投稿者: Mitsuhiro

カボチャたちの素顔

 ハロウィーンは日本ではその意味も理解されることなく、商業利用や個人的な遊興として受容されています。ただその奥には切なる願いがあるのかもしれません。

 仮装を行う年中行事は京都の節分お化けが知られています。地域では悪鬼の厄を逃れるために敢えて普段とは異なる姿になると伝えているようです。祭の時に晴れの衣装を着用し日常とは異なる振る舞いをするのも広く考えれば一種の仮装行事といえます。異装には厄除けの意味があるといえます。

 現代人にとってはさらに意味があるように感じます。いわゆる変身願望の代償行為です。自由平等の建前の現代社会の内実には格差と分断が進行しています。越えられない何かが巧妙に姿を隠しながら確かに私たちに影響を与えている。それに抵抗するのが外見上の意図的変更なのではないでしょうか。

 もちろんハレの日は常に祭とともに去ってしまう。翌日には厳然たるケの日の秩序が現れます。その中を生きぬくためのささやかな抵抗が仮装という形で表現されるのです。この仮説が正しいならばおどけたカボチャたちの内側には切実な思いがあることになります。

気力は体力?

 気力は体力なのかと思うことがあります。何ごともやる気が大切だとはよくいわれることです。でもどうしても内側からわき出すものが出てこないという場合もあります。

 心と体というふうに二元論で考えると身体的疲労と精神活動は別物であり、独立して動くものとなります。どんなに身体がくたびれていても、心は研ぎ澄まされているといった話はあるし、それに近い経験をしたこともあります。

 ただ、疲労感が強すぎると何かを始めるのが億劫となり、動けなくなってしまう。身体と心は一続きであり、別の機関で身体を制御しているのではないと感じるのです。気力は体力の裏付けがあって機能するのです。

 やる気を損失している人には、まずはフィジカルの回復を優先させ、しかるべきのちにメンタルケアに入るべきなのです。

相次ぐ閉店

近隣に大型ショッピングモールがまもなく開業します。人口の割には買い物が不便な地域であったのが一挙に解消される予定です。一方でこのことろある種の店舗の相次ぐ閉店という現象が起きています。

 閉店しているのはコンビニエンスストア、ガソリンスタンド、ビデオレンタル店、それにデパートなどです。ここ数か月の間に急になくなってしまいました。この先に閉店することを告知している店もあります。その中には次のオーナーが決まって別店舗として再開することが決まっている所もありますが、放置されていたり、取り壊されて更地になったことろもあります。

 今後の経済を象徴するかのような縮小現象を目の当たりにすると、大型ショッピングモール開業に浮かれることができないのです。生活の細部を支えてくれた近所の店は消え、少し遠い大型資本の企業が総取りする。どこかで読んだような事態が身近で起きているのです。

 最終的にはあるもので間に合わせるしかありません。消えていくものを惜しむことはできても止めることは難しい。ただ、本当に必要なもの、いい仕事をしているものについては支援をしなければなりません。売っている商品がコモディティ化しても店の立地や雰囲気などは置換できないのです。

 本当に必要なものを必要な店から買うことが私たちにとっては最終的な利益につながることを考えなくてはなりません。

カラーマスク

色つきのマスクはすっかり市民権を得たようです。薄いピンクや水色だけでなく黒や茶色、なかには水玉などの模様がついたものも見かけるようになりました。

 花粉症対策で急速に広まったマスクは、子どもの頃は重傷の風邪でなければつけることはありませんでした。マスクをつけるという行為自体が深刻な感染症を想起させるものだったのです。それが予防対策として推奨されたのをきっかけとして健康な人でもつけるようになりました。春先は先述した花粉症への配慮で街中にあふれる光景が見られます。

 白いマスクの持つ病気のイメージを軽減するのが色つきのデザインでした。確かに女性のつけるピンク色のマスクは優しさも演出できます。服の色と合わせるようになるともはやファッションアイテムとなっています。記憶では黒いマスクを普及させたのはファッションデザイナーでした。

 マスクには自分の存在を隠したいという願望が内包されることがあります。自信がないときにマスクを着けて自分の状態の発信源である顔の面積を減らすのです。また、マスクをつけると多くの人はマスクの印象を中心にするため個人への注目が薄れるという現象があります。派手なマスクを着けるのは、人々の注目をマスクへの注視によって減少させることを狙っているのかもしれません。

 恐らく10年前には見られなかった色とりどりのマスクです。この先またどのようなものが生まれてくるのかと考えると楽しみでもあります。いやマスクなどつけなくてもいい環境を作ることの方が大切なのですが。

建物の寿命

 まもなく開業する南町田グランベリーパークの前進グランベリーモールは20年に満たない期間で取り壊されました。耐用年数は建て方によって異なるとはいえ、意外にも短い建物の寿命を感じさせます。

