実家に向かう道を夜歩いていたら、桜の花が散り急いでいるのを見つけた。路面のアスファルトに多くの花びらがはりついていた。桜の季節は終焉に向かっている。そして街路樹を見上げるとハナミズキが少しずつ花芽を大きくし、一部は開き始めていた。
その通りは数キロにわたってハナミズキが街路樹として植えられ、もう少し経つと一斉に開花して美しい風景になる。あちらこちらに似たようなところがありここだけではないのだが、個人的にはなかなかの名所ではないかと考えている。
満開になるのにはまだ間がある。楽しみにしていたい。
日々の思いを言葉にして
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実家の最寄り駅前の桜が咲いていた。早咲きの品種である。東京のソメイヨシノの開花は気象関係機関や企業の予報では3月20日〜24日ごろであり、あと数日後のことである。
桜が咲くには気温と日照時間のみならず、冬季の寒さも必要らしい。気温の変化によって休眠期間がおわり、開花が促されるそうだ。今年のように暖冬傾向が長々と続くとこの切り替えが顕著ではなく、開花が遅れることになるのだという。
とはいえ、大方の開花予想日は平年よりは早く、満開になるのも28日ごろらしい。東京の標準木は靖国神社境内にある。都心の気温は高めで、周囲に比べて早く花期が経過する。それにしても入学式のころには散り急ぐ花を見ることになるのだろう。
かつては農業の指針であり、伝統的な美意識の対象ともなったこの花は、現代では人間の生活に翻弄され生態を変えつつある。いつまでも桜花爛漫を寿ぐ文化が続いてほしいと願う。

実家から散歩をすることにした。田園の中を歩くと時々梅花に出会う。恐らく地主の趣味なのであろう。通りすがりの私にとっては嬉しい偶然である。
万葉時代は梅花は舶来の花という感覚が強く、海外の植物という感覚があったようだ。令和の元号の由来となった大宰府の梅花の宴の歌のようにどこか構えた作品が作られたのが当時の梅に対する思いなのだろう。
現代人は梅をむしろ和風のシンボルのように考えている。梅花を愛する気持ちは恐らく世界一ではないかとも思う。梅鉢の模様は天満宮のみならず、日本人の多くを説得できるものとなっている。
いま田舎道を歩いて気づいたことがある。私はいかに知識の上だけでものごとを見ているかということである。実際の風景は変化にとんでおり、理想とはかけ離れている。それをありのままに認めることで、つぎの発見があるのだ。最近の私の生活に欠けていることに実体験というものがある。体験を通して知識が得られることを理想とするのなら、今の生活は極めて低調なものだ。経験より知識が先行している。
私の日常がいかに記号化され、実体験から遠ざかっているか。今日の散歩はそれを痛感させてくれた。
気象関係者によればこれから高温傾向となり、梅や桜の見頃が早まりそうだということだ。花粉の飛散も始まりそうである。
最近はマスクをせずに外出しているがそろそろ花粉症対策を始めなくてはなるまい。対策薬も服用を検討しよう。
東京は雪のが日陰ではわずかに解け残っているが、もう次の季節だ。これから体調を崩さないようにしたい。
牧野富太郎の人生を調べると実に興味深い。日本植物学の父としての名声の裏にはさまざまなドラマがある。それは朝の連続テレビ小説で描かれるようなさわやかなものだけではなかった。

牧野は裕福な商家に生まれたため、経済的な問題は当初はなかった。ただ高知県の山間部では植物学を学ぶ環境がなく、かつ、一つの研究に専念できるような環境が地方にはなかったのが難点であった。彼はその難関を家族からの資金援助で切り抜けている。ただそのために家業が傾き、果てには廃業に追い込まれている。それでも植物学に熱中できたのは生まれながらの気質と研究への情熱の深さである。
だから必ずしも周りの人物に幸福をもたらしていたとは言えない。むしろ周囲の献身、もしくは犠牲のもとに成り立っていたともいえる。そのような環境にあることを自ら受け入れ、研究を続けたのが牧野の才能といえる。一歩間違えば独りよがりな危険人物であった。
学者という生き方にあこがれたことがある。学問に身を捧げ他を顧みないという生き方をした人に素晴らしい成果を残した人は多い。世事にとらわれず自らの知的好奇心の思うがままに研究を続けられることには羨望する。ただ、それは思うより易しいことではない。周囲ことを考えず熱中できることはもはやその人物の才能であり、それができない人は突き抜けることはできないということなのだろう。
牧野富太郎だけではないが、優れた業績を残した人物の周囲にはそれを支える人たちの並々ならぬ努力が隠されている。
亡き恩師が好んで歌った歌に宵待草があった。竹久夢二の詩に哀調のある楽曲がつけられたものである。「待てど暮せど来ぬ人を宵待草のやるせなさ」から始まる歌の意味を中学生の私は語彙のレベルでも経験のレベルでも理解できなかった。ただかなり歌いこまれていた事だけは伝わった。

宵待草は月見草のことだという説もある。月見草とはマツヨイグサの仲間であり、ツキミソウという種もあるが、大抵はメマツヨイグサかオオマツヨイグサに比定される。これらは黄色い花で道端に生えている。いわゆる雑草の類だ。元は北米の植物で近代に帰化したと考えられている。太宰治の『富嶽百景』には月見草が出てくる。オオマツヨイグサのことではないかとされている。
月見草といえば野村克也氏が生前自身の存在を長嶋茂雄氏と比較して例えていた。実際のマツヨイグサはかなり生命力が強く、生存競争にも勝ち残りやすい。これも氏の望むことだったのだろうか。
夢二が宵待草に何を見たのか。太宰治が富士に似合うと考えたのはなぜか。恩師がなぜ宵待草を愛唱し生徒に聞かせたのか。先人は答えない。せめて自ら花を見て考えて見るしかない。