術作品がカメラのファインダーにほぼ実物大で現れるというサービスがある。これがなかなか面白い。自分の部屋が展示室になるのだ。これは面白いのでお勧めしたい。

散歩

 近隣を散歩すると新たな発見がたくさんある。いつもは歩いていない道にあえて踏み込むとさまざまな気づきが生まれる。

 私の住んでいる所は県境や市境が複雑に入り組んでいるので、少し歩けば他県に行ける。また、さらに歩けばほかの市にも行ける場所だ。県や市が変わったからといって何があるというわけではないが、それだけで何か一種の旅人になったような気になれる。

 車で通りすぎると気づかないことがたくさんある。道の起伏に関しては車ではほとんど分からない。結構な坂道だったり、実は緩やかな下りであったりする。歩いてみて分かる。地形はその場に立ってみないと分からない。

 神社や仏閣、それに小祠の類を見つけるのも散歩の楽しさの一つである。しかも、それに拝礼していく人を見つけると、日本人は無宗教だという指摘が当たらないことを確認できる。一神教的な尺度では宗教心は測れない。そしてそれらのパワースポットが残されているがゆえに保たれている小さな未開発地帯がある。自然ではなく、聖地として整え続けられてきた場所というのが正しいのだろう。

 散歩の楽しみはいろいろある。どうしてこれを続けないのだろう。この面白さを覚えていられていられないのはなぜか。日常生活がすぐに塗りつぶしてしまう楽しみを時々思い出したい。

異次元

 首相の年頭所感表明に異次元という言葉が何度か使われた。この言葉は日銀総裁の金融緩和策に関して使われてきたのであまり印象がよくない。無理やりやって効果はあまりないという先入観ができている。首相の言いたいことはもちろんこの意味ではなかろう。ただ単なる誇張表現ならば無意味だ。

 次元という考えはそれを特定するための座標軸との関係で語られる。私たちの生活する世界は縦と横と高さの3次元でできていると言われる。よく聞く2次元とはそこから高さが失われた世界であり平面的なものである。漫画の登場人物を2次元の人物というが、実際には紙にもインクにも厚みがあり、本当は3次元だ。

 異次元という言葉には異世界と同義で使われる例もある。同じ3次元でも全く状況が異なる平行世界である。そのもどきをメタバースで実現しようとしている。これは先の異次元とは大分趣きが違う。現実逃避の意味合いも内包するのがこの意味の異次元だ。

 首相が仰りたかったのはそのどちらでもない。いままでとはまったく別の価値観、思考法で考えるということだろう。言うことは容易いが果たしてそんなにうまい話はあるのだろうか。少子化対策と言いつつ、結局は補助金をばら撒くだけならまったく同次元だ。具体的に何をして、それにどのような実効性が期待できるのかをリーダーは示さなくてならない。

 現代の日本人は陳腐な誇張表現に慣れて鈍感になっている。どうせ口先だけだろうとも思う。口説の人が横溢する中で本当の手応えを求めている。内閣の人事のゴタゴタを解決して真のリーダーシップを示してほしい。増税の可能性を表明した度胸は認める。やるべきことをやっていただければ評価する国民は多いはずだ。選挙前の人気取りならばいらない。

惑星

 このところ夜空を見ると月の他に火星、木星が輝いている。すぐに沈んでしまうが土星も見える。夕刻には金星、そして私の住まいの近くでは無理だが低く水星も出ているらしい。冬の恒星は明るいものが多く、随分賑やかだ。しばし凍えるのを忘れて仰ぎ見てしまった。