実家の近くにあった大きなパチンコ店がなくなり更地になっていた。他にもこのところ建て替えなどが相次ぎ町の風景が変わっている。もともと開発途上の地域だったことに加え、コロナ禍という打撃もあって変化を余儀なくされていると言えるだろう。
昨年亡くなった父の見た風景が消えていくのを思うと複雑な気持ちになった。もっとも代々の先祖が目にした世界と現在は異なるのであり、私が知る風景がいつまで保たれるかなど誰にも分からない。
諸行無常といえばそれまでだが、蟻の視点で見れば心乱れる事実だ。
日々の思いを言葉にして
タグ: 生活
実家の近くにあった大きなパチンコ店がなくなり更地になっていた。他にもこのところ建て替えなどが相次ぎ町の風景が変わっている。もともと開発途上の地域だったことに加え、コロナ禍という打撃もあって変化を余儀なくされていると言えるだろう。
昨年亡くなった父の見た風景が消えていくのを思うと複雑な気持ちになった。もっとも代々の先祖が目にした世界と現在は異なるのであり、私が知る風景がいつまで保たれるかなど誰にも分からない。
諸行無常といえばそれまでだが、蟻の視点で見れば心乱れる事実だ。
知らないうちに頬に引っ掻き傷を作ってしまった。心当たりが無いので寝ているうちに何かにこすったのか分からない。
顔を気にする歳でもないし、そもそも私の顔などさほど注意している人はいない。それに加えて始終マスクをつけているのでそもそも見えない。私が傷に気づいたのも恐らくできて数日後のようだ。
ずぼらな男の話として笑い飛ばしておけばいいことだが、少し視点を変えると、自他の顔への関心が下がり過ぎているということになる。これは少し恐ろしい。リアルな印象をもたらすはずのものが軽視されていることになるのだ。
もっとリアルに関心を持たねはと自分に言い聞かせる。
4月であるにもかかわらず巨大な台風が発生している。本州への直接的影響はまだわからないという。
台風は夏や秋に来るのものというのがこれまでの常識だ。ところが最近は春にも冬にもその可能性があるという。大規模な気候変動のせいだといわれている。抵抗しようもない脅威を感じる。
台風のエネルギーを何かに利用できないかと考えたことがある。暴風や強烈な雨、あるいは気圧の変化などを活用できないだろうか。年間に限られた回数しかないものに投資をすることは非効率かもしれない。だが、やる価値はあるように感じる。
台風を追尾しエネルギーのおすそ分けをもらってくる無人のロボットがいいなどと夢ばかりは広がっている。
ノートといっても紙面のもののことをいう。そのノートにいろいろな情報なり、思い付きを書いたものがたくさん並んでいるというのは私の思う理想であった。知識なり経験なりが物理的な形となって蓄積していくというイメージがあるからだ。
しかし、現在は書くためのノートがたくさんある割には埋められていない。何もたまっていないのだ。それはとても残念であるし、なぜか悔しくもある。このブログのようにデジタル上に書き残したものを集めるとおそらくそれなりの分量にはなる。私の場合は質より量だ。内容より継続が目標になっている。
それでも大学ノートやらコクヨの野帳やらに何かを書き続けたいという思いは常に持っていて鞄の中には何冊ものノートがある。それらは書かれることなく、自宅と職場やその他の場所の間を移動し続けている。いつかはそれが活用されることを期待しているのだが。

緊急事態宣言が解けてから、感染者数が増える傾向にあるという。人の動きが活発になればリスクは増えるのは当然だ。
医療機関などで病床が逼迫する状況は各地で見られるという。ワクチン接種に係わる医師や看護師も必要だ。彼らに過度な負担をかけないように予防には努める必要がある。
同時に自粛だけが予防法出ないことを知るべきだろう。経済活動が止まれば社会システムへの影響が出る。それが不安を引き出すことになれば別の深刻な問題が出来することになる。止めずに守る。それが現時点での最善策だ。
