投稿者: Mitsuhiro

出張

 これから出張です。後半は台風の接近が気になりますがなんとか無事に終わりたいものです。仕事の合間にこのブログを書くことにします。今朝はとりあえずここまで。

懐古にとどまらないで

 私にとっては懐かしく感じるものが最近いろいろな場面で現れています。例えば過去に流行した歌や、品物などが今風に形を変えて世の中に出回っているのです。

 この原因を日本の高齢化に求める見方は説得力があります。少子化で低年齢層が減少し、購買者が多いのは中高年という現実を踏まえると、新しいものを作り出すよりは懐古趣味に訴えた方が効果的だというのです。過去に成功したものを利用した方が成功率は高く、しかもボリュームゾーンに訴求するとなればいわゆるリバイバル路線は必然の道筋といえるでしょう。懐かしいものには愛着がわくし、新機軸に振り回されている現実からの逃避にもなります。

 ただ、単なる懐古趣味は何も生み出しません。生活の活力を生み出すのは温故知新的な発想です。過去の歴史なり伝統なり風習なりを尊重しながらも、新しく今の生活にあったものを常に探していくことが必要だと感じます。昔懐かしい何かを感じさせながら、実は最新の発想なり、技術が裏にある。底流にあるものは変わらないけれども実は常に新しいものに置き換えられている。これが日本の文化のありかたであり、忘れてはならない先人の知恵です。

 過去のもの見えながら実は全く新しいもの(こと)を作っていくことが私たちの今やるべきことと確信しています。

手に負える時間

 常に忙しく暮らしている私ですが、多忙の中にも何とかなるときとそうでないときとがあります。時間は平坦に存在している訳ではなさそうです。

 ルーティンワークはいくら多忙でもなんとか切り抜けてしまうことが多いものです。場合によっては多忙であることに麻痺していることもあります。私の場合は朝の一連の動きについてはやることが多いのにあまり印象に残りません。

 対して普段やらない仕事や突発的に起きたことなどは重圧となって心にのしかかります。あとから考えばさほど大変でもなかったことに、多いに緊張し打ちのめされます。そういうことに当たるときの多忙感は非常に大きなものです。

 私にとっては手に負える時間と負えない時間とがあることになります。手に負えない時間が精神的負担をもたらすのならば、その時間を飼いならすための方法を考える必要があります。色々な克服法があり、さまざまなアドバイスもありますが、根本的な解決はできません。むしろこの時間帯はうまくいかないことが多いものと割り切らなくてはならないと考えた方がよさそうです。そのあとに手に負える時間がくるはずですから。

 時間が人間とは無関係に存在するものとは最近は考えられなくなってきているのです。

ハードワーク

 快進撃を続けているラグビー日本代表がインタビューのたびに口にする猛練習や犠牲という言葉になぜか懐かしさを感じます。どこか古き良き時代の香りが漂うのです。

 練習の努力は必ず報われる。成功したスポーツ選手はしばしば口にします。最近ではプロゴルファーの渋野日向子選手が活躍の裏に人一倍の練習を続けていることが話題になっています。恐らく練習を続けられること自体が一つの才能であり、それが結果として表れるということなのでしょう。

 努力は報われるという美談は現代では様々な障害に阻まれます。なるべく小さな努力で大きな成果を出すこと、効率性や生産性に意識が向きすぎている風潮にあって、汗水流すことは決して賢明ではないと考えられてしまうからです。スポーツのように明確な目標が見えない社会生活においてはまず何をどうやればいいのかを考えているうちに結局何もしないということになってしまうことが多いものです。

 無駄になってもいい。後になれば無駄でなくなるかもしれないというより俯瞰した考え方が必要なのでしょう。目先の効率性ばかりを考えていては現状打破は起きない。ときにはただ走る、ただ筋肉を鍛える練習をし続けていてもいいのだと考えるのです。

オーボエ

 オーケストラの楽器の中でもっとも心惹かれるのはオーボエの音色です。天に届くかのような響きは心を浮き立てます。交響曲の中でもしばしば独奏の部分があり、とても印象的です。

オーボエのようなリード楽器は音程の調整が難しく、オーケストラのチューニングもこの楽器が優先されるようです。この繊細でかつ派手な音色はどこかでなじみのあるものです。昔は町にやってきたチャルメラや、雅楽で用いられる篳篥もリード楽器としては同じなのだそうです。世俗いずれに属するのか分からないのも魅力の一つです。

 個人的には少々辛いときにはオーボエの音色を幻聴することにしています。心の安定と勇気の涵養にこの音色は資するところ大なのです。

The next stop is…

I often hear English anauncement on the train in Tokyo these days. It’s ready for the Olimpic and Palalimpic games in 2020.

So far, we have machinally announcement in English as train services. Recently the train crews speak English by themselves. They provides passenger the information of the next station and transfer.

