投稿者: Mitsuhiro

変わり続ける性質

 日本の文化は閉鎖的だと表現する人がいる。恐らく正解であり、間違いだ。結果的には大きな間違いだ。

 日本にはユニークな文化現象が数多く見られるという。独自、唯一無二というのは言いすぎかもしれない。どの地域にもそういった特徴がある。ただ、かなりユニークであるのは確かだ。その意味では閉鎖的な一面があるかのように思える。

 気をつけなくてはならないのは日本文化の特徴としてあらゆる局面で融合という過程に持ち込んでしまうことがある。有形の文物もそうだか、思想や制度にもそういう面がある。敵対的排除というのが少なく、取り込んでしまうのだ。

 変わっていくことがこの国の特徴だと評する人は多い。不易流行などという人もいるが、流行の占める範囲がかなり多いといえる。変わらない何かがあるという幻想がようやく国民性を支えている。

 だから、決して保守的ではない。また、意図的に革新を求めているのとも違う。百年後の「日本人」はいまとは姿かたちも考え方もまったく違うかもしれない。でも、相変わらず日本人論を展開しているだろう。百年前の先輩がいまの我々に対して考えたかもしれない予想と同じように。

レガシー

 オリンピックは終わり、パラリンピックも無観客開催に決まった。興行としてのオリンピックはかなり危機的な状況であり、今後の経済状況が懸念される。会場のいくつかは取り壊されると聞いた。せめて次の大会の前までは練習および国際試合の会場として活用してほしい。もっともこのウイルス騒ぎが収まったならばということになるが。

 準備期間にはレガシーという言葉が流行った。長期的に使える施設を造るという意味だった。物理的な社会財はいつまで使えるかあやしい。むしろ維持費の問題で早めに消え去るのが世の常だろう。メイン会場だった陸上競技場の維持費が年間24億円であり、補助グラウンドがないために国際大会には使用できないということが問題になっている。そんなことは始めから分かっていたことだ。これを活用するためには多目的に使っていくしかない。専用球場に慣れつつある日本人がプロスポーツを楽しむにはいろいろな意味で使い勝手が悪いらしい。神宮球場や秩父宮ラグビー場の改修も計画されていたと思うがどうなるのだろう。

 使わないよりは使った方がいい。立地条件はいいので、スポーツ以外のイベントも何でもやるしかあるまい。競技場という名前もいっそのことやめて、イベント会場として使うのがいいだろう。レガシーになるためには固定概念に縛られないことが大切だ。そこで新しい文化が始まれば本当の意味でのレガシーになる。

大雨

 西日本の大雨はまだ続くようで心配だ。この時期の天気ではない。

 降り続く雨量が記録的なものになりつつある。一部地域では年間降水量の半分が1週間て降ったという。異常という域を超えている。

 天災は避けられない。ただ、被害を軽減する努力は必要だ。また、困ったときは助け合う。それがこの国に住む者のさだめだ。

送り火

 京都をはじめいつくかの地方で送り火の行事が行われる日である。この状況だから実施は難しいだろう。ただ、行事の意味は考えておきたい。

 盆行事の中核は先祖の霊魂を招き、時間を共にすることであるという。遠来の祖霊をもてなした上で今度はまた送り返す。それが日本人の考えの基底にあるのかもしれない。

 そう言えば東京オリンピックの開会式や閉会式もこの考えに沿って考えると分かりやすくなる。死者への鎮魂というモチーフが何度かあった。なにしろ盆踊りまであったのだから。

 祖霊を祀ることは現在の生活の反省でもある。私自身この盆に何もできていないことを反省している。それが何かの歪みをもたらしているのではないかと。

戦争は終わっていない

 終戦記念日の今日、日本各地は大雨で非常に不安な状態にある。すでにかなりの犠牲者が出ており、これ以上の被害が出ないことを祈るばかりだ。朝から携帯電話に避難指示のエリアメールが警報音とともに届いている。

 その中でも私の住む街でも正午に太平洋戦争の犠牲者に黙祷をささげることを勧める街頭放送が流れてきた。2021年は終戦から76回目の記念日にあたる。先ほどの放送にもあったが、二度と戦争が起こらない平和を願うという文言に反して世界ではいまも戦争が続いている。日本では戦争は起きていないが、平和の価値を観念的にしか理解できない世代、ー私もその一人だー が増えている。

