投稿者: Mitsuhiro

価値観

ものの価値は人によって違うということが情報化社会の中でかえって分かりにくくなっている。自分は多数派だと思い込むことでいつのまにか自分の行動を正当化してしまう。

 最近、周囲の人たちの精神状態が良くない。何かに苛ついている。あるいは自分がそうだからそのようなことが目につくのかも知れない。

ホタルブクロとコバンソウ

ホタルブクロ

 ホタルブクロを目にする機会が増えた。山野に自生する草花で以前から見かけたが、最近は庭先や街路樹の下に花が咲いているのを見つける。かつては発見すると少なからぬ感動があったが園芸種の仲間入りをしてしまったかのようだ。

 ホタルを釣鐘状の花の中に入れて子どもたちが遊んだのが名の由来だという。ホタルの棲息する場所にも咲くから無理な話ではない。ホタルブクロの方は繁栄しているが肝心の光源の方はかなり減ってしまった。

コバンソウ

 もっと地味な植物のコバンソウは近代に欧州から導入された帰化植物らしい。生命力が強く完全に雑草化している。ところが草刈りでも刈り残されることが多く中には花壇に移植する人もいる。その名の通り花穂が小判、もしくは米俵のような形をしており、縁起のよさを感じるのだ。

 コバンソウも最近よく見られる。人の住まい近くに棲息するためには人間の勝手な価値観に沿う必要がある。食用にならないものは見た目の良さで運命が変わることがあるのかもしれない。

竜巻注意情報

 関東広域で大気の状態が不安定になっており、竜巻注意情報が相次いで出された。今日は東京を離れていたが黒い雲が東から流れて来たと思うとすぐに滝のような雨が打ちつけた。

 大きな雷鳴が響き、驚く間もなくさらなる稲妻が走る。遠かったようでかなり遅れて轟きが来た。豪快な午後になった。

 このところの異常なほどの高温に、気圧の谷は異常反応したのだろう。強引にリセットするかのような乱暴な展開になった。

 私のいたところでは幸い竜巻はなかった。圧倒的な自然の驚異の前では私たちは無力だ。

リモート

集中できますか

 イーロン・マスク氏がリモートワークを認めないという発言をしたのが物議を醸している。コロナウイルス感染対策のために在宅勤務が推奨され、一気に普及した。日本でもこれを採用した企業は多い。

 マスク氏の発言にはリモートワークは非効率であるという意味が含まれるのだろう。実際にリモートワークの生産性については賛否両論があり、リモートにして業績が向上したという話も聞く。業種もしくは業務によってはリモートワークの方がうまくいくものもあるのだろう。

 さて、学習の方面ではいかがか。話を中等教育に絞ることにする。コロナ禍でリモート授業を行った結果、成績が落ちたという生徒が多かった気がする。その主因は慣れない学習形態が突然始まったために、準備ができていなかったことだ。それも慣れてくると次第に学習の仕方が分かってきたようだ。

 リモート授業に順応してもやはり効果が上がらない生徒がいる。彼らは対面せずに教育を受けることに向いていない。逆に集団の中では集中できないという生徒もいる。不登校になっている生徒の中に一定数この種の気質の持ち主がいる。彼らにとってはリモート学習は願ってもない機会だったはずだ。

 学校に通うことができる生徒にとってもリモート学習の一部が効果的であったという。科目や内容によっては自分のペースで学んだ方がよいものもある。学校の教員がどこまで関与できるのかは分からない。ただ、生徒の学習効率と結果を考えるとリモートか対面かではなく、両方を使い分けた方がいいのかもしれない。

19位

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 持続可能な開発目標(SDGs)の達成度を示す指数のランキングが発表され、日本は19位だった。昨年から1位下げており、徐々に落ちていく傾向にある。これをどのように考えたらよいのだろう。

 日本より上位の国はすべてヨーロッパの国である。欧州以外の国を拾ってみると26位にニュージーランド、27位に大韓民国、28位にチリ、29位にカナダであり、再び欧州の国が並ぶ。どうもこれはヨーロッパ各国に有利な指数のようだ。欧州を除けば日本は最もランキングが高いということになる。

 しかし、そもそもSDGsの考え方自体に問題があるようにも感じる。一つ一つの理想は高邁なものだが、結果的に「開発」を第一に考えるものであることには変わりない。現在起きている気候変動などの深刻な問題を「開発」で切り抜けることができるのかは大いに議論の余地がある。結局、何もしないことが最もサスティナブルではないかという皮肉な意見もよく聞く。

 太陽光や風力などのエネルギー開発に関してはかえって環境破壊につながるという批判が多い。今の技術ではその瞬間にはカーボンニュートラルを達成していても、製造過程や廃棄過程で今より深刻な環境問題を引き起こす可能性が高いというのだ。森林を伐採して太陽光発電システムを置いている例を見たことがあるが、これなどはサスティナブルとは思えない。

