支払いのデジタル化

 バーコードを出して買い物をする機会が増えた。ポイントをつけるものと支払いのものとか別のアプリになっているものもある。また、統合して一回の読み取りで済むものもある。

 会計のデジタル化の最終段階は顔や指紋などの認証と会計システムとを組み合わせることだろう。非常に便利だが、非常に気味が悪い。監視されていることを自ら許すことになるからだ。それでも最後はここにたどり着くであろう。

 現時点でもバーコードを出すことだけで時間がかかり手間取ることが多い。支払いのデジタル化は段階を踏むべきだが、今のままではいかにも中途半端だと言える。

詩歌

 詩歌は昔から好きで今でも駄作を作り続けている。なぜかといえば、詩歌にしか表現できないものがあるからだ。

 論理で説明することは。大事だが、それだけではどうしても表現できないことがある。そんなときは俳句であったり、短歌であったり、自由詩が気持ちをすくい上げてくれることがあるのだ。

 だから、いくら下手くそでも作り続けている。その器にしかもれないものがあるのだ。

新機軸

 新しいことを始める際には、いままでの経験を敢えて変えてみることも求められる。改善が原則だが、敢えて逆を試してみることも必要だろう。

 効率性なり生産性を重視ししすぎると冒険ができなくなる。一時的に起きる損失が大きい場合は特に躊躇する。致命的な失敗にならないのかと心配してしまうのだ。この範囲に留まる限り、新しいことはできない。

 逆に言えば新機軸を見つけるためには損失を覚悟して、更にその先を考えることが必要ということだ。始めなければ何も起こらない。まずはやってみよう。

 できたことを記録していくのも励みになる。それもやってみる。

音声入力

 今回は音声入力を利用してブログを書いている。 音声入力の精度はかつてと比べるとかなり良くなっている。 ただ日本語には同音異義語が多いために、なかなかうまくいかないことも多い。

 音声入力をしている場面はかなりおかしい。スマホに向かって独り言を言っている。 かなりな変人だ。それでもこれからはそういう場面に多く出会うだろう。

 ここまでの入力で、同音異義語や句読点が出てくるたびに引っかかっている。でも、それ以外の入力は比較的うまくいっている。私のようなだみ声で滑舌が悪くても入力できている。結構これは使えるかもしれない。

 音声入力で必要とされる能力に文字が正しいかどうかを見定める漢字力、表記力がある。この意味において漢字のテストの役割はまだ終わっていない。音声入力は意味のつながりを考えておらず、単に可能性の高い変換をしているのに過ぎないのだ。

 もう文字を覚えなくてもいいとか文章は機械に任せるとかそういう考えは今のところ通用しない。今後、さらなる技術の飛躍があって、音声入力がほぼ完璧になされるようになったら、次は話したまま、文章として成り立つように文章が組み立てられる能力が必要になるのだろう。

 どこまで行っても国語能力が必要であり、そうである限り文字を書き文章の構成を考える学習は必要であり続けるはずだ。

新しい試み

 脳科学者が発言する言葉にはどこか超科学の香りがする。もちろん、実証に基づく理論であることは分かっている。ものを考える仕組み自体を考えるという段階において私には手に負えない。

 だから、言われたことをある程度は鵜呑みにするしかない。最近気にしているのは前頭葉の衰退をいかに避けるかである。これは何か新しいことを行うときに活躍する部位であるそうだ。経験に基づき習慣化した行動をしているときは不活発になるという。脳が老化すると前頭葉の働きが落ちるらしい。

 これを避けるために新しいことに臆せず挑戦することが必要ということだ。失敗を恐れてはならない。その失敗経験が前頭葉を活性化するのだとか。ブラックボックスの部分を検証できず言いなりなのだが、結果的にはいまの私には向いている助言のようだ。日々これ挑戦。

地方都市

 人口減少が進むと都市への人口集中が起きやすくなる。インフラの効率化などを考えると、コンパクトにまとめた方がいいというのは理に叶っている。ただ、そこで気をつけなくてはならないのは多様性の損失だ。

