投稿者: Mitsuhiro

日本では沈静化

 日本のコロナウイルス新規感染者は今日143名だったという。これが真実だとすればウイルス対策はかなりうまくいっていることになる。一方で欧州では感染者が増えつつある。特にオーストリアやオランダは多く、英独もそれに続く。

 ワクチン接種がどの程度行われたのかも関係するかもしれない。日本の接種開始時期は遅かったが、多くの人が短期間で接種に応じた。また接種後もマスク生活と手指消毒を欠かすことがない。同調圧力の強い国民性は予防対策には向いているようだ。

 ワクチンの有効期限が切れれば欧州と同じようになるとの意見もある。まだ油断ならない日々が続いている。


自分で考える面倒な作業

 AIがより実用的なものになった時点で私たちの能力はどうなっているのだろうか。様々な無駄を省き、効率的に物事を進められるようにプログラムされるはずの人工知能に我々はただ従うだけになるのだろうか。

 便利なのものができると得られることと失われることがある。例えば私たちは火を使う際に苦労することはない。ガスコンロをひねればすぐに加熱は出来る。電気式なら炎さえいらない。その代わりガスや電気がなければ火をおこすことは難しい。かつては誰もができたことが誰にもできなくなっている。

 AIが完成しなくてもすでに私は初めて訪れる場所にナビゲーションなしで行くことは困難だ。私だけではなく多くの人たちに共通するはずだ。地図を読む力も落ちている。

 何も考えず、面倒な作業をしないで済むことは幸せなのだろうか。恐らく数知れない利益を齎す一方で、痛切な重大事を見失う可能性がある。先のカーナビの譬えでいえば、ナビに従うあまり、閑静な住宅街に迷い込む経験は何度かあった。確かに近道なのだが、果たして進路としてふさわしかったのだろうかと考えると疑問が残る。近道を選べばいいのではないという選択は今のカーナビにはできないようなのだ。

 どんな時代になっても自分の行動に自分で責任を取ることができる能力を持つこと。取れなくてもせめて自らの判断が幾ばくかの影響があったと考えられるほどにしておくことは大事であり、これからの教育関係従事者の目標となるはずだ。

判断力の低下

 加齢すると判断力が低下するのは高齢者の自動車事故の事例からも容易に分かる。残念ながら脳の機能が低下してしまうのはいかんともしがたい。ならば、どうすればいいのか。AIに頼るというのはもちろん一策であるが、まだそれが実用化するにはもう少し時間がかかる。

 では、何ができるか。いまは自分なりに学習し、理屈で生きるしかなさそうだ。アルゴリズムを自ら作っていくということだ。機械がやってくれる前に自分で考えることになる。もちろんコンピュータのようにはできない。単純な法則を決めてやるしかないのだろう。

 その意味では昔から言われてることわざというのは知恵のエッセンスのようなものだ。短い言葉のなかにやるべきこと、してはならないことが詰まっている。ただ問題なのはことわざには相反する内容がある。「急がば回れ」と「善は急げ」は真逆だ。そのどちらを取るのかは今置かれている自分の状況を分析して判断していくしかない。ただいずれにしても行動を単純化するのが高齢者の瞬時の判断力低下の補助になることは確かだ。

新しい社会

 政府が推進するSociety5.0という未来構想はビッグデータとAI技術を駆使して、仮想空間と現実空間をリンクさせるという構想だ。科学技術で未来を豊かにするという考え方自体は近代科学至上主義の延長上にある。経済的な発展と環境問題や精神的な満足感との調和はそう簡単にはいかないとは思うが、この構想はあくまで理想を語っている。

 総務省のサイトで公開している動画を見るとわかるが、登場する人物の大半は日本人であり、写り込んでいる未来の製品の多くは日本企業の製品である。この点においてすでに現実離れをしている。私達はアメリカや中国や韓国、その他の国のICT機器を使い、ネットワークも外国のものである。日本の製品は部品レベルとなっているのが現状だ。果たしてAIが日本人向けのサービスを展開してくれるだろうか。

 グローバリゼーションの流れを止めることはできないのは事実だ。Society5.0はおそらく非日本社会になることなのだろう。日本人が自分の国のことを自分で決められない社会になるのかもしれない。そして、これは日本だけの問題ではなくなっていく。総務省のキャッチフレーズは人間中心の社会であるが、ここでいう人間が何を何を指すのか、誰のことなのかは再考しなくてはならないようだ。


大声の独り言

 大きな声で独り言を言う人は昔からいた。何らかの障害がある場合とそうでなくともいわゆる心中思惟が言語音声化しやすい人はいるものだ。加齢も関係するかもしれない。私も気づけば声を出しており周囲から呆れられている。