 かつて人類が急に消滅したらどうなるのかというSF映画がありました。荒唐無稽の設定ながら環境破壊に対する問題提起がなぜか印象的でした。この作品に関連して人類消滅後の地球の変化のシナリオを特集する番組がいくつか作られました。それによると人間が造り出したものの多くは意外にも早く地上からなくなってしまうらしいです。

 コンクリート製の建造物の多くはメンテナンスがなされなくなると崩壊してしまう。ビルや橋脚などはある日突然瓦解してしまうそうなのです。私たちが永遠と幻想しているものの大半が、実は弛まぬ努力によってようやく存在している訳です。

 鳥や虫の作るすみかをみて感じる脆さ儚さは実は人類にもそのまま当てはまります。私たちは自分の人生の長さを基準にして時間の長さを感じているのに過ぎないのです。ものやことの寿命を考える時に、それを測るものさしが何なのかを今一度考える必要があります。

笑いのもと

 漫才やコントをみると笑いながらもなぜおかしく感じるのかを考えることがあります。思うにそれは感情の温度差が提供されているからなのです。

 本当に上手い漫才師はオーバージェスチャーをすることなく観客を笑わせます。衣装も特別なものではない。なぜそこに笑いが生まれるのかといえば、話術の巧みさに他なりません。

 その話術で何を表現しているのかといえば、感情の変化を小刻みに揺さぶる演出です。観客を一方に惹きつけておいて、急に別方向に連れ出す。その先の意外性に人々の冷静さが失われるのです。その先がおかしなことであれば人々は笑います。もちろん恐怖も怒りも誘発することができるはずです。

 コメディアンはこうした感情のジェットコースターを短時間で作り出し、多くの聴衆を乗せることができる才能を持っていると言えそうです。

雨時々大雨

 太平洋を北上する台風と秋雨前線の相乗効果で関東は昨夜から雨が振り出し、今朝はかなり強く降っています。天気予報は雨時々大雨という徹底的な降雨予報です。そしてそれは外れそうもありません。

 雨が強い日は黒いジャケットとスラックスで出かけます。雨で濡れても分かりにくいというのが理由です。どうも今日はその努力が奏効しそうです。かつてはレインシューズも履きましたが、壊れてしまったのち買い直していません。

 雨が私たちにもたらしてくれる恩恵は計り知れないのですが、昨今の水害の甚大な被害を考えると恐怖も浮かびます。私たちは水に囲まれて生きているという事実を謙虚に受け止める必要があります。水辺で命をつなぐ生き物であるという自覚です。

 治水という歴史以前からの試みはいまだ完成されていません。この方面の知識の蓄積は大切です。降り続く雨に感じるものは実に多様で複雑なのです。

特化の弱点

 北陸新幹線が先の台風による洪水被害のために使えない車両が発生し、ダイヤが大幅に乱れています。新幹線は人的な輸送に関しては根幹となっており、それが不通になっていたり、本数が減ったりすることは地域社会にとって大きな打撃です。

 新幹線は路線ごとにある一定の条件のもとで設計されており、他の路線からの代替が効きにくいという問題があるそうです。北陸新幹線は長いトンネル走行や、勾配の大きな路線を走り、なおかつ風雪にも耐えられるように設計されているのです。単に形や色が違うだけにはとどまらないそれぞれの個性は魅力的ではありますが、このような非常事態には弱点を露呈してしまいます。

 汎用性と特殊性のバランスについてはいろいろな場面で問題になります。新幹線の例は一つの教訓としておくべきだと感じています。特殊性、個性に至ることで得られることは大きいですが、それだけではまずい。いわゆるつぶしのきく分野をしっかりと確保しておくことが必要なだと。

伝統文化

 昨日の即位の礼は日本の伝統文化を世界に示すものでした。政治的な意味はもちろんありますが、それ以上に文化の持つ意味を世界に発信する機会になったことに注目すべきです。

 文化は長い時間をかけて育まれ、少しずつ形を変えながらその本質に当たる部分を伝えていくものです。その意味を考えることは自分自身とは何かを考えることになり、他者を理解する礎になるものです。国の伝統文化だけではありません。私達が社会的生活をする生き物である以上、そして知的な生活を営む以上、様々な局面でそれぞれの水準の文化があり、それが人間らしさの保障となっているのです。

 新しいものを生み出すときにも文化は役に立ちます。新しいものと考えるものもその基準となるものを常に求めているのです。伝統文化はその柱であり、それがあるからこそイノベーションも可能なのです。

星空

 雨が上がって雲間から星が見えてきました。こんなにたくさんの星に囲まれてきたのかと改めて気がつきました。私たちはいつの間にか見えなくなったものに囲まれて過ごしています。それに気がつく夜空です。