操作

 昨今の株式市場の変動はかなり激しい。実際の経済がほとんど変化がなく、コロナ禍からの緩やかな脱却が進んでいるのに比べ、何もないのに大きな事件が起きているかのようだ。

 ある人は機関投資家の意図的な操作だという。一種の陰謀論だ。変化をつけることで利益を生み出すのが資本主義の原則だ。だから、僅かな要因を拡大解釈して株価の操作に使うという。真偽は分からない。

 日本経済が操作によって左右されやすくなっていることは間違いない。選挙が近いが荒波を乗り切る覚悟を問いたい。

月光

 昨夜の満月はとても印象的だった。肌寒い中で冴えわたっていた。後の月も過ぎて文字通りの秋だ。

 気持ちの混乱を鎮めるには大きな光景を見るのがいい。心を落ち着かせれば見えてくることもある。何がいま大切なのかを月に反射させて大きく見直すのだ。

 行き詰まりはない進むだけだ。

移ろいやすきは

 移ろいやすいのは秋の空である。昨日は冷たい雨に震えたが今朝は実に穏やかな晴天である。空気が乾いているせいか爽やかだ。路面が濡れているのは雨のせいではなく、気温差の激しい夜から昼への切り替わりにできた露なのだろう。

 ついこの間までは汗にまみれていた身体が肌寒さに驚く瞬間が度々ある。桜並木も少しずつ黄葉が始まり、すでにすすきの群舞は始まっている。

 まもなく目的の駅に着くが、このまま朝の光を浴びていたい気もする。

秋雨

 急に季節が進んだ。ここ数日半袖では出歩けなくなっている。昨日の朝は10℃を割った。

 今朝は秋雨そぼ降る中の出勤である。電車の乗客の着ている服の色が一気に濃くなった。すでに厚めの防寒着を着込む人もいるがさすがに尚早か。

 昨日は十三夜だった。もう気づけば年賀状やおせち料理の予約が始まっている。秋来たりなば。

女性候補

 衆議院議員選挙の立候補者のうち政党に所属する女性は全体の18.4%で、均等を求める理念からは程遠いことが分かった。

 与党の自民党は9.7%と全く目標に及ばず、公明党は意外にもそれより低い7.5%とこの国の女性の地位を向上させる思いがうかがえない。それでは野党はどうかといえば立憲民主党も18.3%にとどまっている。

 政党別で女性の比率が最も多いのは社民党で60%である。唯一女性候補の方が上回った。ただし、立候補者数15人の小党であり、解散前の議席数は1で議員となるにはハードルが高い。

 各党とも候補者不足をその原因として挙げているが、そもそも女性を政治家として育てるシステムが各党にあるのか。タレント議員を思い付きで擁立して集票するという方法で女性を使う以外に方法はないのか。政治家として必要な経験とキャリアを用意して議員に立候補させる仕組みを各党が考えていかなくてはならないのではないかと考える。

 女性議員が増えるだけで政治がよくなるとは私は思っていない。大切なのは性別ではなく資質だ。それでも、多様性は必要でありその大きな柱の一つは性別だ。無理に均等にする必要はないが、現状ではなりなくてもなれないという性的ハンディが大きすぎる気がする。

栗山監督

北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督が今季限りで引退するという。残念だがこれがプロの厳しさなのだろう。

栗山監督は選手時代、神宮球場でその活躍を目にしたことがある。プロ野球選手としては小柄であるが、全力でプレーをする姿は魅力的だった。外野の守備ではしばしば身体をはったプレーをしていた印象がある。スワローズはその後、広沢、池山という好打者や古田という司令塔を得て快進撃をすることになるが、それ以前の神宮球場を沸かしていたのは彼の献身的なプレーであった。

持病のために満足な選手生活はできなかったようだが、解説者として冷静で理論的な分析を行い、ファイターズの監督になってからは選手の個性を生かした起用でチームをリーグ優勝や日本一に導いている。コロナウイルスで自粛生活を余儀なくされた子どもたちに向けてYouTubeを使ってなぜか「論語」などの漢文の話をしていたのも印象的だった。

多くの人が語るように栗山監督の功績の一つは大谷翔平を投手野手の二刀流として使い続けたことだろう。個性を大切にする選手起用の典型と言える。斎藤佑樹が開花できなかったことや、中田翔の暴力問題など最近は残念なことが続いたが、栗山監督が日本プロ野球の大切な指導者であったことは変わらない。

今度はどんな場所で私達を楽しませてくれるのだろうか。

所得倍増?