クルマを久しぶりにレンタルすることを検討している。今までは所有するのが当たり前だったがもしかしたら使うときにだけ借りる方がいいのかもしれないと考えている。
レンタルとかシェアとかサブスクリプションとか物の所有の方法が変わりつつある。何が最もいい方法なのかをその都度考えることが必要なようだ。
ビデオレンタルは次第に実店舗さえ不要になりつつある。クルマも営業所なしで借りられるサービスが登場している。次は何が現れるのだろう。そして、それにどう対処すべきなのか。
毎日嗜んでいる嗜好品であるコーヒーはどうして飽きることがないのか。様々な薬効も指摘されているが、おそらく良くないこともあるに違いない。期待しているのはそういうことではない。
人によって向き合い方は違うはずだ。私の場合は精神安定のための時間を確保するための道具なのだと考えている。だからすぐに飲み干せるアイスや砂糖を入れて口当たりを良くしたものは私の目的からは外れる。冷めるまで時間がかかる苦い飲み物でなければならない。
先日、コーヒーを飲む間は異世界の人と会えるという小説を読んだ。そこまではできないとしてもこの飲み物は一種の現実逃避の機会を与えてくれている。
いまの時勢では仕方がないのかもしれない。ただ、心の潤いという面において著しく低下しているのは紛れもない事実だ。
文化的な催しが制限され、中止されるものも多数ある現状では、精神的な充実感を得る機会が少ない。もちろん、自ら創作し活動することはできる。しかし、そこにはおのずと限界がある。他者から受ける感動がこの方面ではもっとも大切な要素だと考える。しかし、それができない。
非接触、遠距離の文化交流の試みはいくつもある。ただ、そこから得られるものは限定的だ。その枠で何ができるのかをいま一度考え直すべきだ。
いわゆるサブスクリプションに相当するサービスを無印良品が家具の分野で始めるという。商品を買い取るのではなく、定額料金を払って借りる方法である。消費者側からすれば低額で商品を導入できることや、一定期間の終了後に処分する費用を節約することができる。また企業側からすれば顧客とのつながりを保つことができることや、安定収入を得られるというメリットがある。
実は福祉の分野などでは家具の定額レンタルは存在している。介護ベッドなどのレンタルは一般的だ。それが一般家財にも及ぶと生活の体系は変化していく可能性がある。かつては花嫁道具として箪笥や長持ちなどが使われ、生涯に渡って使い続ける財産として家具は考えられていた。それが借りたい時に定額で借りることができれば、モノへの執着はなくならざるを得ない。自分のものであっても所有権はないという感覚は当初は馴染みにくいだろう。
しかし、現代人の多くは住居さえも定借制であり、サブスクはもはや完全に市民権を得ている。モノに執着し、モノとの関係性で築き上げて来た日本の文化が大きな転換点にあることは確かであろう。不景気で購買力が低下している日本人にとってこのビジネススタイルは案外早く定着していくかもしれない。
成功の秘訣は習慣化にあるというのはよく聞く。確かに仕事でも勉強でも金の使い方でも習慣化するとうまくいくことが多いようだ。もちろん逆もまた然り。
大切なのは初速度だ。動機がないと長続きしない。私の場合、こんなことを書きながらも実はあまり続けられるものが少ない。このブログを除いて。そうだこのブログのように質を求め過ぎなければいい。とりあえず何でもいいから続けること、それがのちに何か大きなことに結びつく可能性がある。
習慣化するためにどうすればいいのか。その一つが他人に宣言して、約束してしまうことなのかもしれない。私がブログを続けられているのも毎日誰かが、しかも日本以外の国(だと思うが)の方がこの文章を読んでくださっていることをWordPressのシステムが報告してくれているからだ。結局誰かに見られていないとできないのか。しかし、互いに助け合っていると考えればそれもいいのではないか。
