思い込みはどこにでもある

 先入観を持って物事を見るのはよくないことである。それは確かだ。でも、まったく先入観のない状態などありえない。私たちは物事を見るときになにがしかのフレームを持っていなくては安心できない。何もない状態で世界を見ることはあまりにもワイルドだ。過酷な状態に身をさらし続けると、披露困憊して十分な行動ができない。

 これはこういうものだという把握を思い込みとみなすのか、掌握のための手段とみなすのかで評価は大きく変わる。思い込みは良くない、でもある程度の固定概念は日常を切り抜けるためには欠かせない。この区別を上手くできないと話は極論になってしまう。思い込みは良くないとだけ言う人はこの点を考えなくてはならない。

 それでは先入観を極力なくし、なおかつ日常生活を成立させるのにはどうすればいいのだろう。まずは自分が無力であることを自覚することが必要なのだろう。自分の価値観が世界の価値観と近いと考えてはならない。自分は世の中の常識と言われている広い分布範囲の周辺部分にいる一つの点に過ぎないことを考えるべきだ。そして、それは私だけではなく、ほとんどの個人は同じ立場なのだ。

 常識とか多数派とかそういう幻想は捨てなくてはならない。私たちは個々人のできる範囲のことしかできない。それを他人から見た粗密の尺度に照らし合わせても得られることは少ない、自分の行動はあくまでも多くある事例の一つであり、それが集団の真ん中にあるのか周辺部にあるのかなどだれにも分からない。

 思い込みをなくし、消化できていないことを冷静に考察し始めることが大切だ。これはこれからの人生観に直結する。人生を豊かにするためにはある程度知らないことは多いほうがいい、

連休

 今年の大型連休は前後に分断されてしまった。中には間を休める方もいらっしゃるのだろうが。私のような職種は暦通りしか休めない。

 でも、いまの自分にとっては長すぎる休みは調子を崩す要因にしかならない。適当に休んでまた仕事をする生活の方がいい。変化よりも安定の方がいいとは我ながら残念である。

 恐らく退職したあとも私は何らかの仕事をするはずだ。収入があるかどうかは分からないが。そういうふうに生きてきてしまった。

手書き入力

 スマートフォンで手書き入力をためしてみた。意外と正確に反映出来ることに驚いた。画数の多い漢字は片手持ちの親指書きではさすがに難しいが、それ以外はむしろ思ったよりいい。

 タブレット端末等を机上で使うときは手書き入力にしようと考えた。その方が思考のスピードに合う気がする。文字を忘れないようにするためにもいい。

 音声入力もかなり精度が上がっている。ただこれは周りに人がいるとき、図書館などの静粛が求められる空間では使えない。手書き入力の可能性をもう少し追求してみようと考えている。

転じて夏日

 今日は昨日比で最高気温が10℃前後上昇するらしい。夏日となるのは確実で、それ以上の記録になるかもしれないという。明日はさらに上がるという。

 連休は今年は前後に分断されるが、休むときにはしっかり休まねばと思う。身体の急速はもちろんだが、それよりも大切なのは精神面のリフレッシュだろう。閉塞感が横溢する中で、実はいくつもの出口があるはずであることに気づかなくてはならない。そのためには一度日常から離れることも大切だ。

 今日明日の暑さで身体の馴化を行い、連休を楽しめるようにしたい。

雨の一日

 一日中雨が続く日だった。しとしとと長く続く雨だ。お陰で新緑はきれいに洗われた。

 予報によると明日はきれいに晴れて金曜日までは気温もかなり上がるという。初夏いうより夏そのものの陽気になるらしい。ジェットコースターのような天気だ。

 振り回されることへの耐性が年々弱くなっている気がするので、ここは慎重に構えることにする。無理はしない。限られた時間で最高のパフォーマンスをすることを目指そう。

万緑

 電車から見える坂道の桜の街路樹の花はすっかり終わってしまったが、若葉が次々に芽生えてくる様は、また美しいものがある。桜だけではなく、いろいろな緑が輝く季節となった。

万緑は往古の詩人や歌人によって表現されてきた。強い生命力を感じるからだろう。命の力は万物の根源だ。かつては意識することがなかったがいまはいちいち気になる。生きることにはエネルギーがいる。

