投稿者: Mitsuhiro

ロックダウンが正しいのか

 日本の各都市にはロックダウンは出されていません。世界の主要都市が法的に外出禁止を促しているのに対して日本はまだ各人の自主性に任されています。ただ、今日は日曜日ですがほとんどの大型商業施設やエンターテインメント業界、プロスポーツの試合は中止されています。一方で生活必需品を販売するスーパーやコンビニは開業しています。また個人商店や小規模経営のレストランなどは開店しています。よって食料のライフラインに異常はありません。公園に行くと人々はマスクをつけて歩いています。

 日本のこうした方法について批判も出ているようです。今回の新型肺炎はステルスの性格があるようで、多くの感染者には無症状か軽症で済み、それが重症化する要素を持っている人に感染すると悲劇が生じるというのです。これはこのウイルスの病理的な現実であり、尊重しなければならない情報でしょう。感染地域に住む若者が自身の身体には何の異変もないのに、里帰りした先で高齢者に感染させて結果的に重症者を出してしまうということが現に起きています。

 ロックダウンという強制的な方法は短期的な施策としては有効なのかもしれません。ただ、これを続けていくことは不可能です。経済活動が止まれば弱者から痛みを受けていきます。社会保障をするといっても即効性があるとは限りません。私は甘いかもしれませんが、社会活動を継続する方向を模索するべきだと考えています。そのためには今回のウイルスに対して脆弱な条件を抱えている人を保護することが必要になってきます。そのため、年齢や既往歴などに応じて保障の度合いを変えていくことが必要です。こういった方々は一概には言えないものの、経済的に不利な状況にあると考えられますので積極的な援助によって社会から非難していたける仕組みを作るべきではないでしょうか。

 ただ、これは差別などの人権問題を多分に誘発する問題になりそうです。期限を決めた緊急措置であることを周知させて行うべきでしょう。またもっとこの病魔に対する情報を国民が共有する必要があります。私はロックダウンはできて3週間程度ではないかと勝手に考えています。次の手を考えるべきです。

俳句でも

 俳句は有季定型の文学であり、情ではなく景を描くことによって、結果的に作者の感情を表現する文学です。ある景物にどのような感情を抱くかは民族性や地域性があり、それがこの文学のローカルな一面を作り出しています。

 俳句という言葉自体はグローバル化しており、haikuは世界語となっています。極めて短い形式の中で行なわれる文学表現という行為は民族を越えて広がっていることになります。

 俳句の楽しみ方の基本は句会ですが、この句会システムはデジタルとの親和性があります。無記名で提示された作品の中から気に入った作を選び、最後の披講で作者がわかるというのはとても分かりやすい。これをたとえばG-Suiteを通して生徒諸君との間でデジタル句会を行うことも可能かもしれません。

 俳句には吟行という楽しみもあるのですが、集まれない近づけないいまではせめてデジタルで句会でもなどと考えてしまうのです。

乱世型

 人にはいわゆる乱世に強いタイプがあるようです。ルールが固まる前の混沌とした時勢に台頭する人材です。問題が多いですが魅力的でもある乱世型の人物こそ、いまの社会に求められているのかもしれません。

 価値観やその評価法が固定すると、社会は安定します。無駄な活動の少ない効率的な社会組織が理想とされます。平時はこれが理想なのですが、システム自体が機能不全に陥ると、社会全体が危機的状況に没入してしまうのです。その救世主になる可能性を持つのが乱世型人材です。

 救世主待望論は独裁者などの誕生を助長した歴史もあり、慎重にならなくてはなりませんが、それでもやはりなんとかしたいという気持ちがあります。時代にあった人材を育成するのが教育に携わる者の使命なのかもしれません。

協力

 昨今の状況でもっとも懸念されるのは組織の機能不全です。指示系統が整っているときにはうまく動く組織でも、非常事態では立ち行かなくなるということがあるかもしれません。

 そこで必要となるのはあらゆるケースでのシミュレーションをしておくことです。例えばリーダーが動けなくなった場合は、誰が指揮を取るのかを決めておくことです。でも、現在のような予測不可能な事態になったときは、次の手、その次の手では対応しきれない。

 大事なのはすべてのメンバーの危機管理能力をあげることしかありません。上司に求められるのはメンバーからの提言を尊重する風土を培っておくことなのでしょう。そして失敗したときはその人のせいにはせず、組織として受け止めることです。

始まるのか

 東京都立高等学校ではウイルス感染予防のための休校を5月の連休まで伸ばすことを検討しているとのこと。実施されると2ヶ月以上の休校となる生徒も出ることになります。

 東京都で新型コロナウイルス感染者が増えているのに対して都知事は週末や夜間の不要不急の外出の自粛を要請しています。周辺の自治体も追随しています。海外のような法的拘束力はありませんが、それでも人の流れは大きく変わりました。

 学校もそのクラスタにならないためという大義名分はたちやすく、おそらく休校措置は容易に実行されるでしょう。防疫の観点からすれば妥当な措置かもしれません。

 しかし、教育を中断することの弊害は計り知れないものがあります。遠隔教育については検討価値が高いものの、ハード、ソフトの両面において無理があります。それよりも学びの習慣が崩れてしまうことの虞の方が深刻です。