 極論をするなら札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡に人を集めて、さらにそれを東京に集約するような流れを考えている人もいるだろう。その時代はそれで乗り切れるとして、持続可能な未来があるのかと言われれば大いに疑問だ。

 産業的に考えれば、地方の都市が果たしてきた役割を今後いかに代替するのかが考慮されていない。林業や農業、水産業に関することを担当する人は誰なのだろう。

 コンパクトに住む効率性の中で失われる多様性は大きな損失だ。色々な考え方なり行動様があって多彩なアイデアが生まれる。それが文化の力だ。

 ならば地方都市をいかに存続させていくのかが当面の課題と言える。単に巨大都市を作ればいいという訳ではないのだ。

低温乾燥

 このところ気温が下がり乾燥した天気になっている。風邪をひく人が増えた。問題は乾燥の方で様々な健康障害をもたらすようだ。

 寒さにはある程度耐えられるが、乾いた空気がいかんともしがたい。雪国から来た人は多くがこう話す。体感に大きく作用するのは湿度の低さであるようだ。肌の表面から感じ取る冷たさの度合いが変わる。

 喉の乾燥はウイルスの感染にも関わるようで、コロナウイルスだけではなく、インフルエンザも同時流行の気配があるという。しばらくは辛い季節となる。

卯年にむけて

Photo by Anna Shvets on Pexels.com

 来年は卯年である。ウサギにかこつけて飛躍の年という人がいる。またボウの音が古代の「茂」の音に通うところから、植物が繁茂している状態になるということもあるようだ。そこから繫栄なり、発展なりを連想する向きもある。

 いずれも後付けの説明のようで、本来は子から数えて4番目を意味するだけの記号であったというのが事実に近いらしい。ベトナムではウサギではなくネコの年らしい。何を当てるのかも民族によって違うのだ。

 でもそれが非科学的であろうと、歴史に基づかない民間語源説であろうと信じる者は救われるのかもしれない。ウサギのように飛躍し、植物が生い茂るように自分の夢を広げていく、そんな1年を期待する。

 年賀状に「卯」の字を書きながら、思うのは自分はもちろん社会の飛躍と安定である。

虚礼ではなく

 年賀状を書く季節になった。先輩の中にはこれで賀状交換は終わりにしたいとおっしゃる方もいる。寂しいが仕方がない。これはもともと義務でやるものでもないし、いわゆる義理でもない。いわゆる虚礼にならないように私も方針転換をする。つまり、来年からは出したい人だけに出すことにする。

 これまでは仕事上の関係とか、公平性(?)とかいろいろ忖度して賀状を書いていた。これからは年齢や経歴や過去の関係とかを考えずに出したい人にだけ出すことにする。それが虚礼ではなく本当の挨拶だといえると信じることにする。だから、一枚にかける時間は長くし、思いをしっかりと書く。それが書けない人には出さない。この方針で行くことにする。

 私から年賀状をもらったらきっと「読み応え」はあると思う。ただ、それも相手がどう思うかは様々だ。それは気にしない。挨拶したい人だけに丁寧にあいさつする。それが私の方法ということだ。このくらいのわがままは許される年齢にはなっていると思う。

アニメソングは永遠

 アニメの主題歌の世界では第一人者の水木一郎さんが亡くなった。肺がんだったという。その歌声は子供のころから聴いており、誰もが代表作と考えるであろうマジンガーZのほかにも宇宙海賊キャプテンハーロックなどの歌唱も印象的だった。仮面ライダーやウルトラマンシリーズなどいろいろな曲でその歌声を残されている。

 子どものころに繰り返し聞いた曲はなぜか忘れない。簡単でドラマティックなメロディーラインということもあるのだろうが、それ以上に感情をこめて歌っていたこと、つまり歌の世界にのめりこむことができたことが大きく関係しているようだ。

 アニメソングはその意味で私たちの世代の底層にある何かであり、それはこれからも変わることがない。若者の曲を聴いているときもこのメロディラインはどこかで聞いたことがあると思うとき、それがアニメソングであったりする。ならば、日本のポップ音楽の典型を示す何かが含まれているのかもしれない。

 水木さんのご冥福をお祈りいたします。夢と勇気をありがとうございました。