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降雪か

 関東地方でも雪が積もるかもしれないとの予報が出ている。今朝の冷え込みや湿度、やや厚い雲などを見れば当たるかもしれない。ただし、儚い雪になるだろう。

 北陸に住んでいた頃は雪が降るとなるとちょっとした覚悟と決意がいった。朝の雪掻きは結構な重労働だし下手をすれば腰を痛めたりする。転倒すれば怪我の可能性もある。しかし、やらねば生活がまわらない。雪国ネイティブではない私はその都度緊張した。

 東京に戻って雪国生活のことは年々忘れている。今日も靴の底はかなり滑りやすいものを履いている。ただ、降雪の予報を知ったときのそこはかとない焦燥はまだ残っている。

年賀状

 年賀状を出す人は年々減っているように思う。昨年は喪中であったため、賀状を出せない寂しさを味わったが、そもそも出す必要があるのかと自問自答を始めている。

 賀状だけでつながっている人は多い。そういう人とのつながりは淡いものであるが、実は心の支えになっていることもある。賀状を書いたり、その人からもらったりすることは、かつての自分に立ち戻ることができるささやかな一瞬でもある。人との関係は大きく変わってしまっていて、それを取り戻すことはできない。しかし、当時を思い出すことだけはできる。

 ソーシャルメディアでの連絡は常に現在の人間関係を意識させられるが、手紙はあくまで自分の思いを乗せることができる点で「ともだち」とは異なる。その意味では年賀状を交換する意味は失われていないのかもしれない。


夜来の風雨

 昨夜は強い風雨が通り過ぎた。先日に続いて深夜の暴風だ。雷鳴こそなかったものの、安眠を破る音が響き続けた。

 今朝はうっかり折り畳みで出かけたが風強く役に立たない。骨組みごとめくり上げるので、まさに破れ傘の趣きである。

 年末にかけてやるべきことは多い。その焦燥をかきたててくださいように天気の方も演出するようだ。

未明の雷鳴

 前線が通過した影響で未明に激しい風雨があり、雷鳴が複数轟いた。床の中で突然の轟音を聞くと非常に驚く。

 北陸に住んでいた頃、この季節はしばしば雷音に動転した。日本海側では積乱雲がこの時期に発生しやすい。時には強い降雪を伴うこともあった。夕立とは逆の印象である。

 晩秋や初冬に轟く雷鳴は季節の変わる指標であり、新たな季節の開始を告げるファンファーレのように聞こえた。関東にはさほどの例はないかもしれないが、今朝の雷雨はそれに当たるものと考えている。

 折しも今日から師走である。正月を迎える前に済ませておきたいことがいくつかある。どれだけできるのか。何をし残すのか。それが今の一番の関心事である。


昨夜の強風

 昨夜はかなり長い間強風が続いた。天気図によれば西高東低の気圧配置だ。しまがまだ南北になっていないので、本当の冬型とはいえないのかもしれない。寒気が入り込んでかなり気温は下がった。

 風の音て時々目が冷めた。少し布団を厚くしなければならないとも感じた。季節は進み、この月も中旬になっている。やるべきことは少しずつ、だが確実に進めていこう。

 寒いのはいろいろ困るが、心が研ぎ澄まされる気がするのはいいことなのかもしれないと考えている。冬になるのも悪いことばかりではない。

欅の紅葉

欅の紅葉

 近隣のショッピングモールに植えられたムサシノケヤキが紅葉していた。照明に透けて見える葉の色は不思議な鮮やかさだった。すでに落葉が始まっているので、この光景も数日限りだろう。

ハロウィン

日本でもハロウィンが行われているが、その意味を理解している人は少ない。子供の行事としてではなく商店の売出しの手段、大人のバカ騒ぎの言い訳として定着している。しかし、昨今のコロナ禍の影響で暴徒化する不届き者はしばらく途絶えている。

ハロウィンの化け物の正体は実は先祖の霊魂であるという。このあたりは日本の民俗に見られる鬼の形相をした先祖まつりと似ている。神と怪物は紙一重であり、まして劣勢の神話は妖怪化しやすい。祖先神とともに邪悪な霊が来訪するという考え方も日本の施餓鬼棚の習慣とよく似ている。仮装する行事としては京都の節分おばけが知られている。鬼面や天狗面をつけて先祖の霊になりきる行事は日本各地にある。ケルト人の信仰が元と言われるが、日本民族と直接の関係がない民俗に共通点があるのは興味深い。キリスト教とは無関係の行事なのでこの習慣がない国も多いらしい。

