投稿者: Mitsuhiro

封鎖できません

 かつて流行した映画のセリフに「封鎖できません」というのがありました。犯罪捜査のために東京のある地区を封鎖しようとした警察官がもらすため息のような台詞です。その冗談のような響きがいまは深刻な悩みとして捉えられています。

 都知事が週末の不要不急の外出は控えるようにという要請を発表しました。何をもって不要不急と断じるかは個人の判断に任されているようです。この発表にどれくらいの効力があるのかは分かりません。

 別の記事でも書きましたように東京はコロナウイルスの世界的蔓延のニュースが連日伝えられる中でも停止状態にはありません。朝夕のラッシュアワーは消滅することなく、郊外の商店街には多くの人たちが集まっています。劇場や映画館、スポーツやエンターテインメント施設は閉鎖されています。閉鎖したまま春休みを迎えた生徒諸君も町に溢れています。

 小池都知事の見解はこうした警戒疲れ、危機管理の判断停止に一定の注意力を喚起する意味はありそうです。逆に言うとそれ以上の効果は期待できない。東京は封鎖できません。

東京はこれから

 コロナウイルスの影響がなぜ日本で少ないのかというのが話題になっています。潜在的保菌者数は多いのかもしれませんが、死者は少ないのは事実です。学校閉鎖やテレワークの呼び掛けはある程度奏功しているかもしれませんが、どうもそれだけはない。

 東京の街は実は人で溢れています。マスクをする人は多いですがマスクの在庫がすでになく入手困難です。手づくりと思われる柄入りのかえっておしゃれなマスクをする人もいますがそれも限られます。そもそもマスクの防疫効果に期待できないことは多くの国民は知らされており気休め程度です。なぜ人混みの東京で感染爆発は起きないのか。

 握手、ハグなどの身体接触が少ない文化のせいだという人、花粉症に弱い身体性からマスクをつけることに抵抗がないこと、手洗いなどの習慣が子供のころから身についていることなどを指摘する人もいますが、それらも決定的な要因とはいえない。原因は分かりません。

 これから感染爆発が起きる可能性は十分にあります。悲しいことですが犠牲者も出続けるはずです。ただ、東京は簡単に封鎖はできない。おそらくは少しずつ感染してゆき、免疫を集団として持っていくという流れになるのではないでしょうか。

 文化的にも外来の要素をうまく取り込むことに長けた東京ですが、それが身体面にも応用できるのかは未知というしかありません。

桜花爛漫

 東京のほとんどの桜は満開になりました。昨日はやや冷え込んだため、花冷えががふさわしい一日でした。今年は花見の乱痴気騒ぎもなく、かえって趣のある風景が広がっています。

 桜花は豊作の予兆という信仰もあれば、疫神の発動と関係づける考え方もあります。いずれも科学的根拠はないでしょうが、この季節に人々が何を願い、何を恐れたのかを知る手がかりにはなります。そしてこの精神的伝統が響くのが今年の桜花です。

 オリンピックの延期の可能性が濃厚になってきました。様々な弊害が発生することになりそうですが、粛々と過ごしていくしかありません。いろいろな人が述べていますが、いまは現状を振り返る機会が与えられたのであると考えるべきなのです。

教員として

 なんとか新学期は始められそうな状況になってきました。しかし、ウイルス流行の峠が見えない現状ではいつまた中断するのかわかりません。たとえば関係者に陽性反応が認められた時点でおそらくまた数週間の学校閉鎖という措置になることは十分に考えられます。すると、これを機にこのような事態でも効果を失わない教育方法を考えていく必要があります。

 大前提として、発送の大転換をしなくてはなりません。教員は情報を伝達するのではなく、学習の仕方を教える存在にならなくてはいけないということです。自ら教えることができない事態が起きるということは今回の件で痛感しています。生徒が一人になってもどうやって学習すればいいのかをはっきりと示すことができることが教員の大きな役割になっているといえます。

 学習の方法論を示せばいいというわけでもありません。もっと大切なのは学ぶ意味をはっきりと伝えられるということです。今の子供達にとって学びは将来の自分の人生を大きく左右する知識とスキルの蓄積の機会です。私自身の人生におけるそれよりも今の生徒世代の方が学びの有無による人生の差は大きく出てしまいそうな気がします。もちろん格差社会は避けなくてはならないですが、現状が格差拡大に向かっている以上、獲得できるスキルや経験は若いうちに積んで置くべきでしょう。そのことを危機感を持って、しかもいたずらに恐怖を煽ることなく伝えることは教員の重大な責務であると感じています。

 根気ややり抜く力も大切であることも伝えなくてはなりません。誰もが効率よく目的を達成できるはずはない。むしろ多くの人は失敗の繰り返しです。そのなかでも挫折することなく、何度でも立ち上がる力を育てることはこれからの日本社会にとってはもっとも重要なスキルであると感じています。これを伝えることも重要です。

 仲間と協力することの大切さも伝えなくてはなりません。一人の力では如何ともしがたい現実が若い世代には待ち受けています。その中で必要なのはともに考える力です。小異を捨てて大同につく力です。小さなことにとらわれて死活問題的な大問題を見失わないようにさせることがなによりも大切です。

