タグ: 季節

まぶしい季節

お天道様

 急速に秋は深まり、もはや冬も近い。近くの商店街はクリスマスのデコレーションを始めた。考えてみれば一月半くらいでその季節になる。これからはまぶしい季節になる。

 気温も低く、風も冷たいのだがこれからしばらくは毎朝晴れた日はまぶしい。日の出時刻が遅くなり、北よりに変わった太陽の道は、通勤の道の正面に当たる。強い朝日を正面にして進まなくてはならないのだ。

 乾燥したこれからの季節の中で、陽光は嬉しくもあり、厄介でもある。ただ、寒さに打ち勝つためのエネルギーを送ってくれていることに感謝しながら歩くことにする。

イヌタデ

 イヌタデはこの辺りではどこでも見られる野草で、いわゆる雑草と呼ばれる類の植物である。赤紫の花が印象的で赤のまんまともいわれる。俳句の季語としては秋季で、確かに今、写真のような房状の花があちらこちらで見られる。

 この花はよく見るととても美しい。花の色彩がいかにも秋の野を彩るのにふさわしい感じがする。実は夏からも咲いていたのだが、そのころはほかの色鮮やかな花に紛れて目立たない。秋になって風景が落ち着いてくると目立ってくる気がする。

 イヌと名がつくものの多くは、まがい物とか品落ちるものといった意味がある。イヌタデも本当の蓼より劣るものという意味だ。蓼というのは植物学上はヤナギタデというそうで葉に辛みがあることから薬味として使われてきた。イヌタデはそれに姿が似ながら辛みがなく役に立たないという意味の命名らしい。食用には向かなくてもこの「雑草」は秋の野を彩るものとして大切にしたいものである。

紅葉

ムサシノケヤキの紅葉

 昨年も書いたが近隣の商店街に植えられたムサシノケヤキがいつの間にか紅葉している。ライトに照らされると実に鮮やかな色合いになる。

 足元を見るとすでに落葉した葉が散乱している。ついこの前まで汗をかいていたというのに、もう紅葉そして落葉の季節なのだ。

 秋来りなば冬遠からじ。今年は厳冬の長期予報が出ている。

変装ではなく変身を

 ハロウィンが近い。このところコロナ自粛が続いていたが今年はどうなるのだろう。単なる乱痴気騒ぎならばやめた方がいい。

 ハロウィンはアメリカを中心に行われている子供の祭りだ。収穫祭と祖先崇拝とがその根本にあるという。原始的な宗教が背景にある。それがなぜか日本では大人が参加する変装大会のようになってしまった。死者のふりをして町を練り歩くというのは、日本の祭りにも通底する何かがある。ただそれを意識することは少なく、先にも述べた仮装パーティーとなっている。

 大人が喜んで変装をしようとするのはなぜだろう。もうそこには信仰的なものはない。自分のために変装をしている。現状に甘んじてがんじがらめになっている状態をなんとか打破したい、という想いは変装という行動で晴らそうとするのだろう。実際は顔に何を塗ったところで状況に変化は起こらない。

 本当に必要なのは一時的な変装ではなく、変身することだ。それにはかなりのエネルギーがいる。今と違うなにかに変わることを目指していればいつかは変われるはずだ。それができてこそ、自己肯定感が得られる。とりあえず覆面してみて、そのうえでもっと大きな変化を期待し続ける。そうすればいつかは変身もかなうはず。そのように考えている。

厳冬予報

 気象庁や関連会社が出した長期予報によれば次の冬は厳しいものになるという。天気のことゆえどうなるかは分からないがもしこれが当たるならば気をつけなくてはなるまい。

 猛暑の次の冬は大雪が降りやすいという。これも統計的な真実を掴んでいる訳ではないので無責任に書いているのだが経験上はそうかもしれないと思う。雪害のことを思うと不安になる。

 農村にタワーマンションが建設されたというニュースごあった。理由は除雪をしなくてもいいからということだ。それほど雪は生活の大問題なのだろう。

 ぜひともほどほどの降雪を。誰にも頼めないことではあるが。

木星

Photo by ZCH on Pexels.com

 このところ木星の輝きが印象的である。秋に入って木星は一段と輝きを増している。位置的にも見やすい場所にあり、明るい恒星が並ぶ冬の星座も出始めているがまったく他を寄せ付けない輝きがある。土星も見えており、とても鮮やかだ。このところかなり冷え込んできたが、空が澄むのはよい。ホルストの楽曲を流しながら見てみたい。

冷え込み

Photo by Andrea Piacquadio on Pexels.com

 寒気が南下して気温が下がっている。今日は15度前後までしか上がらないという。薄いコートを着て出勤することにした。

 上着が増えると困ったことがある。ポケットに何でも入れてしまう私はそれがどこに行ったのか分からなくなるのである。今年はコートのポケットには何も入れない、入れるとしてもひとつの場所だけと決めることにする。

 まるで小学生の誓いのようだが、私にとっては結構切実な問題なのである。

紅葉の絵

Photo by Tunahan Dolgun on Pexels.com

 いつか描きたいと思いながらいつまでもできていないのが、紅葉のいろいろをスケッチすることだ。一枚一枚の葉を描いてみたい。同じように見えて決してどれ一つ同じではない。風に舞う頃、その何枚かを持ち帰ってスケッチブックに写してみたい。きっとうまくは描ききれないだろうが、この営みをすることで生きているということの意味を深く感じられるような気がする。

 本当の紅葉はそれがいくらきれいでもやがて土にかえってしまう。写真にとっても何か薬品につけて保存したとしても、それはもう本物ではない。本当の紅葉の美しさは移ろいの中の一瞬にある。その一瞬をせめて描いてみることには意味があるように思う。

 季節の移ろいを感じさせる秋の風情はやはりいいものだ。

秋晴れ

 久しぶりに穏やかな秋晴れだ。仕事をしている平日は晴れても無関係だが、休みの日に晴れるとやはり嬉しい。

 朝、自宅の周りを散歩するといつの間にかすすきが生えている場所ができた。おそらく誰かが植えたのだろう。すすきもいまや園芸の対象だ。

たわわ

みかん

 以前も書いた隣家の蜜柑の木が豊作の果樹のために大きく撓んでいる。中には地面に付きそうな枝まである。

 道に面したこの木は手を伸ばせば誰でも取ることができる。にもかかわらず誰も手を付けず、鳥たちも餌にしていない。まるでもう少し甘くなるのを待っているかのようだ。

 木には言葉がないのでこの状態をどう考えているのか分からない。実の中に仕込まれた種を遠くの適地に運ばれることを期待しているのだろうか。多大なエネルギーを消費して自らの生命を危険にさらしてまで結実させようとする命の営みに感服する。