 岸田首相が自民党総裁選挙で掲げた所得倍増の言葉の解釈をめぐって疑問が出ている。経済再生担当相の山際氏が苦し紛れの釈明をしているが誰もが倍増などありえないと考えている。むしろ虚しい言葉を使う政治家を軽蔑する材料となっている。

 所得倍増は戦後の復興期の特殊事情でこそ実現したがいまはどう考えても無理だ。見かけ上のインフレで倍増しても通貨の価値が下がるようでは無意味だ。

 ただ、所得を増やすことはこの国にとって死活問題であることは相違ない。まずは持てる人たちが金を使う方策を考えるべきだろう。持たざる人たちまで利益が及ぶためには使ってもらわなくてはどうしようもならない。一律徴税するという愚策はやめた方がいい。

 金を回すのが富裕層の義務であり誇りであるという考えを普及すべきだ。個人的には金持ちの贅沢にはやっかみもあるが、大事なのは経済を循環させることなのだろう。倍増は無理でも少しは潤うきっかけが生まれる。

ブリコラージュ

 民族学の用語にブリコラージュがある。これはいま見直すべき考え方だ。

未開民族を観察した学者が、現地調査で発見した様々なことの一つがこれだ。ありあわせのもので生活に必要なものを作ってしまうことをいう。私たちはものに溢れている生活に慣れすぎてこの伝統的な技を忘れてしまった。

 大切なのは周囲をよく見ることだ。なんでも遠くから調達すればいいという訳ではない。こういう考えは資本主義には合わないかもしれないが、幸せに生きるためには必要なことかもしれない。

明日より未来

 衆議院の解散総選挙が近づき、各党が公約を出している。集票のためか公的資金分配を掲げる党が多い。いただけるのはありがたいが中長期的展望を説明してほしい。

 日本の財政は世界的に危機的な状況にあるという。国際的な信用がそれを許しているが、今後もそうだとは限らない。借金をすればなんとかなるという基本概念は行き過ぎると努力をしないことに繋がる。分配するにあたり、財源は何か、返済はどのように実現されるのかを分かりやすく示してほしい。

 例えばかつてのように国民全員に10万円を配るとする。生活に逼迫していない層は貯蓄や投資に横滑りしたはずだ。これでは経済活動に寄与しない。足りない人にはすぐに消える金額だった。使える人は使う方がよいし、使う予定がない人には寄付や贈与ができる仕組みがあれば少しは役に立つ。

 私の無知を暴露しているのだが、おそらくこの程度ことしか多くの人は分かっていないと思う。金を配ることにどのような意味があるのか分かりやすく粘り強く説明してほしい。秩序を重んじる国民性からして、訳が分かれば金の使い方も変化が起きるかもしれない。

 明日の利益も大切なことだが、この先の未来に責任を持てそうな党に投票したいと考えている。

桜並木

 かつて住んでいた町の住まいだったあたりの場所を歩いてみた。桜並木は苔生して老木の趣きがある。何も知らなければ由緒ある並木なのかと思うばかりだ。

 でも、確かここに住んでいた頃は頼りない若木にようやく花をつけるといったものだった。それがこの堂々たる幹と根回りを見せるようになったのは、それだけ歳月が過ぎたということだ。幾多の嵐と、大地震、それよりも深刻な大気汚染、異常気象に晒されて逞しさを身に着けたのだろう。

 桜並木のこの姿を見ている私もまた年老いたことになる。風格も威厳もなく、周囲からも尊ばれることもないがそれでも己の見たことを覚えていられるだけましということだろう。そう考えることにする。