 自宅での学習意欲を高める社会的風潮や、再開後のプログラムについて考えていく必要を痛感しています。

テレエデュケーション

 職場でコンピューターを使った授業の方法を実践するための講習がありました。主にビデオを使った授業運営ですが、いくつかの問題点がありました。

 生徒の発達段階や、いたずらすることに対する対策が不十分だということです。多くのソフトは利用者が対等な立場にあると想定されており、教育現場のような立場の差があるような場面に対応していません。

 後は使いようだとは思うのですが、これを使いこなすためには経験が必要だと痛感しました。図らずもIT化に迫られる事態になってしまいました。

不安軽減

 日々厳しい現実が報道されています。新型と冠する病魔の持つ底なしの不安が人々の冷静さを打ち砕いて行くことが懸念されます。まずは不安を取り除く、もしくは軽減するための具体的な行動が必要です。

 政府や自治体の要請で営業や興行を取りやめたり、削減したりした企業や団体は無数にあります。そこに一定の補償をすることは難しい。できたとしてもその後の経済活動に致命的な打撃となります。できるのは負債の返済を軽減したり、期限を先延ばしにできる制度を早急に導入することではないでしょうか。

 非常事態こそ指導者の腕の見せどころです。決断を期待します。

雪の日なので家にいて

 東京はこの時期には見合わない積雪があります。昨日との気温差が20度近くある激変で、私の住む東京の郊外でも数センチの積雪になっています。おそらくすぐに溶けてしまう淡い雪ですが、外出自粛を要請された週末にはある意味ふさわしい足止めの雪です。

 東京は積雪を想定した町づくりをしていないため、わずかな積雪でも都市機能に大きな影響があります。富山にしばらく住んでいた私にとっては、この程度の雪がもたらす影響の大きさに戸惑うこともあります。けが人や場合によっては死者も出てしまう数センチの雪は、雪になれていないが故の悲劇です。

 しかし、今回に関してはコロナウイルス感染予防のために外出する人は少なく、おそらくその意味での被害者は減るのではないでしょうか。感染予防のために密集空間を避けてほしいというのが国や自治体からの通達です。その意味ではこの雪は出かけないための抑止にはなります。

 ただ、逆にすでに感染者が出ているご家庭や病院にとっては不安を募らせる雪になるやもしれません。春の雪なのですぐ溶けるはずです。今は治癒のために休息をしっかりと取っていただきたい。そう願うばかりです。

ごまかされる外来語

 最近の流行語は残念ながらクラスタやオーバーシュートかもしれません。コロナウイルス流行がなければ認知度が高まらなかったはずの外来語です。

 clusterは葡萄の房などを表すのが原義で小集団などの意味もあります。クラスタという長音記号を省略するのは理系出身者の外来語表記に多く見られますので、この語の出自も想像できます。ウイルス騒動が起きる前は偏狭的嗜好を持つ集団、いわゆるオタクの集まりくらいの意味として拡張利用されていた言葉でした。

 overshootは行き過ぎるとか通り過ぎるといった意味らしく、想定していた以上に数値が超過してしまったときに使われています。寡聞にして私はこの機会に初めて知りました。これも電圧や力学上の世界では日常的に使われている言葉らしく、検索するといくらでも用例が出てきます。

ある大臣がツイートしていましたがこれらの語を政治家やメディアが安易に使うのには反対です。クラスタは感染者集団とか感染の可能性が高い集団などといった方がよいし、オーバーシュートは感染者急増の方が分かりやすい。感染爆発という言葉もあります。感染者の飛躍的増加を防ぐために外出自粛をというのなら、感染爆発という言葉で注意喚起した方がいいのではないでしょうか。オーバーシュートがなんだか分からない人や、オーバーシュートくらいならなんとかなると考えた人はたくさんいるはずです。

 外来語がそのまま使われるのは日本語にそれに相当する語が存在しないときなのですが、置き換え可能な語があるのに使わないのは混乱を招きます。指導者たるもの使う言葉にもご注意いただきたいと存じます。

これが本当のclusterです

手順が分からない

 あまりにもイレギュラーな状況にあって対応が難しい現状にあります。冷静さが必要なのですが、いまはうろたえるばかりです。

 決まった作業を完璧にこなすのに長けた人がいます。またそれに次ぐ能力を持つ人がいて、さらにその次の人がいて、という風に規定のプログラムをいかに効率よく正確にこなすのかということで人は評価されがちです。

 一方でそのような確たる基準がない世界に投げ出されたとき、何とかそれをやり過ごし、場合にとっては画期的な業績をやり遂げる人もいます。枠組みのない世界で以下に力を発揮できるのかということは、秩序内でのそつのない処理能力とは別の才能のようです。様々な事情で日々ルール変更を強いられる今日の情勢においては、柔軟に取り組むことができる能力が何よりも求められます。

 手順が分からない現状で何とか活路を見出すことが、今求められている能力です。ウイルス流行下の社会のありかたもそうですが、そうでなくても新たな手法が試み今後の特に地方都市のあり方については常に開拓者であり続けることが必要なのです。