カテゴリー: エッセイ

パンデミックが

 コロナ禍によるパンデミックが子どもの成長に及ぼした影響に関する検証はこれからよく見かけることになるだろう。隔離を余儀なくされ、リモートによるコミュニケーションが主流となった時期に成長期を過ごした世代には少なからぬ影響が見られるはずだ。

 印象で述べることなので以下の内容は批判的に読んでいただきたい。集会の際のマナーやモラルに関しては意識が低下したと考える。ライブで行われる一度限りの情報伝達では集中力が何よりも大切だ。それがない子どもたちが多い気がする。状況を考えないでリアクションをするのはテレビを見るときの姿だ。

 字が汚く、文を書くのが苦手なのも基礎的なトレーニングができなかったことの表れなのかもしれない。相手に対して敬意を示すことや、忍耐強く最後まで聞きとどけることなどもリモート学習では達成できなかったことなのだ。

 こうした差異がこの後、彼らの人生にどのような影響を及ぼすのだろう。

濃霧

 今朝は気温が高くなったために平野部でも濃霧が発生した。朝霞というべきなのだろう。唱歌の歌詞にある「霞か雲か」の現象である。上着を着るのが少し暑い気がする。季節の移り変わりを物語る一コマである。

型から学ぶという意味

 日本の教育は知識や型を教えすぎて、本人の個性を伸ばせないという批判がある。確かにそういう面があるのは事実だ。このような方法では既成の秩序の中ではうまく立ち回れても、未知の世界では対応できない。今日のように予測不可能な未来に直面する状況では、もっともよくない仕儀であると。

 ただ、ならば自由に学べというのもおかしなことだ。学べる力を持っているのなら、実は教育は要らない。多くの場合、人は何をどう学んでいいのか分からない。だから、先人の教えが必要なのだ。

 日本的な基礎を固める方法も、個の応用に賭けるやり方もどちらも必要である。先人の教えを手っ取り早く実践できるのは型の模倣だ。もちろん外面だけの摂取ならば実効性は期待できない。型の模倣にはその精神の体感を゙伴うことが期待されている。

 この方法は見直されてもいい。身の丈に合わないことでも敢えてやってみる。やった後で得られる何かが単なる模倣をそれ以上のものにするのかも知れない。コピーしきった時には本家を超えることもあるのだ。

 学び方に王道のようなものはない。一時的な批判にぶれることなく、信じた学び方で貫くことが成功の扉を開く。今日のように情報過多な世情ではあれこれ考えているうちに学びの機会を逃してしまう。学びには一種の愚直さが必要だ。

子どもの頃には気づかなかったこと

 子どものころに見ていたドラマやアニメをふとしたきっかけで見直してみるといろいろな発見がある。いまに比べれば特殊効果などの技術が単純なため、ほほ笑ましく感じてしまうものすらある。

 ただ、設定やストーリー展開の中には子どもの頃には気づかなかったメッセージが感じ取れることもあり、興味深い。作っていたのが大人である以上、彼ら境遇やら世相などが自然に入り込んて居るのだ。

 文化史の資料として見てしまう自分がいる。

ノートは先生の言ったことの記録ではなく

 学生の頃、恩師の講義はもれなく記録しようとしていた。ときには小型カセットデッキを持ち込んで録音したこともある。ただ、いま考えると一字一句書き留めることには、それが講義そのものの記録を目的にするものでない限り必要ではなかったと考えている。講義の中で何を講師が伝えようとしているのかをまとめればよいのだ。

 その意味においてノートは講義の記録ではなく、講義で得た知見を自分の中に内在化させるための手段の一つなのである。教わったことを自分が使えるものにするために場合によっては自らの経験や知識を加味してまとめ直すことが行われる場なのだ。

 このことは中等教育の時点で教えておく必要を感じる。単に黒板の文字を写しておしまいではなく、それを自分の言葉で説明できるようにしておく。そのための作業をするための空間がノートなのだと言える。

 きれい書くとか、カラフルに書くといった指導は要らない。本人にとって自分の思考が展開できるものであればよいのだ。よく、有名大学生のノートを模倣すべきだという発言があるが、これも絶対的なものではない。個人にとって使えるものであればなんでもいいのだ。講師との対話、もしくは自分自身との対話が模擬的に行われるスペースなのだ。

 ノートに関しては私自身も最近は講師の話を批判的に聞き、メモには自分の考えも加えている。その方が余程記憶に残るし、使える知識になりやすい。

東京大空襲の日

 1945年3月10日に東京の現在の墨田区や江東区、墨田区を中心に広域にわたる空襲が行われた。何度かあった東京への空襲の中でこの日を大空襲と呼ぶことが多い。死者数は10万人を超え、その多くは非戦闘員であった。交戦中の国への攻撃とは言え明らかに戦争法違反の行為である。このことを忘れてはならない。

 戦争という事態は人々を異常な精神状況にさせるらしい。いま、日本は暫く戦争とは無関係な日を送っている。戦争の恐ろしさも抽象的なものとなってしまった。何が本当で何が嘘なのかも分かりにくくなった。

 空襲にしても死傷者の数や被害のあった土地の面積といった数で表現され、その当時の人々の感情は伺い知れない。これでは戦争の恐怖は十分に理解できないのだろう。

 人々が戦争の害悪を知りながら、繰り返してしまうのは実感の保存が完全にはできないからという原因もあるに相違ない。せめて今何ができるのかを考えるべきなのだ。

記憶はいつか

 記憶はいつか消えていく。歳をとるとその速度が速くなっていくのを実感する。さまざまな媒体に記録しても、それはすでに自分の記憶ではなく、何かが省略され、何かが誇張された現実に似て非なるものである。

 ならば現実は直ぐに消え去る儚いものなのだろうか。私たちはその問いを全力で打ち消そうとする。記憶が消えても、いかに現実を過ごしたのか。それが周囲の他者にいかなる利益をもたらしたのかという尺度を持ち出して有意義なものであることを死守しようとする。これは実はとても大事なことだ。

 人生を一人の視点からしか見なければ、人の死は全ての終わりだが、人類という単位で見れば、個々人がそれぞれ積み重ねてきたまとまりのようなものである。それぞれ皆違いながら、多くの共通点を持つ。記憶を組みあわせれば人間としての共通経験が形成される。その意味では人間の記憶は意外にも長い。

 いずれ忘れることであってもそれを考えることにはやはり意味がある。

 

春を感じる方法

 数日ぶりに晴れた朝になった。乾燥はまだそれほどでもなく、風は冷たいが快適だ。ただ、花粉の飛散は多そうで今日も大変な一日になりそうである。

 日の出が早くなっている関係で、電車の車窓から見える風景が少しずつ変化している。建物や道路の色や、植生につく陰影などが日々変わっているのだ。毎日同じ時間の電車に乗る私にとっては、定時観測のようなものになっている。都会の住宅地で季節を感じる方法である。

 三月も刻々と過ぎつつある。やるべきことは多い。多忙を嘆くだけでなく進めることを一つずつやっていくしかあるまい。

 先日、近隣の公園に梅の花を見に行った。降雪より前だったので穏やかな陽気だった。観梅客もそこそこ多く、いい雰囲気だった。鶯ではなく、メジロが飛来すると伝統的な風物が揃った。ウグイスよりもウグイス色なのはメジロなのだから。

 降り積もった雪の花を見たかった気もする。夜晴れて月でも出れば雪月花の完成だが、そんな役満は滅多にない。