投稿者: Mitsuhiro

説明できること

 何が正解なのかは分からないけれども、それが正しいであろうと他者のほとんどに説得できることが大切になっていると考えます。

 決まった答えはないというと、何でも答えになるかのように受け取られ、ならば考える必要はないとまで考えてしまう。しかし、答えはないのではなくてやはりあるのです。それが何であるのかいまのところは決められないというだけです。

 決まった答えがない問いに対しては、自分がこれこそは正解だと考える答えを考え、それに同意してくれる人を増やすことができるのかが肝要となります。そのスキルこそこれからの社会で必要な能力です。

 読解力の低下がピサの試験で明らかになりましたが、人に自説を説得する能力は読解力と表裏の関係にあります。危機感をもって教育にあたる必要を感じています。

夏休みまで待てるか

教員の長時間労働を法的に容認するかのような法案が国会で可決しました。超過勤務を認める代わりに、夏休みなどの閑散期にまとめて代休を取得できるようにするというものです。あまり教育現場に詳しくない方が考えられたのでしょう。

 閑散期的なものとして思い浮かぶのが夏休みなどの長期休暇です。授業がないので教員は暇なように感じる方もいらっしゃいますが、教職員は夏にいろいろな仕事をしています。部活顧問であれば、練習の監督、指導、試合やコンクールへの引率、合宿あれば二十四時間労働になります。研修は自主的なものが多いのですが、教育としての技能を高める大切な機会です。

 法案の問題点として休みをまとめて取れば事態が解決するかのように考えていることがあります。総体的に労働時間の問題が解決されたとしても運用していくうちに必ず問題が発生します。果たして長期休暇まで休まなくてもよいのか。私たちは日々の過労に耐えられるのかということです。

 実際にはほとんど存在しない閑散期と、非現実的な休みだめ策は、現場の実状から著しく乖離しています。教育のことを考えるならば、教科教育担当者と、生活指導担当者、教育経営担当者を分業してそれぞれの技能を高めるとともに労働時間を限定することの方がうまくいく気がします。

メンテナンス

 様々なテクノロジーが発展する状況の中で、改めてインフラとセキュリティの問題が気になります。

 駅に設置が進むホームドアは転落事故を防ぐための大切な装置であり、東京のような混雑が激しい地域では必須のものと考えます。ただ、多くが後付けのため、エネルギーを伝えるケーブル類が露出しており、経年劣化や人為的損傷を受けやすい状況にあります。装置のメンテナンスも継続していかなくてはなりません。

 他にもさまざまなテクノロジーが普及する中で持続可能性がより一層注意されなくてはならないと感じられることが多数あります。道路や橋脚の劣化が大きな事故に繋がった事例は国内外に多数あります。今度は新たなインフラがやがてまきおこすかもしれない災禍の可能性を常に考えておかなくてはならないでしょう。

 便利なものを使い続けるのにはそれなりの努力が欠かせないのです。

愛国心もしくは愛国民心

 所得格差が広まる中で改めて必要になってくるのが愛国心だと考えます。正しく言えば愛国民心とでもいうべきものかもしれません。

 所得格差は国民の中に分断をもたらし、幸福感を下げ治安維持にも関係を及ぼします。資本主義社会の中で所得に差がつくのは必然ですが、それが大きく、かつ固定化すればもはや民主主義が維持できなくなるはずです。崩壊の前兆を感じる前に手をうたなくてはなりません。

 富裕層にこれ以上の課税をすると資産の国外移動が起きるから、広く薄く課税した方がよいという意見があります。一理ありますが、納税能力に差があることを知りながら、平等に課税するというのは実は平等ではないことは明らかです。

 たとえばあり得ないことですが、私が巨万の富を得たとして、累進税の最大限度の課税をされたならば、やはりいい気にはならないでしょう。自分で稼いだ金なのにと思うかもしれません。ただそこで考え方を変える必要があります。その富の出所が他者であるということを知らなくてはならないのです。

