投稿者: Mitsuhiro

気象リテラシー

 朝からまとまった雨が降っています。先日の台風は房総半島に大きな被害をもたらしました。昨今の低気圧は急速に発達するので予測が困難なようです。

 天気予報が難しいものであることは日々実感します。過去のデータからAIなどを活用して予報を組み立てるようになってから精度は高くなりましたが完全なものにはならないようです。天気予報をする省庁や企業などの団体がそれぞれに発表する内容が少しずつ異なることがこのことを示します。

 私たちはそれぞれの情報を比較対照するとともに、自らの経験則も研ぎ澄ます必要があります。気象リテラシーともいうべきものが必要なのです。

枠組みを変えると

アドラー心理学の入門書のようなものを読んで、人生は考え方次第でかなり変わったものになると実感しています。

 人生を過去と現在、そして未来へと続く因果関係でとらえると、1回の出来事がその後にいつまでも影響し続けることになります。未来はすでに方向づけられており気づいたときには修正不可能になっているということです。これらは昔からすり込まれたものの考え方です。

 しかし、これも考え方次第でまったく違ってきます。実は未来に何が起きるのかは誰にも分からず、過去の行為によって決定づけられているとはいえない。いまを生きることに集中すればとらわれたものの見方から解放されるというのです。

 真実がいかなるものか分かりませんが、少なくとも見方を変えると世界は別のものになる。考え方の枠組みの変化がもたらす影響は大きいということは分かります。哲学を学ぶ重要性はこんなところにあるのでしょう。

名月

 昨日は中秋の名月でした。雲間から覗いた月は控えめな輝きでした。

中秋の名月
中秋の名月 2019年9月13日

 数日前までは残暑が厳しく、季節が少し戻ったかのように感じましたが、昨日あたりからは朝の涼しさは秋を感じさせるものになっています。旧暦の8月15日は、あわただしく終わっていきました。

未熟礼賛

 新しい展開が必要なときには様々な試みがなされるものです。その段階では数々の失敗が積み重ねられ、偶然発見された新基軸が大きな展開をもたらすものです。

 成熟し、閉塞感が漂う現代社会では効率性や生産性ばかりが重視され、ひたすら過去の成功例をなぞることばかりが重視されます。しかし、すでにそのやり方が汎用品化し、やり甲斐といった精神性も色褪せてしまうと成果は上がらず疲弊していきます。

 大事なのは可能性の懐を広げて未熟な考えをつぶさないことなのです。組織としてももちろんですが、個人の生き方としても同じことがいえそうです。下手でもやり続け、何かを探り続けることに次の段階が見えてきます。

涼感

 ここ数日が季節外れの暑い毎日だったので、今朝はかなり涼しく感じます。9月も半ばなのですから当然なのですが、このところの気候は過去の常識を裏切ります。

 涼しくなると周囲を見る余裕も出て来るようです。雲の形は夏のそれとは明らかに違います。植物の色、咲いている花も違ってきている。蝉の音量も随分控えめになっています。季節の変化はあらゆる場面に起きているのです。

 季節の移ろいを感じながら育まれてきた私たちの文化を今一度思い浮かべる必要があります。浮ついた日常の迷いを解消するためにも、周囲の変化を実感する必要があります。

漫画の線

 漫画に見られる輪郭線を軸とした描き方は、私たちのもののとらえ方の一面を示したといえます。わずかな線の組み合わせで喜怒哀楽を表現し、遠近感が描き出されるということは、そのように私たちが対象を把握しているということなのでしょう。

 レンブラントのような詳細な絵と漫画の一コマでは情報量がまったく異なるのにも関わらず、最小公倍数的な共通点はあって、いずれにも感動することができます。おそらく芸術性という点を問わないならば両者に共通する何かがあるからでしょう。

 私たちが対象から何を感受して何を見逃しているのかを絵画や漫画は考えさせてくれます。絵の具を散らしたような抽象絵画にも感じとれる何かがあるのは、線がなくても表現ができるのか、あるいは鑑賞者が自由に空想の線を引くことができるからなのか。

 この問題を考えるには冷静に自分の認知のメカニズムを考え直してみる必要があります。

静かな夜

 昨夜は台風のもたらすものすごい物音でなかなか眠れませんでした。部屋の外の植木が今にも折れそうになりながら必死に耐えていたのです。カーテンを開けると嵐のただなかにあることを実感しました。

 昨夜は気温と湿度が上がり寝苦しかったはずなのですが、昨日眠れなかった分を取り戻そうとしてなのか眠ることができました。本当はいろいろな物音があったはずですが静かな夜と実感しました。

 昨日は全く仕事になりませんでしたが、今日からリセットします。昨日の分もやらねばならないこともあり、忙しい一日になりそうです。

習作

 展覧会を見に行った際に習作というタイトルの付いた作品に出会うことがあります。練習のための作画というもので、英訳するとstudy となるようです。

 偉大な画家であっても作品をえがくまでにいくつもの習作がありました。それは作品の制作過程を示すととも画家の情熱の深さを形として見せてくれるものでもありました。

 達人すらかくなる努力を積むのです。まして凡人をや。たくさんの習作を作らなくてはと感じるのです。

台風接近中

 南海上から接近する台風の影響で当地は曇天です。まだ風はありませんが蒸し暑く重苦しい空はこの時間にしてはずいぶん暗い。数日前の予報では大きくはならないといわれていた台風ですが、少し様子が変わってきたようで警戒を呼び掛けるようになってきています。

 気圧が急激に下がるとどうも体調がおかしくなるような気がします。そういう話はほかでも聞くので私だけのことではないようです。台風の風も雨も怖いですが、体内で起きる何らかの変化も私にとっては脅威なのです。

人との関わり

 幽体離脱か何かをして、自分の姿を客観的に見ることができたらと思うことがあります。自分のことは誰よりも知っているつもりでも実は分かっていない。

多くの先哲が述べているように、自己の認識は他人から見た自分というように、鏡像のような形で認識されます。もし他者が誰もいない世界で、他者という存在すら知らない人物は個人という意識を持たないといわれています。想像がつかないのは現実にはそのような状況は存在しないからです。

 誰かにとって自分はどのような存在なのだろうか。そう考え始めることで人間としての言動が開始されるのです。

 知らない町に行きたいと願う旅情はこうした関係の裏返しなのかもしれません。自分の周りを未知の人々で満たせば自分が別の存在になれるかもしれない。そういう一縷の望みを託すのです。

 人との関わりは己を成り立たせている大切なことであることを確認しておきたいと思います。