日本でハロウィンが受け入れられたのはもちろんアメリカとの関係によるものであろう。また、クリスマスまでの商機に利用されたこともある。ただその基層部分には古代信仰の偶然の類似があると考えられるだろう。それを意識している人は少ないにしても。

ハロウィンの起源には魔除けの要素も含まれていたという。もしそうであるならばウイルスという目に見えない魔物を退散させることを願いたい。東京では感染者数が激減しているが、世界的にはまた増加傾向が見られるという。完全に魔物が霊界に戻ることを期待して止まない。

Photo by Toni Cuenca on Pexels.com

Halloween is also celebrated in Japan, but few people understand its meaning. It is not a children’s event, but rather a means for merchants to sell their wares, and an excuse for adults to make a fool of themselves. However, due to the recent corona disaster, the number of rioting miscreants has ceased for some time.

It is said that the true identity of Halloween monsters is actually the spirits of ancestors. This is similar to ancestral festivals in the form of demons in Japanese folklore. There is a fine line between gods and monsters, and inferior myths are more likely to turn into monsters. The idea that evil spirits visit us along with the ancestral deities is also similar to the Japanese custom of the “Segakidana”. The Setsubun Obake in Kyoto is well known as a masquerade event. There are many events all over Japan where people wear ogre or tengu masks and pretend to be the spirits of their ancestors. They are said to be based on the beliefs of the Celts, but it is interesting to see the similarities in folk customs that have no direct relationship with the Japanese people. It is said that many countries do not have this custom because it has nothing to do with Christianity.

Of course, the acceptance of Halloween in Japan is probably due to the relationship with the United States. It was also used as a commercial opportunity until Christmas. But at the base of it all, there is a coincidental similarity to ancient beliefs. Even though few people are aware of it.

The origin of Halloween is said to have included an element of protection from evil. If this is true, I hope that it will help to get rid of the invisible demons called viruses. In Tokyo, the number of infected people has decreased drastically, but worldwide, the number is increasing again. I can’t stop hoping that the demons will completely return to the spirit world.

Translated with http://www.DeepL.com/Translator (free version)

Deeplで翻訳してみました。日本語の名詞の間違いを直しましたが、それ以外は結構、うまく行っているような気がします。正解はわかりませんが。

紅葉

 まもなく東京も本格的な紅葉の季節となる。最近は暑い夏と寒い冬に挟まれて春秋がとても短い気がする。それでも紅葉からそれが風に舞う頃は、秋を実感する。

 紅葉して葉を見るとどれもが同じように見えながらどれ一つ同じものがない。そこに命の神秘を痛感するのだ。様々な偶然のもとにたった一つの生命の形がある。その意味を噛みしめるのである。

 いつも思うのはもっとも美しい紅葉を選んで、永久保存したいということだ。それはかなり難しい。形あるものをそのまま残すのは困難だが、その前に一つを選び出すことができそうもない。仮にできたとしても、当の自分自身が永久ではないことを悔しく思うだけだろう。

移ろいやすきは

 移ろいやすいのは秋の空である。昨日は冷たい雨に震えたが今朝は実に穏やかな晴天である。空気が乾いているせいか爽やかだ。路面が濡れているのは雨のせいではなく、気温差の激しい夜から昼への切り替わりにできた露なのだろう。

 ついこの間までは汗にまみれていた身体が肌寒さに驚く瞬間が度々ある。桜並木も少しずつ黄葉が始まり、すでにすすきの群舞は始まっている。

 まもなく目的の駅に着くが、このまま朝の光を浴びていたい気もする。

秋雨

 急に季節が進んだ。ここ数日半袖では出歩けなくなっている。昨日の朝は10℃を割った。

 今朝は秋雨そぼ降る中の出勤である。電車の乗客の着ている服の色が一気に濃くなった。すでに厚めの防寒着を着込む人もいるがさすがに尚早か。

 昨日は十三夜だった。もう気づけば年賀状やおせち料理の予約が始まっている。秋来たりなば。