 こうしたことを新学期には生徒に伝えていこうと思います。いつ学校が中断しても自ら学びを続け、向上することをやめないい人材を一人でも作ることができたなら、私の存在価値があるというものです。

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ネット検索以上

 ある人が言っていました。今は何でもネットで検索できる。少々の知識などはそれで調べがついてしまう。情報提供者として必要なのはそうした公的な情報では勝負できない。大切なのは独自情報であり、独自の情報分析であると。全くその通りであると納得しました。

 ネットで調べる情報の信憑性も問題があります。情報発信源がだれなのかは調べてみないと分からないです。そして、ある程度権威のある人物もしくは団体が発信したものとしても、その意図がなんであるかを考えずに情報だけを利用することは危険です。情報を利用するはずが、利用されていたということは今日ごく普通に起きていることです。

 ネットで調べられないこととはなにか。それは発信者の感覚や感性による見解でしょう。多くの場合、それには根拠が希薄です。単なる思い込みかもしれない。しかし、そういう率直な考えこそが真実を判断する材料になるのです。その現場に直接かかわっている人の考えにはそれなりの価値があります。

 情報はインターネット経由できたものがすべてではありません。むしろそれは遠い世界の出来事の断片的な報告であり、本当に大切なのは自分自身の周囲にあることとの関連性を見抜くことなのです。ネットから入手する情報も発信者の身辺性の高いものを重点的に見ることが大切だと痛感しています。

 私もささやかな情報発信者として自分の目で見たことを、自分で感じたしっかりとエビデンスがとれないものも場合によっては述べていく必要を感じています。それがデマにならないよう自戒しながら。

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習慣を崩すな

 コロナウイルス感染防止のための措置が続く中で日常のルーティンが崩れています。楽な方に流れると引き戻すのは大変です。

 習慣的に物事をすることの大切さは多くの先賢の説くところです。習慣になっていれば身体がやってくれる。逆に習慣にないことを行うのにはかなりのエネルギーが必要です。私の場合は習慣から零れ落ちたものはなかなか復帰できません。悪習というものもあってこれは逆の意味で生活に害を及ぼします。

 職場に行けず、仕事ができず、同僚と仕事もできない。そんな中でかつて存在した生活の習慣が壊されてしまっています。どうすればいいのか。それを考えるべき時になっています。

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思い出

 過去の出来事が突然浮かび上がることがあります。恐らく何らかのきっかけがあるのでしょう。それが説明できるときもあるのですが、多くの場合なぜそれを思い出したのかわからないようです。

 こどもの頃はいろいろな予感もありました。これはこの先に何かが起きる予兆ではないかと。それが当たったことも当たらなかったこともありますが、なぜか当たった方を覚えているのです。まるで自分が未来から過去に戻って人生をやり直しているように感じたこともあります。

 それに比べれば最近の自分は未来も過去もあまり思い出せない。冷静になったといえばそれまでなのですが、自由で柔軟な発想ができなくなっているともいえるのかもしれません。思い出をよみがえらせることにも体力や気力がいると感じています。

何かが見えたら

 何かに見える一瞬を逃さないことが大事なのかもしれません。それは一瞬の出来事のことが多いようです。

 日常の光景の中に時としていつもと違った輝きを見せるものがあります。違和感という言葉で処理されてしまうのですが、この違和感こそが何かを見つける糸口になるのかもしれません。細かな変化を見逃さないことが大事です。

 ただ、厄介なことにそういったものには表現すべき言葉がない。言葉がないのでそれを保存することが難しいのです。近似値でもいい。そのものではなくその状況を記すだけでも新たな何かを見つけることに繋がるかもしれない。そんなことを考えています。

泰然自若

 コロナウイルスの終息がまったく予測できない現状では様々な不安が発生します。思いきったことが何もやれないという実情は不満にもたどり着きます。

 こういうときにリーダーの果たす役割は大きい。その指示によって多くの人が影響を受けます。もちろん具体的な施策が重要なのですが、実は身ぶりやふるまいなどのメッセージの周辺にある情報が与えるものは大きい。このことを考えていただきたい。

 自らが誰かと共同作業するときにも、同じことがいえます。影響力の多少はありますが、自分の周囲に与える影響をよく考えてふるまうべきなのです。泰然自若たることもときには必要です。

応援購買

 このままでは我が国の経済が立ち行かなると言うことはコロナウイルス騒動の中で可視化されています。外資に依存する国は非常事態に弱いだけではなく、自国の経済活動を少しずつしかも確実に弱体化しているのです。

 このような事態を少しでも遅らせるためには国内の経済活動を立て直す必要があります。国内生産をしている製品を優先的に購買する基調をつくる必要があります。影響力のある人にはぜひこのことを理解してほしい。どこに金が回っているのかを考えて欲しいのです。一般市民は少々値段が高くても日本製品を買うこと。不買運動はよくありません。必要なものは買うべきですが、そうでないものは生産者をみて買うべきです。

 金が国内で流通することになれば結果的に自分の懐にも届くものが増えるはずです。日本経済のことを考えた商売をしている企業を応援するものの買い方が求められています。