投稿者: Mitsuhiro

ガラケーの意味

 父が携帯電話を水没させてしまい買い替えることになりました。高齢者にとっては画面操作は難しくやはりフィーチャーフォンにしたいと考えています。

父の行動を観察していると、一つの画面を切り替えてさまざまなタスクを行うスマートフォンのやり方は難しいようです。やるべきことがボタン一つで行えるショートカットが欠かせません。さらにタップ、フリック、スワイプなどの動作は実は繊細な使い分けが必要です。それもスマホ普及以前の世代は理解が難しい。加えて指先の感覚が衰えていることや、老眼で焦点が乱れるのも操作を困難にしています。音声入力は発音の不明瞭さが阻害要因となります。

 これは将来の自分自身の姿であり、高齢化社会を邁進するこの国のすぐ先の状況でもあります。高齢者の視点、能力を考えた技術開発が必要だと痛感しています。いまのところ当分ガラケーの存在意義はありそうです。

引き算ではなく

 働き方を変えるという号令は少なくとも一部の企業には影響を与えています。どちらかといえばトップダウンの動きとして就業時間が短縮されつつあります。

 働き方が時間の問題とだけ捉えられると様々な弊害が起きます。時間短縮だけで業務内容が変わらなければ、結果的に緊張感が高まるばかりであり、かえって労働者のためにはなりません。業務そのものの見直しが不可欠です。

 以上のような議論は最近よく耳にするところです。この考え方の基本はマイナスにあります。溢れ出している労務の削減ばかりが注目されています。しかし、この考え方には発展的な志向性が見えません。現状維持事態が困難な状況にあって引き算ばかりを繰り返すのはいい結果をもたらさないでしょう。

 引きながらも実は強固になるという考えを持つべきだと考えます。単なる減算ではなく、同時により高度なシステムを構築するという気概が欠かせません。時間的にも人的にも限られた中で効果を発揮する方法の模索です。これは撤退というよりは新機軸の開発と考えた方がよい。

 働き方改革は新形態への転換のチャンスと捉えるべきだと考えます。

だまされそうに

 佐川急便からSMSで不在通知が届きました。本文にあるURLをクリックするとアプリをダウンロードするように導かれます。ダウンロードの仕方として出所不明のアプリのダウンロードを許可するオプションを発動させるマニュアルまでついています。

 これが詐欺メールであることは佐川急便のウェヴサイトで確認ができました。私はこの手のメールには慎重な方なのですが騙されそうになりました。私の持っている端末がガラケーでアプリのダウンロードができないことが今回はさいわいしました。PCでもアクセスしようとしたのですが、こちらはウイルス対策ソフトが発動して難を逃れることができました。

 人をだまして利益を得ようとすることは昔からあることですが、デジタル時代は相手の顔が全く見えないのでたちが悪い。無差別にまた一方的に危害を加える実に性悪なものです。気を引き締めていても心のすきを狙ってくるのが憎らしい。これからも感覚を鈍らせることのないようにしていこうと考えました。

南町田改装

改装の進む南町田駅

 東急田園都市線の南町田駅の改装が進んでいます。11月にオープンする近接のグランベリーパークという大型商業施設のために駅も変わることになりました。南北を分断していた鉄道に自由通路を渡してその中央に改札を造り、エスカレーターを設置しました。既存のエレベーターはそのまま使います。

 駅の北側はグランベリーパークの施設に直結しており、すでにいくつかの店舗の看板がかかり始めています。230を超えるテナントが入ると聞いていますが、果たしてうまくいくのか。注目しておきたいところです。

駅名は長くなります

 南町田グランベリーパーク駅と改称されて10月1日からは常時急行が停車します。ちなみに長津田、中央林間の各駅が準急停車駅になります。この辺りはいまだに人口増加地域ですから利用者には利便性が高まります。駅名が長くなることに関しては高輪ゲートウェイほどの反対意見は聞いていません。グランベリーパークという施設が実際に隣接していることや、住民以外はグランベリーパークを目的としてこの駅を使うことになるからでしょう。ただ、将来的には「南町田」か「グランベリーパーク」かその略称で通称されることになる気がします。

 https://gbp.minamimachida-grandberrypark.com/

感情に訴える

 情に訴える方法にはよい点も悪い点もありますが、少なくともその効果的な方法だけは知っておく必要があります。理詰めではなかなか事態が進まないことが多いからです。

 私たちは何かを伝えたいときに、論理的に構成されたメッセージを送ることを目指します。それができないと独りよがりで理解不能なものになり賛同者が得られない。最低限の論理的な型に乗っ取って話を作ります。

 しかし、論理性だけでは人は感動できない。その中に感情を動かす何らかの要素が必要になります。人が何に感動するのかは個人的な差異があり、特定できません。同じものをみても抱く思いは異なるからです。それでもある程度の共通性はあり、多数の人に共有される感覚があることも事実です。

 感情に訴えるメッセージを送るためには他人の感覚の傾向を日常的に観察しておく必要があります。他人は何に感動するのかを知ることが大事なのです。その意味で人間観察は大事なのでしょう。メディアで取り上げられている感情のツボをまねするだけでは得られない何かがあることを発見しなければなりません。