 ある番組で沖縄戦に向かった戦艦大和の駆逐艦雪風の元乗組員だった方の経験を知った。敵戦闘機に襲われた時の恐怖や、反撃の機銃を撃ち続けているうちに人間的な感情が消えていく経験の恐ろしさ、大和沈没後の人命救助の際の悲惨な状況など、90代のその方にはいまだ鮮明にその状況が思い浮かぶというのだ。

 終戦記念日という言葉に安心してはいけない。戦争は終わっていない。終わったと思ったときにまた始まってしまうのが戦争なのだろう。この連鎖を乗り越える叡智を身につけなくてはならない。

相対的

 梅雨末期の天候にいきなり戻り、気温も低下している。決して低くはないのだが、これまでの異常な高温と比較すると寒冷にさえ感じる。私たちの体感はあくまでも相対的なのだ。

 これは人間の宿命なのだろう。何かと比較することでしか表現できないのだ。基準をどこに置くかで見え方はまったく変わる。自分が目にする風景が必ずしも万人に共有されている訳ではない。

 天気の話は分かりやすいが、世の中の多くのことはもっと複雑だ。相対的に物事を考えるのは体感温度と似ている。恵まれている人が少し不自由になると、不幸を感じる一方で、努力してようやく勝ち取った何かを幸せに思うこともある。それが些細なことであっても。

 今を基準にして未来を考えること自体は悪いことではない。ただ、ときには生活の地平から離れて冷静に自分を見つめる必要もありそうだ。

悪天候もチャンスと

 西日本で長雨の被害が出ていることを聞くと申し訳ないが、この悪天候はある意味チャンスかもしれない。お盆休みになった日本ではこの期間にまとまった休みをとる傾向にある。宗教心はかなり薄いのだが盆は日本人にとっては先祖の供養をするか、もしくは遠隔地の親を訪ねる日か、その代わりに自分たちが楽しむ人する日として定着している。

 何もなければ東京から地方に帰省する人でごった返すこの期間は、今は自粛することが求められている。いっそ悪天候ならば諦めがつく。悪天候もチャンスとなると考えた方がよいだろう。ただあまりにも雨量が多いのが心配だ。一度停滞前線は消えてほしい。

 晴れても外出しないと誓うから。 

善意

 東京オリンピックをめぐって様々な善意の報道がある。選手同士あるいは選手とスタッフ、周辺の人との交流など様々だ。

 オリンピックは日本のおもてなしの方法を体験していただき、世界に拡散する機会だった。それがきわめて限定的なものになってしまったのは残念としか言いようがない。

 私は日本人が道徳的に優れているなどとは思っていない。ただ、原理原則よりもその場にある人を大切にしようとする心の傾きがあることは事実であり、それこそが現代社会に求められている何かの一つではあると確信する。

 国単位に考えることは間違いかもしれないが日本の文化が培ってきたことを世界に説明する意義は大きいと考えている。

梅雨再来

 天気予報によればこれからは梅雨末期のような天気になり、過去に例がないほどの降水があるそうだ。強烈な文言の羅列は最近の報道では珍しくなくなったので、文字面ほどの刺激はない。ただ、今回はかなり注意した方がいいようだ。

 盆休みのシーズンといっても移動自粛要請がある中では盛り上がらない。天候が悪いのは外出を控えろという戒めなのか。ならばほどほどに降ればよい。天災を起こす必要はない。

 人々の気持ちが荒れて来ているのが心配だ。やり場のない憤懣を蓄積している。ここには慈雨をお願いしたい。

現状把握

 このところ新型コロナウイルス感染者の数が非常に高い水準を続けており、数値に対する感覚が麻痺している。以前は3桁になっただけで一大事と考えられていたがいまはそれが目標だ。

 ロックダウンの議論が出てきているがわが国で行われることは相当難しい。重傷者の数が増えているとはいえ、幸いにも私の関係者には一人もいない。つまり深刻さに関する実感が湧かないのである。

 社会生活を止めても予防効果があるのか否かについてもまだわかっていない。接触しないことが感染を予防するという事実もどのくらいならば許容されるのかも想像している段階だ。

 恐怖を拡散する必要はないが、ここらで事実を整理していただくのはどうだろうか。政治家の皆さんは支持率低下の恐れがあるが、ここは勇気を出していまできていることとできていないことを明らかにしてほしい。現状を把握できれば無謀な行動は抑止できる。そこから国民の行動は決まってくるのだろう。