東京の明日の最高気温がところにより40℃に近づくかもしれないという。いわゆる災害級の暑さである。職場の空調はほどほどに効くが明日は家庭用のクーラーが効果を発揮しない可能性がある。ということで家族で避暑の旅に出ることにする。明日は比較的フリーなので、自宅勤務を申請し、実際には図書館や喫茶店に避難することにする。盛大なるサボりだが、一年に一度くらい許してもらうことにする。
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猛暑観測点史上最多
猛暑日となった観測点が史上最多になったという。体感的にも暑さの質が異なる気がする。このような天気はいつまで続くのか心配になる。一部地域では渇水の恐れも出ているとのことであり、再び米価の高騰につながらないか不安になる。
遠くから台風が近づいているようで、これがまた高温傾向に拍車をかけているのかもしれない。この後の予報を見てもまだしばらく続くようだから、全く気が抜けない。
サマータイムやりませんか
二つの夏
夕刻蝉の鳴く声を聞いた。ここ数日は猛暑日寸前の高温傾向で、最低気温もかなり高い。かつては蝉の鳴く声に夏の訪れを感じたものだ。
ここ最近は蝉の鳴かない夏と鳴く夏の二つがある気がする。6月の暑さは夏と変わらなかったが、蝉の羽化の季節よりはるかに前であるため、静かに暑い日が続いた。それが7月になってようやく抜け殻を捨てた蝉が鳴き出して泣き出したのである。ここから蝉のいる夏になった。
夏の長期化は自然界にさまざまな問題をもたらしている。中には深刻な生存問題も起きているようだ。熊や猿が人里に降りて来て、人を襲うようになっているのも、気候変動との関連があるのだろう。
自分が子どもの頃に過ごした夏とは違う夏を今は生きている。いまの若者は昔の夏の風情を理解できるのだろうか。想像力の問題というレベルではない、ダイナミックな季節の変化が起きていることに対応していかねばならない。
梅雨明けですか
梅雨空のこの頃
いつの間にか梅雨に戻っているなような日が続いている。時折かなり強い雨も落ちて、折り畳みを広げることが度々ある。
私の住む地域ではいわゆる大雨というものがまだない気がする。でも少し離れた所では豪雨の被害もあったと報じられていたから、この頃の天気は一層局所的になっているのだろう。
台風とその後
台風が接近している。規模としては小さいようだが、久しぶりの接近なので注意するに越したことはない。これは急速に北上するようだが、さらに西から熱帯低気圧が連れてきた前線が梅雨の終わりの大雨をもたらすかもしれないというのだ。そのせいか木曜までは雨か曇りの日が続く。その後は晴れて猛暑になる可能性もあるそうだ。梅雨がまだ終わっていなかったことも少し不思議だが、やはり区切りの儀式はあるらしい。気をつけなくては。
七夕
氷饅頭
亡き父がかき氷のことを氷饅頭と呼んでいた。昭和のある時期、家庭でかき氷を作れる器具が流行し、我が家にもたこ焼き用の鉄板とともによく使われた時期があった。
かき氷を氷饅頭と呼ぶのは戦前に少年時代を送った人の、主に西日本での共通体験なのだそうだ。削った氷を何と新聞紙に乗せて売っていたというから、おおらかな時代だ、そう言えば福岡市に住んでいた頃、街のたこ焼きやも新聞紙にくるんで渡してくれた。三個で三十円という破格な値段であったが、今考えると新聞紙にそのまま触れた食品を何の抵抗もなく食べていたことになる。高度経済成長が終わった頃の話だ。
氷饅頭の話に戻る。父はその話になるととても嬉しそうだった。かき氷を目にするたびにあれは氷饅頭だと言った。変な話というと、微笑んでいた。こんなことが何度もあった。恐らく子どもの頃の思い出と結びついているのだろう。
最近は喫茶店でかき氷を見ても食指は動かない。冷たいだけで何がいいのかと思ってしまう。氷に耐えられる身体ではなくなったのかもしれない。
半夏生
今日は半夏生である。いわゆる雑節の一つで、農事としては田植えの終わりを示す日であるそうだ。
東京のスーパーではこの日蛸(たこ)の売り出しがある。もともと関西の風習であった半夏生に蛸を食べるという習慣が、商機に利用されているようだ。稲が蛸の足のように根を張ってほしいという願いは、農家としては切実な願いであったはずだ。今年のように米不足で家政が圧迫されるときはなおさらである。蛸を食うくらいで悩みが解消されるのなら実行すべきである。
今年の場合、懸念されるのは短い梅雨が齎さなかった水運と、灼熱の日々が食糧にもたらす弊害だ。節水なり何なりの環境配慮は不可欠になるだろう。半夏生という言葉が空しく聞こえる昨今の陽気だが、夏はこれからと覚悟を決めるにはいい日である。