 最近はその範疇に入らない人でも独り言をしゃべっている風景をよく見かける。耳にはイヤフォンをつけて。その機械がワイヤレスだと一層独り言感は強まる。

 お分かりいただけたかと思うがこれは独り言ではなく、そこにいない誰かとの通話なのだろう。周囲からは相手の声が聞こえないので完全に独り言に聞こえる。

 先日などは激怒している人を見た。例のワイヤレスイヤホンをつけているその人の前には誰もいない。ただ何かを激しく叱責しているのだ。怒りのあまり周囲が見えなくなったのだろう。個人情報も結構聞こえたが、誰も知らないふりをしている。

 コミュニケーションに場所の制約がなくなったことは、技術の進歩だ。しかし、それに追いついていないのが私たちの振る舞い方なのだろう。

やる気

 やる気がいつ起きるかは分からない。特に歳を取るとこれが一番の問題だ。若い人にはせめてやる気を起こさせるようなきっかけを話してみよう。若い人たちには可能性がある。いつか追い抜かれて、そんなこともありましたっけね、などと言われれば本望というものだ。

KY

 空気を読めないの意味ではないようだ。まさかこの毒のある略語が標語となるわけかない。そう思いながら長年分からないことがあった。検索でもすればすぐにわかることだろうがそこまでの意欲はわかなかったのである。

 建設現場にはこのKYの文字がたくさんあり、どうも推奨しているようだ。必ず実行すべきもの、毎日意識せよといった言葉とともに並んでいる。流行した同調圧力を伴うあの意味とは違うことは確かだ。疑問は深まるばかりだ。まさに全く空気が読めない状況だった。

 最近この謎が解けた。Kは空気ではなく危険、Yは予知で危険予知という建設業には欠かせない心得であることが分かったのだ。大きな資材や器具などを使う建設現場は危険と隣り合わせだろう。常に最悪の事態を想定し、それに備えることは現場の方々には最重要課題だ。しかし、日常化するとそれを忘れてしまうことをあるのかもしれない。この標語で常に気を引き締めようと言う訳だ。

 様々な業界用語がある。その中には自分の生活にも活かせるものもあるようだ。KYは自分への戒めにもいただいておこうと考えた。

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紙デジ両生類

 ペーパーレスにせよといってもそう簡単にできるものでもない。大きなスキャナーなどがなくてもスマホだけでも紙のデジタル化はできるし、ただの写真ではなくテキストとして認識するアプリもある。それも安価だ。無料のものまである。

 ただどれだけ環境が整ったところで、紙を捨てられないのは肝心の自分自身の脳の働きが影響しているようだ。情報と紙面という物との対応が思考の過程で不可欠なのだ。

 これをどちらかに振ってしまうのは進歩とはいえない。私の場合は両方で生きていくしかないと考えている。肝心なのはデジタル化という過程だ。これを習慣化すれば次の世界が見えてくる。暫くは両生類として生きることにする。


折り返し

 11月は今日で前半終了だ。小の月だから明日からが後半となる。短い月だが祝日が2回あってなかなか調子を掴みにくい。

 休日を活かせるのはやはり一種の才覚だと感じる。最近は休日も負担に思えることがあるからよろしくない。休むときは休む。平日とは別のことをするのがいい。

中学生レベル

 中学生レベルという言葉に初心者、入門という意味を感じるとすれば必ずしも正しくない。義務教育の最終段階である中学校が教えることの内容は必ずしも初級のレベルにとどまっていない。おそらくすべての教科を中学生レベルでできたならばかなりの教養がある人ということになる。

 学校の勉強というのはできなくて当たり前という感じがいつの間にか出来上がっている。テストで60点しか取れませんでしたといえば、まずまずではないかということになる。中学生への励ましならばそれでいい。成長の過程はそれぞれ人によって異なるし、その時できたからといってあとまで続く知識や技能として血肉化しているのかは別問題だ。だから60点だろうが30点だろうが構わない。

 でも、どうだろう。卒業後もそれでいいのかといえば問題がある。私たちは中学生レベルを目指さなくてはならない。せめてすべての中学生向けテストで80点以上取れるように努力しなくてはならないと思う。テストなんて今さら受けるのは嫌だと思う。私もだ。受けなくてもいい。ただ、中学生の学んでいることを知らなかったり、知らないことで平気でいることはやめた方がいい。できないならできないなりに努力したいし、せめてできる人に敬意を持つべきだ。

 念のために言うが中学校で学ぶものには音楽や美術、家庭科、保健体育もある。それも含めて中学生レベルになることを私も意識しておきたい。