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未明の雷鳴

 前線が通過した影響で未明に激しい風雨があり、雷鳴が複数轟いた。床の中で突然の轟音を聞くと非常に驚く。

 北陸に住んでいた頃、この季節はしばしば雷音に動転した。日本海側では積乱雲がこの時期に発生しやすい。時には強い降雪を伴うこともあった。夕立とは逆の印象である。

 晩秋や初冬に轟く雷鳴は季節の変わる指標であり、新たな季節の開始を告げるファンファーレのように聞こえた。関東にはさほどの例はないかもしれないが、今朝の雷雨はそれに当たるものと考えている。

 折しも今日から師走である。正月を迎える前に済ませておきたいことがいくつかある。どれだけできるのか。何をし残すのか。それが今の一番の関心事である。


優先順位

 私はつくづく要領が悪い。優先順位が気の向いたものにあって、重要度や締切順になっていないことが多い。だから、仕事量の割に焦りが多い。これが非効率ということだと痛感している。

 ただ、ひねくれ者である私はこれでも仕方ないという気がしている。効率のために気分とは逆のことはできない。私は機械ではないのだ。そんな言い訳をいつもしては毎日過ごしている。

 あるいはこの非効率を楽しんでいるのかもしれない。相当に非健全だが私にはこれがあっているのかもしれない。

国際封鎖が起きても

 オミクロン株の正体が分からないまま、混乱が生じているがこういう時こそ冷静を意識しなくてはなるまい。南アフリカへの渡航について制限がなされることについて関係各所から様々な意見が出ている。いまは状況を把握するまでは停止するべきだろう。差別とは無関係だ。

 逆も考えなくてはならない。日本が同じような立場になった時、各国は日本への渡航や日本人の入国を拒否することになる。仮に日本が実は発症国ではなく、たまたま他国では発見されなかったのが、日本の病院で発見報告されたとする。その場合も一時的には日本への出入国は制限されることになるはずだ。

 ただ、すでに例えば香港でも症例が発見されていることを考えれば、すでにオミクロン株は南アフリカ共和国だけの問題ではない。いまさら鎖国をしても何の意味もないことは確かだ。事実を把握するのには時間がかかるが、一時的に国際封鎖のようなことが起きる事実だけは考えておくべきなのだ。

 たまたま今の日本は新型コロナウイルス感染者が激減しているだけであり、すぐに次の波が来る。その時にまた新しい変異株が発生することも考えられる。科学者はそれにいちいち対応するワクチンや対処薬を作り続けるしかないし、政治家は国民の冷静さを保つような政策をとり続けるしかない。そして私たちは振り回されないように、世の中の動向を自分の目でしっかりと見ることだ。

惑わされずに

 南アフリカ共和国で発見されたという新型コロナウイルスのオミクロン株は、感染力の強さが懸念されている。未知のウイルスであるのでどのような症状が出るのかは予測しがたい。この報道をきっかけに世界中の株価に影響があったという。もっとも株式の世界は様々な要因が複合し、さらには群集心理が左右するので一概には言えないことだが。

 日本では奇蹟と言ってもいいほど発症者が減っている。しかし、これは一時的なことのようだ。隣国の韓国は日本とほぼ同じ条件かむしろ防疫に成功してきたのに今になって感染者が爆増している。欧州の感染者はさらに多いが、これらは来月もしくは数か月後の日本の状況かもしれないのだ。幸い、日本人の律義さもしくは臆病さは保たれており、いまだにマスクを外して歩く人は少ない。むしろに日常化してファッションの一部になっているともいえる。

 先日、ウイルス研究の専門家に話を聞く機会があったが、ワクチン接種は科学的にも意味があるらしい。陰謀説を始め、さまざまなデマを流す人々のことを憂えていた。中には自らは接種をして、ソーシャルメディアではワクチンは危険だと吹聴する輩もいるらしい。それが商売と結びついているというのだから厄介だ。