多文化融合

ラグビーワールドカップ日本大会が開幕しました。先の大会から日本チームは勝負ができるチームとなり、強豪を倒したことは話題になりました。今回も1勝をあげ、期待が高まっています。

ラグビーのナショナルチームは国籍によるものではなく、その国との縁の深い人たちで構成されています。だからカタカナの名前や、様々な肌の色の人たちが並びます。日本人チームではなく、日本代表となりたい人たちのチームなのです。

我が国は単一民族国家のように多くの人が考えています。島国で他国から隔絶されているため、このような感覚が共有されています。しかし、太古の時代からこの国の人々は幾多の融合を繰り返してきました。その程度は時代によって濃淡はあるものの、決して純粋培養してきたわけではないのです。

にもかかわらず、日本が独自のアイデンティティを保ち続けているのは、民族や文化の融合力の強さに起因するのでしょう。異質のものを完全に排除せず、むしろ積極的に関わることで独自の文化を創出してきたのです。その結果生まれたものが日本文化であるということもできます。

 ラグビーの日本代表の戦術が独自なものであるのならば、それを文化のメタファーと考えることができます。カタカナ選手がトライを決めたとき、日本文化は新たな局面を開くのです。

そろそろ更衣

 最近は朝晩に季節の変わり目を感じます。日中は夏の名残が感じられるものの、さすがに雲の様は秋のものです。

 今朝は半袖で出かけたことを少し後悔しています。かといって上着を着るまでもない陽気なのです。東京にしては湿度も下がり、過ごしやすい季節ともいえます。沖縄近海の台風の接近が心配ですが、季節の進行に伴う更衣が近いのは確かです。

 日々のルーティンを変えることには不安もありますが、楽しみもある。更衣はその一つと考えると、季節のある国土で暮らす恩恵を感じ取ることができます。

送電線

 先日の台風のもたらした被害は想像を超えるものであったらしく、いまだに5万弱の家庭に送電ができない状態が続いているとのことです。記録的な強風が鉄骨の入った電柱をなぎ倒し、送電線を寸断したことが原因です。その現状は報道で垣間見ることができます。ただ、首都東京の隣県である千葉県で、どうしてこれほど復旧に時間がかかっているのかについては少々疑問があります。

 被害が出ているのは森林に囲まれた地域が多いらしく、復旧工事が困難なのは分かりますが、あまりにも時間がかかりすぎています。救援部隊の指揮系統がうまくいっていないのではないか。当局者の危機意識が欠けているのではないかと疑います。

 またこういった地域の送電設備を地中を通すなどの工夫で防災の工夫をすることも今後の課題ではないでしょうか。素人考えなのですが、何かが足りないような気がしてならないのです。

人のため

 最近読んだ本によれば人が幸せを感じるのは自分の存在が誰かのためになっていると自認できることにあるといいます。人から認められるのではなく、自分でそう思えることが大切だというのです。

 自分のやることが誰かのためになるという実感がなかなか持ちにくくなっているのが現代社会です。自分のために何かをやるという考えは蔓延していて、誰かのためにする行動も、結局自分に還元される何かとして認識されて初めて意味を持つように考えられています。自己承認という欲望がその奥にあり、認めてもらうために何かをするということになります。

 競争社会にあって他人に先んじることを教育されてきた私たちにとって、無償の行動で人のために働くということは根本的な考え方の変革が必要になることです。災害被災地への救援活動のような場合ではそれが素直に実行されやすくなる。ただ、そのために自分の行動を他に誇り、何かに利用しようとした段階で変質が起こってしまいます。

 人のために行動し、人が喜ぶことを自らの喜びとするという体験を私たちはもっと積まなくてはならない。それがこの閉塞感漂う社会を変えていく原動力になるはずです。

教え方を磨く

 教科書の内容を伝えるだけでは教育とは言えないということは前から言われてきたことですが、入試などで問われることが教科書に基づいた知識の記憶の域にあることが教育の内容を変えることを阻害してきました。未解決の問題に粘り強く取り組み、何らかの答えを出す能力を伸ばすことがこれからの教育の要諦になります。

 では、その目的に合わせるためには何をすればよいのか。教える側は答えを教えるのではなく、答え方を教えることに中心をおかなくてはなりません。いわゆるアクティブラーニングを効果的に発動させるための方法論を蓄積する必要があるのです。生徒に任せれば学力は伸びるという人もいます。ある意味それは間違いではありませんが、一方で結果的に何も学ばないという結果も起きます。生徒にどのような学びをさせ、どのような手順でその成果を発表させるのかを明確に説明し、実践する能力が求められます。

 教え方を磨くために私たちは研修に出かけたり、関係の書籍を読んだりして参考にします。ただこの種の教育は今まで以上に教師個人の資質による要素が大きく、自分にあったことではないと実践が難しいということがあります。日々の実践の中で磨いていくしかない。そこには失敗もありますが、失敗しなければ成功もないのです。