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マスクを忘れて

 新型肺炎の予防に関してマスクは効果が少ないというのが専門家の意見です。ただ、つけていないとかなりの不安感に襲われるという事実があります。心理的なものと言っても収まらない何かがあります。

 今朝はマスクを持ってくるのを忘れてしまいました。すでに街では何日も品切れ状態が続いており、途中で調達することは不可能です。通勤電車の車内でマスクをつけていない人はわずかです。すると無根拠の不安感が現出するから不思議なものです。遠くから聞こえる咳の音にも反応してしまうのです。また、くしゃみをしたらどうしょうと心配になります。

 マスク依存の昨今はそれ自体がかなり病的で、精神的な弱味につけこまれる隙がいくらでもあります。こういう状況は社会不安も起こりやすいようです。物品欠乏デマもそのような中から生まれたのでしょう。

 マスクをつけることで判断力や正義感までを覆い隠すことのないよう気をつけなくてはなりません。

人形

 新暦ながら今日は上巳の宴の節日です。本来は禊の日であったとも言われる古代からの晴の日です。

 この祭事の中心的な役割を果たすのが雛人形です。かつては豪華な雛飾りを置く家庭もあったのですが、最近は減少傾向にあります。豪華な雛飾りは代々受け継がれる財産であったのですが、本来人形は人の罪や穢をかわりに受けて、遠くに流しさる形代としての役割がありました。雛流しの民俗がある地域も存在するようです。

 現在、蔓延しているウイルス禍もできれば人形に持ち去ってほしい。持ち去るのはウイルスだけではなく、恐怖心やその前に常軌を逸してしまう弱い心も加えてほしいなどと考えるのです。

不安軽減

 東日本大震災のときにも学校を開けずに自宅待機をさせたことを思い出しました。その際、ごく一部ではありますが極度の不安症に襲われてしまった生徒がいました。今回もそうならないか懸念されます。

 震災のときは全般的な物資不足に加え計画停電などのライフライン断絶の状況が起きたことが生々しい恐怖としてありました。対して今回はマスクや消毒液などの不足と、デマによるトイレットペーパー不足を除けば物流はほぼ保たれています。加えて震災時よりソーシャルメディアが普及し、孤立感は低くなっている可能性があります。 

 ただ、直接語り合い安否を確かめ合えない状態が続けばやはり不安に思う人は増えるはずです。家族が支えですが、日中は子どもが一人になる可能性が大きいことや、同じ人物だけのコミュニケーションでは自然と閉塞感が出てしまうのを考えなくてはなりません。

 そこでやらなくてはならないのは定期的な発信だと考えました。幸い生徒諸君は個人用の情報端末を持っていますので。毎日メールやサイト更新などをすることで少しでも気持ちをつないでいきたい。あくまで急場しのぎの策ですがやらないよりはいいと考えます。

 この災難は学校の役割を再考する機会でもあります。

だまされやすい環境

 感染予防のために人々が分離され、状況をメディアを通してしか把握できなくなると、ものごとの状況の風合いを体感できなくなります。本当はどうなのかを実感できなければ、すぐに見破られるはずの嘘にも騙されることになるかもしれません。

 昨今のトイレットペーパー欠乏デマはソーシャルメディア発の偽情報が瞬く間に広まったものだと言われています。その情報自体も検証しなくてはならないのですが、誰が言ったかよく分からないことに多くの人が騙されてしまう状況は、今日の状況で起こりがちであることがよく分かりました。

 コロナウイルスの終息がいつなのかわからず、人々が語り合う機会も奪われつつある今、だまされやすい環境が整っているといえます。混乱を招かないための工夫をしていかなくてはならないと考えるのです。

花粉症に弱いのは

 例年より早く花粉の飛散のピークが来るようです。慢性的なマスクの供給不足の中で苦しい日々が続きそうです。

日本人が花粉症に弱いのは遺伝子的な問題があるという識者もいるとか。真偽のほどは分かりませんが確かに海外ではあまりこの話題は聞きません。森林の多さや杉や檜を多く植林した産業的な背景もあるので何が原因なのかは分かりません。

 厄介なのは今年はくしゃみがウイルス拡散とみなされることです。マスクをする理由の大半はそこにあると言われていますが肝心のマスクが売っていないのですから話になりません。

