投稿者: Mitsuhiro

顔パス

 とある外食業界で支払い時の顔認証システム導入の報道があった。今のところ希望者が企業の認証システムに自分の顔を登録し、商品の支払いに顔認証を選択するとクレジットカードやバーコード提示をしなくても決済まで可能ということだ。未来社会構想に近づいた感がある。

 顔がマイナンバーなどと結びつけられ、それが金融機関に提供されるようになると、方方で顔認証決済がなされるかもしれない。顔パス時代になる。レジ係はいらなくなるか、客を気分よくしてくれるウルトラ会計担当しか残らなくなる。あとは梱包を手早く美しく安全にやるサッカーが必要だ。それも機械に乗っ取られる可能性がある。

 顔バスが実現するためには個人情報保護が問題だ。しかし、この流れではプライバシーの問題は後まわしになる気がする。


未明の雷鳴

 前線が通過した影響で未明に激しい風雨があり、雷鳴が複数轟いた。床の中で突然の轟音を聞くと非常に驚く。

 北陸に住んでいた頃、この季節はしばしば雷音に動転した。日本海側では積乱雲がこの時期に発生しやすい。時には強い降雪を伴うこともあった。夕立とは逆の印象である。

 晩秋や初冬に轟く雷鳴は季節の変わる指標であり、新たな季節の開始を告げるファンファーレのように聞こえた。関東にはさほどの例はないかもしれないが、今朝の雷雨はそれに当たるものと考えている。

 折しも今日から師走である。正月を迎える前に済ませておきたいことがいくつかある。どれだけできるのか。何をし残すのか。それが今の一番の関心事である。


優先順位

 私はつくづく要領が悪い。優先順位が気の向いたものにあって、重要度や締切順になっていないことが多い。だから、仕事量の割に焦りが多い。これが非効率ということだと痛感している。

 ただ、ひねくれ者である私はこれでも仕方ないという気がしている。効率のために気分とは逆のことはできない。私は機械ではないのだ。そんな言い訳をいつもしては毎日過ごしている。

 あるいはこの非効率を楽しんでいるのかもしれない。相当に非健全だが私にはこれがあっているのかもしれない。

国際封鎖が起きても

 オミクロン株の正体が分からないまま、混乱が生じているがこういう時こそ冷静を意識しなくてはなるまい。南アフリカへの渡航について制限がなされることについて関係各所から様々な意見が出ている。いまは状況を把握するまでは停止するべきだろう。差別とは無関係だ。

 逆も考えなくてはならない。日本が同じような立場になった時、各国は日本への渡航や日本人の入国を拒否することになる。仮に日本が実は発症国ではなく、たまたま他国では発見されなかったのが、日本の病院で発見報告されたとする。その場合も一時的には日本への出入国は制限されることになるはずだ。

 ただ、すでに例えば香港でも症例が発見されていることを考えれば、すでにオミクロン株は南アフリカ共和国だけの問題ではない。いまさら鎖国をしても何の意味もないことは確かだ。事実を把握するのには時間がかかるが、一時的に国際封鎖のようなことが起きる事実だけは考えておくべきなのだ。

 たまたま今の日本は新型コロナウイルス感染者が激減しているだけであり、すぐに次の波が来る。その時にまた新しい変異株が発生することも考えられる。科学者はそれにいちいち対応するワクチンや対処薬を作り続けるしかないし、政治家は国民の冷静さを保つような政策をとり続けるしかない。そして私たちは振り回されないように、世の中の動向を自分の目でしっかりと見ることだ。

コート

 昨日今季初めてコートを着て仕事に出た。急に寒くなったのである。

 折しも新型コロナウイルスのオミクロン株の脅威が繰り返し報じられる中での気温低下である。最近は猛暑の夏があり、それがだらだらと続いて、いつの間にかに秋が終わって寒い冬がくるという感じがある。春秋のゆたかな情緒が失われてしまった感じがする。

 コートを着て歩くことは個人的にはそれほど苦にならないが、やはり身軽の方がいいに決まっている。ただ、エネルギーを使って暖房を使い続けていては世界の危機につながる。コートは付き合っていかなければならないアイテムだ。



惑わされずに

 南アフリカ共和国で発見されたという新型コロナウイルスのオミクロン株は、感染力の強さが懸念されている。未知のウイルスであるのでどのような症状が出るのかは予測しがたい。この報道をきっかけに世界中の株価に影響があったという。もっとも株式の世界は様々な要因が複合し、さらには群集心理が左右するので一概には言えないことだが。

