
昨日の真夏のような暑さは治まりました。これでもまだ例年より気温が高いようですが、今日は肌寒く感じます。曇天の向こうに秋はあるのでしょうか。
日々の思いを言葉にして
投稿者: Mitsuhiro

昨日の真夏のような暑さは治まりました。これでもまだ例年より気温が高いようですが、今日は肌寒く感じます。曇天の向こうに秋はあるのでしょうか。
まだシーズン前と考えられるインフルエンザがすでに流向し始めていると言います。低温と乾燥が流行の前提と考えられてきましたが、昨今はこの常識が通用しないようです。
勤務先でインフルエンザの報告を聞いたのは9月の始めでした。聞くところによれば一部の小学校ではかなりの罹患者が出ているとかで少なからず驚きました。そういえば私も8月の末に咳と発熱がありました。もしかしたらかかっていたのかもしれないのです。
あまりにも暑い夏とそのためにかけている冷房がその要因なのかもしれません。高温は体力を奪います。さらに室内外の気温差も負担を大きくします。冷房の入った室内はかなり乾燥することもあります。
気候の異変は様々な影響をもたらしますがこれもそのうちの一つかもしれません。
韓国では死者も出たという台風は日本海で低気圧のレベルにはなりましたが、依然として大量の雨雲を引き連れています。今日明日はその影響でかなり荒れた天気になるようです。
今朝は雨で時折強く降っています。予報によるとこれから回復して午後には晴れるとのこと。最高気温は真夏日となる数字が予想されています。10月とは思えない暑い日々はまだ終わらないようです。
房総半島の災害復旧が完全に終わっていないとのニュースがありました。関係者のご苦労を察するに余りあります。
季節はずれの暑さが続いています。もはや残暑という表現はふさわしくない。新たな季節区分が必要だと感じます。
台風が北にそれた関係で南方からの温度と湿度の高い空気が入り込んでいることは容易に見て取れます。どうも高温の要因は複雑なようで一過性のものではなさそうです。体調管理が難しく通勤電車ないでも具合が悪そうな人が何人かいるようです。
これが地球規模の気候変動のせいなのか、今季限りなのかは分かりません。どのようになってもよい備えだけはしておかなくはなりません。
人に教える仕事をしているうちにふと気づくことがあります。教えてばかりでは枯れてしまうのではないかということです。
教員の仕事は多岐にわたり、そのどれもが単なるルーティンで解決しないことが多いものです。となると、毎日の仕事に追われて自らが学ぶことが疎かになってしまいがちなのです。教える教科や生活指導の内容や方法論、人間関係などの助言を行う生活指導など学ぶべきことはたくさんありながら、それができずにいる。そうして手持ちの札がどんどんなくなっていくような感覚になるのです。
多忙を言い訳にせず学ぶことを職務の中に組み入れていかなくてはなりません。私たちは常に学ばなくてはどんどん流されていく。この方面においては貪欲にならねばなりません。
今日から消費税率が10%になりました。過去に税率を上げた後には大きな政治的動揺があったことを考えると今回はいまのところ静かです。
1000円のものを買うために100円の税金を払わなくてはならないということはよく考えると大きな負担です。幅広く税を集めるというこの税法は弱者にも同様の痛みを要求します。さまざまな救済措置もそれを使いこなす知恵がなければ活用できません。この点の啓蒙活動はもっとやるべきでしょう。
これが最終段階とは思えません。近い将来にさらなる増税があるはずです。それまでにお金の使い方扱い方に関する知識を向上させていくことが不可欠です。
9月は今日で終わります。年度で言えば折り返し地点に着いたことになります。日中の最高気温は夏日のままですが、それでも確実に季節は変わり続けています。
改元の次の大きな変化として消費税値上げが明日に迫りました。少しずつ変わっていく状況に私たちは注意をするべきです。どうもただ日々を過ごすだけで終わっている。そんな毎日から目覚めなくてはなりません。
自分が今どこにいてどこに向かおうとしているのかを確認する。9月尽はそのような一日にしたいと考えています。
自分のすることが誰かのためになると感じたとき、私たちはなにかしらの幸福感を覚えるようです。逆にいえば自分のために何かをするという考え方は内的な動機づけの要因としては物足りないということなのでしょう。
ならば人をやる気にさせるためにはこの点を踏まえなくてはならないということになります。あなたの努力は将来のあなた自身のために必要なことなのだという助言はもっともな響きを持ちながら、実はあまり有効性は少ない。あなたのしていることが誰かのためになるのだという示唆がやる気へと繋がる可能性が高いということになります。
人のためになるという言葉自体はよく聞くものであり、耳に心地よい響きをもっています。しかし、具体的にどのような役に立っているのかが示されなくては心象を結ぶことができません。恐らくよき助言者はそれを実践しているのでしょう。
実際は他人のためになる行いだと実感できることはそれほど多くはない。年齢が上がるほど自他の行動を相互の利害関係という文脈で捉えてしまいがちです。金銭に換算してしまうこともある。だからこそときに利他的な考えに気づかせてくれるきっかけがいるのでしょう。
この歳になってもさしたる業績もなく、恐らく何も残せない己を恥じ入りますが、せめて他人にやる気を起こさせる存在にはなりたいと考えています。
その人にはその人のやり方がある。その方法を極めることで達成できるなにかがあるということを時々考えます。
英語ではwayにやり方、手段という意味もあるようです。日本語の道にも人生の意味を絡ませることがあり、道は人それぞれ異なるなどとたとえる表現があります。それぞれ違うはずなのにあたかも決まった幹線道路があり、そこを歩くのが正しいのかのように考えてしまうのはなぜなのでしょうか。
他人を思いやる気持ちを捨てない限り、色々なやり方があっていい。それが結果的に他の人にもなることさえある。そんなことを考え始めています。
まもなく10月1日。消費税値上げは困りますがさしたる対策もないままその日を迎えようとしています。この日は都民の日です。
私が生徒だった頃、都内の公立学校は都民の日は休日でした。いまも続いているようです。なぜこの日が都民の日なのか、どうして休みになるのかなどまったく考えることなく、この日は無料になったり、割引制度が適用されたりする遊興施設に行ったものです。休みを選定した人たちの思いにおそらく背いていました。
ただ共通体験を持つ日であったことは確かです。都民の日をいかに無駄に過ごしたかの話題は、一時の融和の機会をもたらしてくれるのです。