思い込みはどこにでもある

 先入観を持って物事を見るのはよくないことである。それは確かだ。でも、まったく先入観のない状態などありえない。私たちは物事を見るときになにがしかのフレームを持っていなくては安心できない。何もない状態で世界を見ることはあまりにもワイルドだ。過酷な状態に身をさらし続けると、披露困憊して十分な行動ができない。

 これはこういうものだという把握を思い込みとみなすのか、掌握のための手段とみなすのかで評価は大きく変わる。思い込みは良くない、でもある程度の固定概念は日常を切り抜けるためには欠かせない。この区別を上手くできないと話は極論になってしまう。思い込みは良くないとだけ言う人はこの点を考えなくてはならない。

 それでは先入観を極力なくし、なおかつ日常生活を成立させるのにはどうすればいいのだろう。まずは自分が無力であることを自覚することが必要なのだろう。自分の価値観が世界の価値観と近いと考えてはならない。自分は世の中の常識と言われている広い分布範囲の周辺部分にいる一つの点に過ぎないことを考えるべきだ。そして、それは私だけではなく、ほとんどの個人は同じ立場なのだ。

 常識とか多数派とかそういう幻想は捨てなくてはならない。私たちは個々人のできる範囲のことしかできない。それを他人から見た粗密の尺度に照らし合わせても得られることは少ない、自分の行動はあくまでも多くある事例の一つであり、それが集団の真ん中にあるのか周辺部にあるのかなどだれにも分からない。

 思い込みをなくし、消化できていないことを冷静に考察し始めることが大切だ。これはこれからの人生観に直結する。人生を豊かにするためにはある程度知らないことは多いほうがいい、

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