 財産が自分の才覚だけで得られたものという錯覚は誰にもおきます。それを抑えるのはやはり広い意味での教育の力なのではないでしょうか。自分たちが暮らす国の仕組みを理解し、その中で生かされている事実を知るべきなのです。学校のみならず、社会全体が健全な愛国心を持っていることが資本主義社会の条件だと考えます。

師走始まる

 今年も最後の月に入りました。最近、身の回りにいろいろな変化があって体調が今ひとつなのですが、やるべきことを少しでもやっていくしかありません。師走はある意味、総括の期間であり振り返り、前を向く時期です。私なりにやっていくつもりです。

西向く侍

 気がつけば11月も最終日です。小の月を覚えるのに西向く侍という覚え方がありますが最近は知らない人も多いかもしれません。

 小の月を並べてみると二四六九と十一月になりますが、最後の十一という漢字を縦書きにしてくっつけると武士の士に見えることから、侍と読んで語呂合わせをしたものです。侍が西を向いているという状況に無理はなく、何らかのストーリーさえ感じられますので覚え方としては上出来なものです。

 小の月は何か一日損をした感じになることがあります。もう一日(2月ならばもっと)あるはずなのにそれができないという感覚です。逆に得したと思うこともあります。月俸制の人にとってはプレゼントのように感じるでしょう。何ごとも考え方次第です。

 小の月のつごもりの翌日は時計のカレンダー合わせの日でもあります。日付表示機能のついている腕時計はこの日に竜頭を回します。もっとも最近の時計はカレンダー調整を自動でやってくれるものが多いのでこの作業は減りました。

 月の長さが一様ではないことは、私たちの生活が単純には割り切れない自然の摂理に基づいていることを思い出させてくれます。これは意外と大事なことなのかもしれません。

寒さ加速

 今朝は氷点近くまで気温が下がっています。放射冷却の朝が始まりました。

 久しぶりの日射しは乾いて冷たい空気を照らしています。その眩しさの割りにはエネルギーが足りないのか温もりは限定的です。コートを着けても寒さがしみ通る感じがする体感です。

 この寒さのせいか私は少し体調を崩してしまいました。風邪でもなく咳も出ないのにとても不思議です。ここは確実に回復しなければと考えています。

改札はなくなるのか

 JR東日本は現在のようにSUICAなどのICカード型乗車券を認識するための方法をタッチ式ではなく、通過するだけで認識する方法を開発しているそうです。いちいちカードやフェリカを鞄から出さなくても通過するだけで認識できる方法になるとか。最終的には改札はなくなる可能性すらありそうです。

 かつて改札と言えば駅員が鋏を入れてくれる場所でした。常に鋏の音を響かせているのは昔の駅の当たり前の風景であり、切符に入れられる鋏の切り跡は駅によって形が違いました。その後スタンプになり、今のような無人改札になったわけですが、昔を知らない若者にはおそらく想像がつかない風景でしょう。

 JR東日本が進めるさらなる展開は、人口減少による人手不足や人件費削減策としておそらくすぐに広まっていくでしょう。すると改札は通過するゾーンというだけになりそうです。顔認識システムなどが組み合わされて無賃乗車は「指名手配」される時代がくるのかもしれません。

期待感の演出

 私たち教員にとっては毎日必ずしも理想的な生活ができているとは限りません。メディアで報道されているほどブラックな職場ではありませんが、残業や休日出勤が当たり前の職場環境であることは確かです。ただ他の業界と少々異なるのは強制されてやるというよりは自主的に行っている人が多いということでしょうか。もちろんそれは私の職場だけの現象かもしれませんが。

 そんな中で生徒諸君に君たちの未来は明るいぞというのにはちょっとした覚悟と工夫が必要です。先生になりたいという人がどんどん減っているのは、教員の仕事がいかに大変かを目にしているからであり、ある意味なりたくない職業の手本となってしまっているのかもしれません。教員だけではありません。働くこと全般に対して、人生を考えることに対して現在の日本社会では悲観的な側面で語られることが多いような気がしてなりません。

