投稿者: Mitsuhiro

遅延する予約投稿

 遠隔授業の際に使う手に教材の予約投稿という手があります。ただ、時間帯によっては思い通りにならないこともあるようです。

 実際の授業時間に合わせて教材に取り組ませる手段として、時間割通りに予約投稿する方法を考えています。ところが、朝8時台に設定すると数分遅れて投稿されることが分かりました。おそらく通信回線の混雑が原因と考えられます。

 当面は5分前投稿で切り抜けようと考えています。リモートワークが増えている中で通信の問題は新たな悩みです。

遅まきながら

 在宅要請が社会的圧力となりつつある中で、私たちの職場にも在宅勤務の準備が整いつつあります。学校という個人情報の山の中で勤務する我々にとってセキュリティの壁は厚く、家でもできることを厳選しなければならない事態に立ち入っています。

 遠隔授業については既存の映像教材にオリジナルの教材を組み入れることでなんとか数週間は凌げそうです。毎回、小テストのようなフィードバックを織り込むことで生徒諸君の緊張感を保ちます。

 課題となるのは対話を伴う授業です。少人数ならばMeetのような双方向システムを使って対話できますが、40名規模になると授業としては難しい。単なるおしゃべりならば可能としても教育効果を上げるのはせいぜい10人以内ではないでしょうか。

 相手が子どもである中等教育以下の教育機関では遠隔授業はかなり難しい。成功例として紹介されているものをみても、実際はかなりの無理があります。しかし、やらなくてはならないとなればやるしかありません。

少々の異変でも

 今朝は少し遅く出勤することにしました。非常事態という大義名分がありますが、残念ながら完全に自宅勤務は難しい。

 実は少々頭痛があります。しかし私の場合、これはウイルス騒ぎ以前からのことなのでいわば持病というべきものです。気圧の変化が激しいときなどに起こりやすく、低気圧の接近を身体が予知しているのかもしれません。ただ、こうしたわずかな異変にも敏感になってしまうのが昨今の状況です。

 完全にテレワークに移行する日も遠くないかもしれません。そのためにいまできることをやっておかなくてはなりません。

運動不足

 最近の問題点として慢性的な運動不足による体調不良があります。授業で数時間黒板の前に立ち、声をはるだけでも幾分かの運動になっていたのですが、いまはそれがありません。

 いまさら、気づいたことに筋肉の衰えは意外にもはやく起きます。座ってばかりいると背筋が落ちやすく、その結果立っていることが辛くなります。そういう悪循環が状況をさらに悪化させます。

 東京は今日にも非常事態宣言が出るようです。非常事態が予告されて出るとというのは形容矛盾です。どうも、政治的意味合いが強いものらしく、切迫した言葉としては響きません。軽症者が多い病といって油断するな、感染者を隔離していたら病床がなくなる。まずは己の身を慎ましくして人に迷惑をかけるな、ということを「民主主義的」に表現するとこうなるということなのでしょう。

 日常生活が営めないことから起きる心身の不調を保全することは、私だけではなく昨今の緊急課題なのです。

遠隔授業開始

 私の学校では今日からインターネットを使った授業を開始します。すべてが初めての試みなので不安ばかりが募ります。やるしかありません。

 今のところは教員の出勤が許されているので学校から授業の資料や動画などを配信することができます。比較的デジタルに詳しい教員も多いので配信する作業それ自体はできそうです。

 ただ、対面なし反応なしのブロードキャストは教員にとっては苦手な分野です。対話型の授業を推進してきた昨今の状況なので余計に難しく感じるのかもしれません。もちろんビデオを使った双方向通信も可能なのですが、それには生徒の通信環境やプライバシー保護の問題があります。

 慣れていないからできないという言い訳が許されない現状ではすべてが見切り発車です。立ち止まることができないときは走りながら考えるしかありません。波乱の新学期の始まりです。

ロックダウンが正しいのか

 日本の各都市にはロックダウンは出されていません。世界の主要都市が法的に外出禁止を促しているのに対して日本はまだ各人の自主性に任されています。ただ、今日は日曜日ですがほとんどの大型商業施設やエンターテインメント業界、プロスポーツの試合は中止されています。一方で生活必需品を販売するスーパーやコンビニは開業しています。また個人商店や小規模経営のレストランなどは開店しています。よって食料のライフラインに異常はありません。公園に行くと人々はマスクをつけて歩いています。