 花粉症に弱いのは遺伝子要因として、この事態に何ができるのかは考えていく必要があります。

一斉休校はやり過ぎ

 安倍総理が全国の公立学校に休校を要請したことには賛否両論があります。私は行き過ぎであると考えます。

 今のところ学校は感染源ではなく、低年齢層の重篤者は少ない中で、すべての学校業務を止めることはデメリットの方が多い。女性活躍を目指す政権が休校になった家庭の子どもがどうなるのかも考慮すべきです。

 教育関連産業への直接間接の影響を考えると一斉休校は意味があるのか疑問です。この効果については検証が困難というのが為政者の判断の背景にあります。感染を予防する効果の有無は確かめられない。万一、学校での集団感染が起きたら無策と難じられる。そのバランスで決定されたのでしょう。

 学校を止めることによる社会への精神的な影響の方が懸念されます。行き過ぎた自粛ムードに拍車がかかることは間違いありません。

トングはここに

 近隣のスーパーマーケットでのパンの売り方が変わりました。山積みしたパンの中から客がトングを使って必要な分だけ取るという方式に変更が起きています。

 まずパンはすべてビニールフィルムで包装されています。ウイルスの飛沫感染の予防なのでしょう。一応トングは用意されているのですが、使用後は元の場所に戻さず収納場所に投げ込むよう指示があります。トングからの接触感染を嫌った措置と考えられます。

 このように現在東京では新型肺炎感染に関してかなり神経質になりつつあります。エンターテインメント系の行事に続き、教育機関も一部、もしくは全部の活動の停止を検討し、始めたところもあります。様々な生産活動にも支障が出始めました。

 終息のめどがたたないことが恐怖に繋がっています。ある専門家によれば早晩多くの人が感染するらしく覚悟は決めなくてはならない。ただ、行き過ぎは感染すること以上の困難をもたらしてしまうことを考えて、強かに継続するしか方法はないのかもしれません。

もとの風景

 東京の最盛期はすでに過ぎているのかもしれませんが、都市としての新陳代謝は継続しています。方丈記の言を引くまでもなく大家は小家となり、再びそこにビルが建ち、道路になります。

 私が移り住んだ街もすでに過去の風景が思い出せなくなるほど変貌しています。ここにはかつてあれがあったと覚えているうちはまだしも、そのうち過去のことなど全く浮かばなくなるのでしょう。思えば私が当地に来たころはすでに大きな変化は始まっていたようであり、さらに過去に遡ればまったく違う風景が広がっていたはずです。

 私たちは現在にしか生きられないので、現実を受け入れるしかありません。ただ、わずかに残った過去の風景から学ぶことは大きい。その姿に思いを馳せることで、未来のいつかに誰かが至る感慨を予想することはできそうな気がします。

問題は花粉症

 新型コロナウイルスの流行によって慢性的なマスクの供給不足が続いています。メディアの報道によればマスクはウイルス予防にはあまり効果がなく、感染した場合の飛沫感染予防のほうに効果があるとのこと。ただ気分的にはやはりマスクは欲しいと願うのが人情というものでしょう。

 困ったのは効果がある花粉症予防の方です。スギなどの花粉がここ数日かなり飛散しているとの情報があります。花粉の大きさはマスクで防御ができる大きさであり効果があるといわれています。このためのマスクがいま不足しているのです。私は幸い買いだめていたものがまだあるのですがそれが尽きるもの時間の問題です。

 最近は洗えば100回は使えるマスクというものも売られています。こうしたものも注目を浴びるようになるのでしょう。問題は花粉の方です。

脅威の価値

 北米大陸を中心にインフルエンザが大流行し多くの死者が発生しているようです。中国発の新型肺炎よりも致死率は高いようですが報道は控えめです。

 アメリカで流行しているインフルエンザはウイルスとしては新しいものではないようで、対策のワクチンも存在するようです。ただ皆保険制度が存在しないアメリカではインフルエンザにかかっても医療機関には行かない人が多いために流行が把握しにくく、対策が後手に回るようなのです。

 アメリカのインフルエンザは非常に脅威ではありますが、さほど報道されず、コロナウイルスばかりが注目されています。これはニュースの価値が実情以上に偏向しているといえます。事実をどのように伝えるのかはジャーナリストの責任でもあります。またそれを読み取る側の能力も試されています。