 ワクチンの有効性についても私たちは最終的には自己判断をするしかない。ただ、それでも科学や社会学のリテラシーを持っていないと迷信やデマに振り回されることになる。

周囲を確認してから

 最近、電車内での凶悪犯罪が続いた。断続的にこの種の事件は起きるが最近はその頻度が上がっているような気がしてそら恐ろしい感じがする。

 私はこのブログの大半の日を通勤電車内で書いている。最近は混雑も激しくなってきているのでつり革につかまり、右手親指でのフリック入力だ。ただ書き始める前に周囲見渡す習慣ができた。状況把握は不可欠だと思う。

 最近は車内でスマホを持っていない人のほうが少ない。何かに熱中するのはよいが、安全確認は怠ってはならない。残念だがこれが現実だ。

都心の神社

 都心にある神社に行ってきた。そこにだけある静謐は脆く見えてしっかりと形を表している。どんなところにもこういった不思議な空間があるのだろう。しばし、雑念を捨てて手を合わせることにした。たまにはこういう時間もいるものだ。

判断力の低下

 加齢すると判断力が低下するのは高齢者の自動車事故の事例からも容易に分かる。残念ながら脳の機能が低下してしまうのはいかんともしがたい。ならば、どうすればいいのか。AIに頼るというのはもちろん一策であるが、まだそれが実用化するにはもう少し時間がかかる。

 では、何ができるか。いまは自分なりに学習し、理屈で生きるしかなさそうだ。アルゴリズムを自ら作っていくということだ。機械がやってくれる前に自分で考えることになる。もちろんコンピュータのようにはできない。単純な法則を決めてやるしかないのだろう。

 その意味では昔から言われてることわざというのは知恵のエッセンスのようなものだ。短い言葉のなかにやるべきこと、してはならないことが詰まっている。ただ問題なのはことわざには相反する内容がある。「急がば回れ」と「善は急げ」は真逆だ。そのどちらを取るのかは今置かれている自分の状況を分析して判断していくしかない。ただいずれにしても行動を単純化するのが高齢者の瞬時の判断力低下の補助になることは確かだ。

やる気

 やる気がいつ起きるかは分からない。特に歳を取るとこれが一番の問題だ。若い人にはせめてやる気を起こさせるようなきっかけを話してみよう。若い人たちには可能性がある。いつか追い抜かれて、そんなこともありましたっけね、などと言われれば本望というものだ。

KY

 空気を読めないの意味ではないようだ。まさかこの毒のある略語が標語となるわけかない。そう思いながら長年分からないことがあった。検索でもすればすぐにわかることだろうがそこまでの意欲はわかなかったのである。

 建設現場にはこのKYの文字がたくさんあり、どうも推奨しているようだ。必ず実行すべきもの、毎日意識せよといった言葉とともに並んでいる。流行した同調圧力を伴うあの意味とは違うことは確かだ。疑問は深まるばかりだ。まさに全く空気が読めない状況だった。

 最近この謎が解けた。Kは空気ではなく危険、Yは予知で危険予知という建設業には欠かせない心得であることが分かったのだ。大きな資材や器具などを使う建設現場は危険と隣り合わせだろう。常に最悪の事態を想定し、それに備えることは現場の方々には最重要課題だ。しかし、日常化するとそれを忘れてしまうことをあるのかもしれない。この標語で常に気を引き締めようと言う訳だ。

 様々な業界用語がある。その中には自分の生活にも活かせるものもあるようだ。KYは自分への戒めにもいただいておこうと考えた。

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紙デジ両生類

 ペーパーレスにせよといってもそう簡単にできるものでもない。大きなスキャナーなどがなくてもスマホだけでも紙のデジタル化はできるし、ただの写真ではなくテキストとして認識するアプリもある。それも安価だ。無料のものまである。

 ただどれだけ環境が整ったところで、紙を捨てられないのは肝心の自分自身の脳の働きが影響しているようだ。情報と紙面という物との対応が思考の過程で不可欠なのだ。

 これをどちらかに振ってしまうのは進歩とはいえない。私の場合は両方で生きていくしかないと考えている。肝心なのはデジタル化という過程だ。これを習慣化すれば次の世界が見えてくる。暫くは両生類として生きることにする。