 日本のこうした方法について批判も出ているようです。今回の新型肺炎はステルスの性格があるようで、多くの感染者には無症状か軽症で済み、それが重症化する要素を持っている人に感染すると悲劇が生じるというのです。これはこのウイルスの病理的な現実であり、尊重しなければならない情報でしょう。感染地域に住む若者が自身の身体には何の異変もないのに、里帰りした先で高齢者に感染させて結果的に重症者を出してしまうということが現に起きています。

 ロックダウンという強制的な方法は短期的な施策としては有効なのかもしれません。ただ、これを続けていくことは不可能です。経済活動が止まれば弱者から痛みを受けていきます。社会保障をするといっても即効性があるとは限りません。私は甘いかもしれませんが、社会活動を継続する方向を模索するべきだと考えています。そのためには今回のウイルスに対して脆弱な条件を抱えている人を保護することが必要になってきます。そのため、年齢や既往歴などに応じて保障の度合いを変えていくことが必要です。こういった方々は一概には言えないものの、経済的に不利な状況にあると考えられますので積極的な援助によって社会から非難していたける仕組みを作るべきではないでしょうか。

 ただ、これは差別などの人権問題を多分に誘発する問題になりそうです。期限を決めた緊急措置であることを周知させて行うべきでしょう。またもっとこの病魔に対する情報を国民が共有する必要があります。私はロックダウンはできて3週間程度ではないかと勝手に考えています。次の手を考えるべきです。

俳句でも

 俳句は有季定型の文学であり、情ではなく景を描くことによって、結果的に作者の感情を表現する文学です。ある景物にどのような感情を抱くかは民族性や地域性があり、それがこの文学のローカルな一面を作り出しています。

 俳句という言葉自体はグローバル化しており、haikuは世界語となっています。極めて短い形式の中で行なわれる文学表現という行為は民族を越えて広がっていることになります。

 俳句の楽しみ方の基本は句会ですが、この句会システムはデジタルとの親和性があります。無記名で提示された作品の中から気に入った作を選び、最後の披講で作者がわかるというのはとても分かりやすい。これをたとえばG-Suiteを通して生徒諸君との間でデジタル句会を行うことも可能かもしれません。

 俳句には吟行という楽しみもあるのですが、集まれない近づけないいまではせめてデジタルで句会でもなどと考えてしまうのです。

乱世型

 人にはいわゆる乱世に強いタイプがあるようです。ルールが固まる前の混沌とした時勢に台頭する人材です。問題が多いですが魅力的でもある乱世型の人物こそ、いまの社会に求められているのかもしれません。

 価値観やその評価法が固定すると、社会は安定します。無駄な活動の少ない効率的な社会組織が理想とされます。平時はこれが理想なのですが、システム自体が機能不全に陥ると、社会全体が危機的状況に没入してしまうのです。その救世主になる可能性を持つのが乱世型人材です。

 救世主待望論は独裁者などの誕生を助長した歴史もあり、慎重にならなくてはなりませんが、それでもやはりなんとかしたいという気持ちがあります。時代にあった人材を育成するのが教育に携わる者の使命なのかもしれません。

協力

 昨今の状況でもっとも懸念されるのは組織の機能不全です。指示系統が整っているときにはうまく動く組織でも、非常事態では立ち行かなくなるということがあるかもしれません。

 そこで必要となるのはあらゆるケースでのシミュレーションをしておくことです。例えばリーダーが動けなくなった場合は、誰が指揮を取るのかを決めておくことです。でも、現在のような予測不可能な事態になったときは、次の手、その次の手では対応しきれない。

 大事なのはすべてのメンバーの危機管理能力をあげることしかありません。上司に求められるのはメンバーからの提言を尊重する風土を培っておくことなのでしょう。そして失敗したときはその人のせいにはせず、組織として受け止めることです。

始まるのか

 東京都立高等学校ではウイルス感染予防のための休校を5月の連休まで伸ばすことを検討しているとのこと。実施されると2ヶ月以上の休校となる生徒も出ることになります。

 東京都で新型コロナウイルス感染者が増えているのに対して都知事は週末や夜間の不要不急の外出の自粛を要請しています。周辺の自治体も追随しています。海外のような法的拘束力はありませんが、それでも人の流れは大きく変わりました。

 学校もそのクラスタにならないためという大義名分はたちやすく、おそらく休校措置は容易に実行されるでしょう。防疫の観点からすれば妥当な措置かもしれません。

 しかし、教育を中断することの弊害は計り知れないものがあります。遠隔教育については検討価値が高いものの、ハード、ソフトの両面において無理があります。それよりも学びの習慣が崩れてしまうことの虞の方が深刻です。

 自宅での学習意欲を高める社会的風潮や、再開後のプログラムについて考えていく必要を痛感しています。