半年が終わったことになる。毎日いろいろなことが起きて一喜一憂しているのに、それを一括りに纏める力をいつの間にか儲けてしまった。
かつて半年の消化は、節目と考えられ、水無月の祓えなどが行われた。今は単なる通過点で、今年のように猛暑が既に始まっているとなるとますます存在感がない。
自然と乖離する生活を続けるうちに何か大切なことを忘れそうである。
日々の思いを言葉にして
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半年が終わったことになる。毎日いろいろなことが起きて一喜一憂しているのに、それを一括りに纏める力をいつの間にか儲けてしまった。
かつて半年の消化は、節目と考えられ、水無月の祓えなどが行われた。今は単なる通過点で、今年のように猛暑が既に始まっているとなるとますます存在感がない。
自然と乖離する生活を続けるうちに何か大切なことを忘れそうである。
ときどき利用する駅には燕が営巣している。今年は3カ所あり、すべてがうまく雛が育っているようだ。
巣のある場所の下には三角コーンが置かれ、頭上から落ちてくるものに注意するようにとの但し書きが付いている。誰もこの不自由さに不満を述べる者はなく、当たり前のこととしている。
燕が人間と共生するようになったのはいつからなのだろう。この鳥が南方からの渡り鳥であり、その雛がまた戻って来ることを古人は知っていたのだろうか。燕が雛に与える餌の多くは昆虫であり、かつては農業を支える益鳥であったことをよしとしていたのだろう。都会の人間にもその記憶は残っているのかもしれない。
燕が人のよく通行する場所に営巣するのは、天敵たちが近づけないことを見越しているからなのだろう。それを発見するまでの歴史に自然と惹かれてしまう。
明日は夏至だ。年間で最も昼の長さが長い日である。これまでは夏至と言っても梅雨のさなかで、夏を感じることはなかった。それが昨今は文字通りの夏の至りとなっている。
大気が熱されるのには時間がかかるらしく、年間の最も暑い季節が8月であるのもこのことが関係している。熱されにくく、冷めにくいのが大気の性質なのだ。
それなのに、6月の時点でこれだけ暑くなっているのはやはり異常というしかない。原因が人類の生産活動にあるというのが科学上の定見である。そうでなくても両極の氷は確実に溶解し、海水面は上昇している。台風などの異常気象現象が増えて未曽有の脅威に晒されている。
夏至を迎えて私が思うのは、この世の節目が少しずつずれていることだ。私が子どもの頃の基準とは異なる何かがある。伝統的な季節観によって成り立っている歳時記的な自然がいつまで通用するものなのか、それがとても気にかかる。
6月も半分が終わった。やるべきことが終わらないまま、過ごしてしまったことになる。どうも来週はかなり暑い日々になるようだ。煮え切らないというより、湿り切らない梅雨が続くことになる。
なんとかしなくてはならないと思うほど、何もつかめなくなると感じる。できなくて当たり前と割り切るようにしたい。他人に迷惑をかけない限り、オウンペースで切り抜けたい。
雨が降ると傘のことが気にかかる。電車に乗って移動することが多い私にとって濡れた傘をどうするかは大きな問題だ。満員電車に乗ることが多いので一層困っている。
傘は持ち方によっては他人を濡らしたり、先が当たってけがをさせるおそれがある。だから、私は折り畳みを利用するが、これだと今度はそれをどのように持つのかが問題になる。いまは傘についている袋を濡れたままでも無理やり入れてしまって、傘を小さく収納している。それでも雫は気になってしまう。
おそらくすでにあると思うが、その袋に入れると速乾する素材のものがあればいいと考える。その都度、水を切ればいいと思われるかもしれないが、都会に住んでいるとそれもなかなか難しい。傘の持ち方の工夫はこれからも考えていきたい。