虚構を味わう意味

 小説や詩といった創作を私たちが行うのはなぜか。また人の作品をときには対価を払ってまで読んだり見たりするのはなぜだろうか。演劇やドラマ、映画といったものも程度の差こそあれ人為的な虚構の世界だ。こういったものにも思えばかなり高価な代金を払っても厭わない。むしろそこから得るものに大きな期待を持っている。

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 作り話が物質的にはなにももたらさないことは事実である。小説を読んでも栄養は摂取できない。定量的な利益を測定することはできないはずだ。場合によっては生活を困難にすることすらあるかもしれない。それなのに虚構を喜んで受容するのは意味がある。

 おそらくその効用はたくさんある。しかし、私がもっとも大事だと思うことは創作を作ったり、享受したりすることを通して結局現実を考え直しているということではないだろうか。どんなにファンタジーであっても、その基本にあるのは現実世界の姿である。それを誇張したり、逆にしたり、不可能なことを可能にしたりして虚構の世界は出来上がっている。虚構を読むことをとおして実は現実を見直しているのだろう。それが直接的でない分、気づきにくい。

 現実とは乖離している作品を堪能したあと、ふと、では実際はどうなのだろうと思う瞬間がある。わざとらしくなく、ごく自然にそのような振り返りがなされる。場合によってはそれによっていままで気が付かなかった何かを発見できることもある。昔から読書は心を豊かにすると言われるが、その一つがこうした現実を見る視点を得るという効用ではないだろうか。

メモ帳で諦めることを避ける

 最近、ちょっとした記憶の保持力が低下している。対策として何か別の仕事を始める前にメモを残すようにし始めた。しかし、しばしばこれを忘れてしまう。習慣になるまでには積み重ねがいる。

 今やっていることを簡単にメモする。キーワードでも箇条書きでもいい。重要度は考えないで書く。これが衰えた短期記憶の補助になる。

 このメモは手書きがいい。だから私はすべての上着とカバンにペンとメモ帳を携帯することにした。いくつもメモ帳があるのは変だが、目的がかようなものであるから別に構わない。

 衰えた者にはそれなりの戦い方がある。もう少しやってみることにしたい。

リモコンの夢

 子どもの頃、リモコンで走る車や船の模型はとても欲しいものだった。結局、一度も手に入れたことはない。空想の中で操縦して楽しむのが関の山だった。

 それがいまはドローンと呼ばれるプロペラ飛行体かでき、玩具でもかなりの高さまで操縦可能だ。値段も手の出ない額ではない。残念ながら、かつてのように操縦してみたいという欲求はなく、結局まだ触ったことがない。

 リモコンは私にとって子ども時代の夢であった。しかしこの夢の機械でいま厄介な戦争が行われている。ミサイルは究極のリモコン機器だが、他にも無人機による攻撃が実際に行われているという。ウクライナや中東の戦場ではそれらが飛び交い、人のいない攻撃がなされている。

こうなるとリモコンは夢の機械でもなんでもない。恐ろしい兵器であり、凶器だ。大変残念だが、それが現実である。

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悪評の裏側

 商品やサービスに対する評価コメントを見ることができるのは、インターネットサービスの利点の一つだ。新しく買うものに対しては情報がほしい。当事者の説明が一番だが、誇大表現や虚偽が含まれていないとは限らない。利用者の感想を読むことができるのは有益だ。

 ところがこのコメント自体がかなり怪しいこともある。必要以上に賛美したり、逆に根拠もないのに否定的な見解を書き込んだものもある。ある商品のレビューの記事があまりにも多く、大半が高評価なので、注意深く読んでみると明らかに作為的で、中には別の商品のことに違いないものも含まれていた。また、ネガティブなものも定型があり、コピーしていると考えられた。

 グーグルマップのコメントが事実無根で営業妨害、名誉毀損に相当するとして病院の医師等が、グーグルに対して訴えを起こした。虚偽情報を放置している運営会社にも責任があるという訴えだ。どのような判決が出るのか注目したい。

 こうしたデマや嘘の情報のことが話題になるたびに人間の情報処理能力の限界を感じる。野生の時代、情報を正確に把握することは死活問題だったはずだ。いまはこの頃に比べて情報収集の力は格段に上がった。しかし、それを判断、処理する能力はさほど上がっていないということなのであろう。