 ランキングで一喜一憂するのは読み物としては面白いが、本質を考えておかないと間違いを犯す。19位はどのような意味なのかをもう少し考えてみたい。

変わり目

 季節の変わり目には様々な困難がある。その一つが身体の適応だ。急に気温が上がると熱の処理に手間取る。熱中症のようなものになりやすいのはそのためだという。

 少しずつ変化していく環境に対して、生物はある程度の耐性を発揮するらしい。限界点を超えると対応不可能となり、最悪の場合命に関わる。対して急激な変化にはその差が実は小さなものであっても限界点を超越するきっかけになってしまう。

 最近、体調が優れない。対応しきれていない自分を痛感している。

6月

6月

 6月になる前からすでに真夏のような陽気だったので、衣替と言われてもぴんとこない。職場でネクタイを締める義務がなくなるのは嬉しいが、季節の移ろいに関する感慨がもてない。かなり疲労しているので事故を起こさぬよう気をつけることにする。

時間の概念

ちょっとお時間を名古屋に行って来ます

 リニア中央新幹線の建設が進んでいる。完成すれば東京品川と名古屋を最速40分で結ぶという。必要性や環境問題の議論が尽くされないまま建設が進んでおり、もはや多くの人的物的投資がなされている。

 仮に完成したとする。すると時間の概念に大きな変化が起こる。関東に住む多くの利用者は、最寄りのリニア新幹線駅までと到着後の目的地に着くまでにかかる時間の方がリニア新幹線に乗っている時間より長いことになる。近いのに遠く、遠いのに近いという逆説が出現することになる。

 もちろんこうしたことはこれまでもあった。新幹線に乗って奈良にでも行くようならば、新幹線駅までと京都から奈良までの時間とがのぞみに乗っている時間より長いこともある。リニア新幹線はそれをもっと極端なもののようにしてしまう。

 所要時間を尺度にした地図を作ればかなりいびつなものになるだろう。都民にとって名古屋はすぐ近くにあるが、千葉の館山は遥かに遠くにあるのだから。

 時間と距離の感覚が崩壊した後に何が残るのだろう。リモートという擬似的な距離飛躍もあるがこれはあくまで現実ではない。適度な距離が安定を保証するという古来からの知恵がなくなったら、どんな世界観価値観が人々を包み込むのか。想像しているところである。

気持ちの説明

小説を教えることに意味はある

 国語の問題の笑い話に、登場人物の気持ちを答えさせる問題というものがある。作者自体が答えられなかったというエピソードとともにこの種の設問を揶揄するものである。

 小説の世界は作品全体を通して形成される。それに対して国語の問題文は短く、切り取られた場面の中だけで完結させなければならない。多面性のある人物像のある一面だけが切り出され、その部分が強調される。そこを質問のポイントに設定すれば全体像を創造した作者の意図しない人物像が出来することもあり得る。

 人物の気持ちを問う問題の難しさはこのような点にあるが、それでもこの行為自体は避けるべきではない。人の気持ちという目に見えず曖昧さを含むものを言葉で説明することはこれからの時代に求められる能力の一つだ。他者との協働が不可避不可欠な今日の状況において、心情を察することは大切だからである。

 だから、登場人物の気持ちを問うことはこの力の養成に繋がるものと考えるべきだ。小説の精読はその機会としてふさわしい。新しい高校の指導要領で文学が軽視されてしまったのは残念だ。現場の教員はうまく立ち回るべきだ。文学作品を読ませることに躊躇すべきではない。

フィンランドに学ぶ

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 フィンランドの社会制度や教育制度に関する紹介をした新書を読んだ。フィンランドの教育には以前から注目が集まっており、私もいくつかの本を読んでいた。しかし、どうしてあのような高福祉国家なのに(つまり恐ろしく税金が高いということになる)国民の幸福感が高いのかについては今一つ理解できていなかった。今回の読書で少しそれが分かった気がする。

 その一つはフィンランド人のものの考え方にある。北欧の小国という自覚が強く、ロシアに接する地勢上の問題もあって、きわめて現実主義であるという点である。国家として存在できれば個人の利益は譲ってもいいという考え方がある。これは極めて大切な観点だ。一定の緊張感のもと利他的な精神が保たれていることになる。

 今の日本人が学ぶことといえばまずはこのことであろう。アジアの辺境に位置する日本が国家として体をなすためには種々の苦難が伴う。そのことを忘れているのではないか。苦難を乗り越えるためには大同団結できるはずなのに、今の日本人にはその自覚が欠けている。アジアの先進国という自負が真実の姿を認識できなくしていると言える。

 フィンランドが理想の国かといえばそうでもなさそうだ。高福祉国家の宿命であるといえるサービスの平準化がある。最低限の質は保たれるがそれ以上は望めない。平等を重んじるあまり、特異な才能は見逃してしまう。伝統的な絆に関しては崩壊の可能性を常にはらむ。そういった危険性を持っている文化である。

 それでもフィンランドに学ぶことは大きい。私はもう少し学びたいと思った。サンナ・マリン首相が有能な若い女性であることが象徴するように、日本にはないなにかを学び取れることができれば、ダウンサイジングする日本にとっては有益な道しるべとなるはずだ。