 日本では奇蹟と言ってもいいほど発症者が減っている。しかし、これは一時的なことのようだ。隣国の韓国は日本とほぼ同じ条件かむしろ防疫に成功してきたのに今になって感染者が爆増している。欧州の感染者はさらに多いが、これらは来月もしくは数か月後の日本の状況かもしれないのだ。幸い、日本人の律義さもしくは臆病さは保たれており、いまだにマスクを外して歩く人は少ない。むしろに日常化してファッションの一部になっているともいえる。

 先日、ウイルス研究の専門家に話を聞く機会があったが、ワクチン接種は科学的にも意味があるらしい。陰謀説を始め、さまざまなデマを流す人々のことを憂えていた。中には自らは接種をして、ソーシャルメディアではワクチンは危険だと吹聴する輩もいるらしい。それが商売と結びついているというのだから厄介だ。

 ワクチンの有効性についても私たちは最終的には自己判断をするしかない。ただ、それでも科学や社会学のリテラシーを持っていないと迷信やデマに振り回されることになる。

行き交う人

 通勤電車の乗車時間は大体決めている。日によって前後することはあるが、平均的にはある時間発の車両に乗っている。私のような方は多いのではないだろうか。

 同類の方の中には顔を覚えてしまった人もいる。この方とはいつも駅前であう。この方とはもう少し自宅よりの角で行き交う。というふうに場所と関連づけて覚えてしまった。その方の名前や仕事は知らない。ただ、ほぼ毎日お会いするという点においてはすでに赤の他人とは別次元の存在になっている。

 私が遅刻気味のときはより自宅近くでお会いすることになる。私にとっては足を早めよという指標である。逆に私が定時に家を出たときは、お会いする方々の出会いの位置によってその方になにかあったのではと微かに考えることもある。そういえば今朝はお目にかからなかったと思い出すときは心配することもある。わずかな時間だが。

 相手が私のことを認識しているとは思えない。恐らく私のように考える人は少ないだろう。山道を行き交う登山者のようにせめて挨拶でもできたら世の中は随分変わると思う。

 儚い夢物語である。

周囲を確認してから

 最近、電車内での凶悪犯罪が続いた。断続的にこの種の事件は起きるが最近はその頻度が上がっているような気がしてそら恐ろしい感じがする。

 私はこのブログの大半の日を通勤電車内で書いている。最近は混雑も激しくなってきているのでつり革につかまり、右手親指でのフリック入力だ。ただ書き始める前に周囲見渡す習慣ができた。状況把握は不可欠だと思う。

 最近は車内でスマホを持っていない人のほうが少ない。何かに熱中するのはよいが、安全確認は怠ってはならない。残念だがこれが現実だ。

地域格差

 人口減少に情報社会が相乗すると地域格差は一層広がってしまう。

 政府が用意したSociety 5.0の広報ビデオには交通不便な場所に住む高校生らしき人物が登場する。生活に必要なものは無人操作のドローンが配達し、人工知能を搭載した冷蔵庫がレシピを提案、昼食のパンはいつもの商店に予約と支払いまで済ませてくれる。

 学校へ向かうバスは自動運転で利用者が指定した場所にバス停がなくても停まる。そこには憧れの先輩がいて同乗することになる。

 夢物語であることは差し引こう。いかに便利になったとしても過疎地に若者は住み続けてくれるだろうか。人口減少が進んで都市の生活費が今より下がることは考えられる。それでもドローンしか通えない場所に住み続ける意欲は継続するのか。そこを考えなくてはならない。

 バスを降りた後の学校も不安がある。都会の学校と遜色ない質を保てるのか。希望が持てる学園生活を提供できるのだろうか。そして広報動画のように素敵な先輩が通って来るのだろうか。

 格差の問題を解消するのは技術だけの問題ではなさそうだ。東京にいなくても不利ではないと実感できるシステムや、地域ならでは価値の創出が欠かせない。

都心の神社

 都心にある神社に行ってきた。そこにだけある静謐は脆く見えてしっかりと形を表している。どんなところにもこういった不思議な空間があるのだろう。しばし、雑念を捨てて手を合わせることにした。たまにはこういう時間もいるものだ。