Tokyo is the international city. But we Japanese are not good at foreign language. Train conductor’s English announcement will give us good opportunity for thinking about global society.

季節進む

 猛烈な台風が去ったあと、多くの傷跡が残されました。想像以上の被害が出たことに胸が痛みます。そしてこの台風は季節のコマを一つ進めました。

 昨日は時折冷たい雨が降る一日でした。最高気温が20度に届かず、半袖では寒さを感じる陽気になりました。今日も少し気温が上がるようですが朝から曇天でもう数日前の夏の名残りはみじんもありません。確実に季節が進んだことが分かります。本来であればこういう天候が当たり前なのでしょう。大幅に削られた秋がいきなり始まった感があります。

 気温が下がるといろいろなことが今までとは違って見えてくるようです。自分の物の見方がいかに舞い上がっていたのか。本当の姿は何か違ったのではないかなどと考える余裕が出てくるような気がします。また何かを始めたいという気持ちがわいてきます。

カナダチームのフェアプレイ

 台風のために試合が中止になってしまったラグビーワールドカップの釜石大会で、対戦する予定であったカナダのチームが、台風通過後の清掃活動にボランティア参加したことが報じられています。こうした善意は人々の感動を誘うとともに、自らもいつかはそのように行動すべきであるという規範にもなります。

 釜石での試合は復興へのシンボルという意味合いもあり、できれば最後の試合もやってほしかった。図らずも今回も天災による試合中止ということになってしまいました。その残念な気持ちを解消する素晴らしいエピソードがこのカナダチームの善行であったことになります。国際大会で国代表のチームが試合以外の活動に参加するということは他のスポーツではほとんど見られません。ラグビーという競技の与える精神性、哲学が具現化したものと考えられます。復興スタジアムの名のとおり、協力と善意が復興の姿であることを知らしめてくれました。

 カナダチームのような行動が私たちにできるのだろうか。それをこの逸話は私たちに問いかけます。日本人は礼儀正しいなどと自画自賛する前に行動として実行できることは何かを考えなくてはならないと感じました。

高低差

 想定以上の被害を出している台風19号です。私の住んでいるところは幸い大きな被害はありませんでしたが、すぐ近くでは河川の氾濫や冠水、浸水などの被害が出ています。おそらく復旧までには相応の時間がかかることが想定されます。

 今回の台風被害の現状から浮き彫りになったことがあります。河川の氾濫にかんするリスクは日常生活ではなぜか忘却されていたことです。わずか数センチの高低差が水害を生み、それが甚大な被害をもたらすということは容易に想像ができることでありながら、なぜか日常生活の中では忘れ去られてしまいます。川の近くに住むということはそれなりの覚悟が必要なはずです。それがいつの間にか忘れ去られてしまう。特にその場所に長くい続けた人ではなく、新住民にその知恵が伝達されないままになっていることが多いように感じます。

 伝統的に川べりに住む人たちにはリスクを見越した対策があります。恐らくライフスタイルも被災を織り込んだものになっているはずです。そこには様々な知恵もあるはずです。私たちはそういう生き方も学ばなくてはならない。日本に住むということはどこであっても被災機会があると考えるべきです。今回は水害でしたが、ありとあらゆる天災に見舞われる可能性があるのがこの国の現実なのです。

 わずかな高低差が命運を分けるという今回の教訓はそれとして貴重なものですが、様々なレベルでこのような生死を分ける目安というものが実はあるのではないでしょうか。普段からそうしたものに敏感になること、そしてたとえ不利な条件でもそれに対応できる何らかの策を考えておくことが私たちがこの国で生きるための条件であると実感しています。

大雨

 台風19号が接近しています。過去数十年ぶりの猛威とのことで交通機関の計画運休や各種公共機関や商業施設が休業や営業時間短縮を始めています。私の住んでいる地域にも警戒レベルの上昇を知らせる通知が来ました。すでに強い雨が降り始めています。台風の位置からすると雨の量が多いことを実感します。

 今回の台風はその予測規模の大きさから早くから警戒が呼びかけられました。先の15号が急速に発達し、甚大な被害をもたらしたことの教訓が生かされているのでしょう。すでに巨大な台風となっている今回はさまざまな表現で危険性が呼びかけられています。おそらく残念ながらどこかで規模が大きな災害が発生するのかもしれません。

 昨日、近隣のスーパーやコンビニエンスストアは大変な賑わいになりました。特にパンとミネラルウォーターの在庫はほとんどなくなっていったようです。レジに並ぶ異様に長い列が印象的でした。この地域では台風が通り過ぎた後、流通が回復するまでの時間はそう長くはないはずであり、あきらかに過敏な反応ではありますが、ここまで大きな台風となればこうした状況が起きるものやむなしということでしょう。

 私は特に準備もなくすごしています。ただやはりどこかにもっと備蓄をしておけばよかったという思いがあるのは確かです。不安心理がつのるのもこういう状況ならではですがここは冷静にいかなくてはなりません。