ニュースによると北陸ではかなり雪が降っているらしい。積雪のためにさまざまな障害が起きつつあるというから心配だ。
除雪にはいろいろな危険も伴うので十分に注意していただきたい。特に人力で行う場合は要注意である。無理のないようにしていただきたいと思うばかりだ。関東は乾燥した晴天、毎年思うのだが、この差の激しさは日本の特徴ではあるが、何とかならないものか。
日々の思いを言葉にして
カテゴリー: エッセイ
ニュースによると北陸ではかなり雪が降っているらしい。積雪のためにさまざまな障害が起きつつあるというから心配だ。
除雪にはいろいろな危険も伴うので十分に注意していただきたい。特に人力で行う場合は要注意である。無理のないようにしていただきたいと思うばかりだ。関東は乾燥した晴天、毎年思うのだが、この差の激しさは日本の特徴ではあるが、何とかならないものか。
錯視という現象は人間の脳の構造的な問題に関係するらしい。どのようにものを見ているのかは、脳のフィルターを通して捉えられ、必ずしも現実の姿を映しているとは限らないというのだ。
極端な錯視の例は理解可能なのだが、実はそのように見えていただけで、実は違っていたのだといった軽微な錯覚は多くは意識に上がらない。だからそれが虚像なのか真の姿なのかという判断にすら及ばないのだ。
自分の目を信じろというときは、さまざまなバイアスを織り込みながらもその経験を尊重せよということであり、決して真実至上主義という訳ではないのだ。
極端なことをいえば、人は同じものを見ることはできないのかもしれない。実は違って見えているのものをこれはこう見えるねと示し合わせる手続きをたびたび行うことで同じものであるとみなしているのに過ぎないのかもしれない。
何をどのように見ているのか。それは実はとても不可解で、繊細かつ重要な問題である。
私の住んでいる地域では衆議院議員選挙と市長、市議会選挙が続けて行われることになった。寒い時期に2回も選挙があるのは、どう考えてもおかしい。投票率は期待できないだろう。
実は最近駅前などで市議選の選挙活動が始まっている。実は政策がよく分からず、結局ルックスか選挙資金の多い者が露出が多く、議員選挙の本質が満たされない。街頭でのアピールも政策を語ることはなく、イメージ戦略が先行しているようだ。
国政の方も選挙の意図から、政党の主張まで実に分かりにくい。相変わらずポピュリズムで大局が変わる危険な状態にある。これは切実な問題だ。
選挙に行きたいけれど、よく分からない。そんなことで機会を逃さないようにしなくてはならないとは考えている。
気象関係者の使う用語である冬日、真冬日について調べてみた。思えば夏日、真夏日についてはかなり理解できたつもりでいるが、その反対については曖昧だった。
まず冬日というのは最低気温が氷点下になった日のことをいうそうだ。最低気温は明け方になることが多いものだが、その時に気温がマイナスになっていれば冬日ということになる。これは結構ありそうだ。ちなみに明日の居住地の最低気温の予報はマイナス1℃なので冬日ということになる。
真冬日は最高気温が氷点下ということで、東京では過去4回しかないとのことだ。恐らく今後もしばらく発生しないと思われる。真夏日は最近頻繁に起きているが、対極の方はめったなことでは起こらない。
現在、日本は強烈な寒波に覆われており、日本海側では雪害が発生しつつある。東京は乾燥した季節風が吹き荒れ、体調を崩す人が多い。実は私も怪しい。冬来たりなば、春遠からじ。まもなく立春である。今日は凍えているが次を待とう。
冬日の後には花咲く季節があること知っているのは私にとっては大変な救いなのである。
優れたリーダーとは ?
最近、身の回りから国際ニュースに登場する人物まで、いいリーダーが少ないと思う。自己の得意分野には聡いが、それ以外になると利己的にしか動けない。残念だが、そんな方が多い気がする。
ならばお前ならできるのかと言われれば、それは無理ですとしか言えない。つまり、私には素養がないのだ。でも、こういう人に導かれれば幸せだろうという見通しは立てられる。そこで思い浮かぶのは権力者とか資産家ではなく、目立たない仕事を黙々とこなし、なおかつそれを誇らない人なのである。
恐らくいまの時代ではそういう人はリーダーにはなりたがらない。功利的に立ち回ることそれ自体が彼らにとっては苦手であろうから。
少なくとも私たちは表面的によく振る舞っていたり、いわゆる口説の徒を上手く見抜きあしらうわざを磨くべきなのだろう。本当に大切なことは何なのかを考える余裕がいる。難しいことなのだが。
昨日行われた共通テストの「国語」は相変わらず、短時間で多くの問題を解く、反射神経と脳の若さを前提とした出題であった。昨年に比べると問3の実用文と、問4の古文が難しく感じられた。もっとも問3のような問題は解きなれていないということが主因であると考えられる。時間をかけずにいろいろな資料の要点をさっとつかみ取る力が試されている。これは人工知能の仕事のように思われるのだが。
第2問は遠藤周作の小説からの出題であった。没後発見された遺稿とのことで、古い価値観のなかで自らの生き方を貫くことを拒まれた母親の姿を描いている。自伝的な小説ということだ。遠藤周作の作品の中に登場する弱さを受け入れ、罰することなく、寄り添っていくという母親像の原点はここにあったことを感じさせる作品だ。受験生の多くは遠藤作品を読んだことがないはずだ。社会から強いられる女性の生き方をどのように受け取ったのか気になる。
社会でも女性の生き方についての問題が出題されたという。これはもしかして高市首相誕生効果なのかなどと勘ぐってしまう。女性の生き方はかなり変わったものの、いまださまざまな問題がある。そのことの問いかけならば受験生にとって意味がある。
よく使う駅の改札の外に設けられたワゴン販売に珍しく長い列ができていた。大抵はお菓子や、革細工などの小物などが売られていて、足を止める人はいて、そこそこ売れることもあるようだが、列ができることはない。それが少なくとも20名以上の列だったのである。
何だろうと思って見に行くと意外なものだった。シールだったのである。キャラクターの形に作られたシール集で、立体感がある。調べてみたらボンボンシールというそうだ。諸説あるが平成年間に主に女児の間で流行していたシール収集がここにきて復活したらしい。でも、昭和にも似たようなものがあった。転写シールというフィルム上のシールなどはあちこちに貼って怒られたものだ。
シールのような安価でかわいらしいものが流行するのはなぜなのだろうか。一つにはそれを買い与える親世代の精神が影響している。昔のことを懐かしむ気持ちだ。平成レトロと言われているようだ。昭和世代にとっては複雑な気持ちになる言葉ではあるが。さらには幼いころに回帰したいという一種の退行心理もあるのかもしれない。ストレスが多く、常に何かに追われているような毎日、また縮小する国家経済、近いうちに起きる天災などのニュースをジャブのように受けている私たちが、心理学でいう防衛本能を子どもの遊びのなかで実行している可能性もある。
現役の子どもたちにとっては簡単にできるデコレーションに創作活動を始めるきっかけを使ってほしい。そして私たちも、デザインすれば日常品が違った輝きをもつということをシールの貼付から思い出す契機となるのかもしれない。私の子ども時代のようにあちこちに貼りつけて怒られることがないようにしなくてはならないけれども。