 それでも教育者たるもの、やらねばならないことがある。それが期待感を演出することです。生徒に勉強をさせるための手段は数々ありますが、もっとも有効なのは自分の将来に今の学習が何らかの形で役立つという実感でしょう。今はやりたくない宿題をやっていても将来はそれが基礎となって役立つときがくる。そう実感できたときにやる気のスイッチは入るのです。そのスイッチをいれるのは教員の大きな役目なのでしょう。

 私のように数学が苦手で、中高時代には苦しみぬいたものでも、いま成績処理やちょっとした表計算ソフトの関数などを組み立てる時に数学的な思考が利用されていることを実感します。もう少し数学的思考ができれば人生の損失も少なかったのではと思う場面も多数あります。論理的に物事を考えるということに数学は必要です。英語はいまだによくできませんが、職場でも英語話者と仕事をするようになり、必要な時には使う場面があります。これももう少しやっておけばよかったと思うことが多い。なによりも英語が理解できれば、英語でしかとらえることができない世界をもっと受容できたはずだったと思うと無念ですらあります。そのほかの教科についても同様のことがいえます。

 このような後悔を生徒に話すのも手だとは思いますが、それに加えて将来に学習がどう結びつくのかを具体的に示すことも大切だと思います。普段から、日常生活の各場面において過去の勉強がどのように役立っているのかを言葉として子供に示すことが大切なのでしょう。私たちは自分のやっていることをいちいち分析はしませんので気づかないことが大半なのですが、たいていの活動は中学生くらいの知識をベースにして行っているのだと思います。このことを大人はもっと子供に語る必要がある。これは教員でなくてもできることです。

 われわれといまの中高生との大きな違いは、将来の職業観に決定的な差があることです。昭和世代の学習目標はよい大学にいけばすばらしい人生が待っている、ということに集約できました。学歴がかなりの度合いで人生を決めていた時代だからでしょう。でも、いまの若者は常日頃から次のようなことを聞かされています。「今ある仕事の大半はなくなる」と。

 AIが発達し、やがてシンギュラリティが訪れるといまある常識はほとんど通用しなくなる。勉強することも意味がなくなるのではないか。無理して漢字を覚えなくても、英単語を学習しなくてもいい。計算練習なんて無意味だ。みんなコンピュータがやってしまうのだと。

 そういう時代が来るのは避けられないとしてもやはり基礎的な学習はしなければならない。精巧なロボットができてもそれを操るのは人間でなくてはならない。操られる側になってはいけないんだという危機感を生徒に伝えなくてはならないと考えるのです。期待感というよりは危機感になってしまいますが。

 整理します。生徒の学習動機を促進させるさせるために教員や親、社会の人々全体で、子供たちの未来への期待感を演出していく必要があるというのが今回の趣旨です。大事な後継者を育成するためにも大人がへこたれていてはいけない。いまある基礎学習を大切にして、次の時代きり開く叡智を生み出すきっかけにしてほしいというメッセージをさまざまな形で出し続ける必要があるのです。

曇止め

 今朝はかなりの冷え込みです。これから気温は上がらないようで、ほぼこのまま夜を迎えそうだということです。風邪やインフルエンザの流行も間近でしょう。

 マスクを着けると眼鏡が曇るのが厄介です。曇りにくいマスクというものも売っているようですが、いつも用意できるとは限らない。そこでネット検索してみると警視庁の推薦する方法がヒットしました。

 マスクの上辺の折り込むかティッシュを挟むという簡単なものです。折り込み式は曇りの度合いを軽減しますが完全には防げません。ティッシュを使う方法はものぐさの私には向いていません。いずれにしても大切なのはうつむかないことです。水滴となった吐息を眼鏡のレンズが受け止めないようにすることが肝要なのです。

 昨年までは眼鏡をかけなかったので気にならなかったのですが、これからの季節はちょっとした対策と姿勢を正すことが必要だと分かりました。