
以前も書いた隣家の蜜柑の木が豊作の果樹のために大きく撓んでいる。中には地面に付きそうな枝まである。
道に面したこの木は手を伸ばせば誰でも取ることができる。にもかかわらず誰も手を付けず、鳥たちも餌にしていない。まるでもう少し甘くなるのを待っているかのようだ。
木には言葉がないのでこの状態をどう考えているのか分からない。実の中に仕込まれた種を遠くの適地に運ばれることを期待しているのだろうか。多大なエネルギーを消費して自らの生命を危険にさらしてまで結実させようとする命の営みに感服する。
日々の思いを言葉にして
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サンマは庶民の味とは言えなくなっている。不漁と他国船の密漁、その背景の気候変動と話は大きくなるばかりだ。難しい話はあとにしてサンマがとにかく食べたい。そういう季節である。
目黒の秋刀魚は落語の定番だが、この話は江戸時代においてサンマが庶民の食材であったことを物語る。佐藤春夫も庶民の味に哀感を込めた。決してマグロの上トロや鯛では表現できない。すぐに手に入るサンマであるからこそ哀れみが出る。
私が子どもの頃もサンマは庶民の味だった。何故かイワシは苦手だったがサンマは好物だった。内蔵が好きになったのは酒の味を覚えてからだ。
それがいつの間にか高級魚になりつつある。おそらく数年後には日本の近海でとることが難しくなる。近海魚ではないのだ。おそらく佐藤春夫の感慨は注釈抜きでは理解できなくなる。目黒の秋刀魚の落ちも変えなくてはならないだろう。
それでもサンマを食べる文化が根強いことには変わりはない。うなぎを食べるのと同じような感覚でサンマを食べるようになっていくのだろう。そういえばさんまの蒲焼という缶詰はB級の食材だった。直にカニ缶と同じ扱いになるかも知れない。

今日の東京の最高気温は13℃だった。数日前まで29℃あったことを考えればすでに別の季節であることは確かだ。しかも今日は雨が降っていた。
いいこともある。雨の中を大通りを歩いていたら、信号のない横断歩道で両側の車がすぐに止まってくれた。さすがに寒い中を歩く者を無視できなかったのであろう。運転するものに優しさを思い出させた冷たい雨であった。
明日は小回復するとのこと。すでに夏の思い出は褪せ始めている。いまは先に進むしかあるまい。

天気予報によると明日の東京の予想最高気温が23℃、最低気温が16℃という。明後日は最高気温が16℃で最低気温は13℃というから驚きだ。気象庁のデータによると今日の最高気温は29.5℃だったというから、これからは下がる一方ということになる。明日は雨も降るらしい。
天候が急変したときは体感温度は実際よりも激しく感じられる。明日はかなり寒く感じることになるだろう。汗ばんできていた上着が明日からは身を守る大切なものになる。個人的には暑さよりも寒さの方が性に合っている。しかし、それも程度がある。コロナ騒ぎの中では自由にすることもできない。換気を強制される中で寒さのあまり体調を崩した2年前のことを思い出さなくてはならない。
季節が変われば感受性も変化していく。気づかなかったことを探し出すことができるかもしれない。

なでしこは万葉集でも詠まれている。大伴家持は恋人をこの花に例え、特に大切にしたようだ。
日本人女性はこの花に例えられることが多い。ナデシコと呼ばれる花は幾つかある。日本の在来種はカワラナデシコとかヤマトナデシコとも呼ばれるもので、鮮やかなピンク色が印象的だ。白に近い花もある。細く分かれた繊細な花びらもいい。山野に自生するが、園芸店でも売っており、鉢植えする人も多い。先に述べた家持には自分の庭に播種したという歌があり、園芸の伝統は古い。
万葉集の秋の七種にも詠みこまれている。伝統的な秋の花ということになる。繊細そうな花だが、意外に強い。また、完全な自然林には咲きにくく、里山のような環境の方が繁殖しやすい。そういうことも含めて日本女性に例えられているのだろうか。