投稿者: Mitsuhiro

セルフィ

 携帯電話の普及で新たに生まれた習慣といえば自撮りであると思います。かつては少し高価なカメラが一家に1台あり、その撮影担当は大抵父親でした。構図を決めてピントを合わせてから一発勝負で撮影する写真撮影はわずかな緊張を伴うものでした。

 ところがデジタルカメラの普及で取り直しがいくらでも可能になり、さらに携帯電話の機能の一つになると。撮影は身近なものに変わりました。さらに自分の顔を自分で撮るというそれまでにはなかった習慣も誕生したのです。

 旅行先での記念写真でその地にいった証拠として己の姿が入った写真を撮るというのなら分かります。それほど特別な場面ではないのにセルフィを撮る人は結構いるようです。

 おそらくそうした人の行動を単にナルシズムで考えるべきではありません。その人を自撮りにかりかてるのはもっと別の情動が働いているはずです。私は自己確認の欲求によるものとみています。自分がどのように見えているのか、自分が何者なのか。私たちにとって永遠のテーマであるアイデンティティの確認作業の一つの現れなのではないでしょうか。

 私自身はめったに自分の写真を撮りません。しかし、自分に関心がないわけではなく、思っている自分と現実の姿の悲しいほどの乖離を認めたくないからなのです。

アイドル推し?

 若い世代でアイドルのお気に入りのことを推しと言うそうです。数年前から耳にはしていたのですが、その意味をはっきりと把握できていませんでした。

 アイドルは類型化された一種の理想像です。自分の理想のルックスなり、性格の近似値を実際の芸能人の中に見出したときに、推しと認識することになるのです。

 きわめて個人的な思い入れが特定の芸能人に向けられたときに熱烈なファンが誕生する訳です。ただ、これが常軌を逸してしまうと異常行動につながります。

 贔屓の芸能人をあたかも自分だけのものであると考えて他人を排除しようとしたり、中傷したりすることです。さらには贔屓しているはずのアイドルそのものに憎悪が向くこともある。自らの想いと現実とが釣り合わなくなったときには考えられない行動になるのです。

 愛憎関係は非常に不思議な繊細なものだと考えています。

融通

 あることに関して規則を厳格にあてはめて処置をするのは、ルールのある社会では当然のことです。ただ、そのルールが社会的通念とかけ離れているときには、考慮がいります。

 ルールとは次元の異なるマナーという規範があります。ルールが外圧として機能するのに対して、マナーは内側からの規制として意識される点に違いがあります。マナーを重視すれば社会常識との齟齬は少なくなります。

 ただし、マナーは明文化されないことも多く、文化差、集団差、個人差が生じやすい。その点を考える必要があります。

嵐の中で

 発熱はありませんが、咳が止まらす寝不足気味のまま出勤することになりました。昨日よりはましな感じはあります。

 風邪をひいてしまうと思考の糸が何本か切れてしまうような気がします。大切なことが置き去りになっています。動けなくなっているのは身体だけではありません。

 心身が同一の船に乗っていることを改めて感じています。荒れた海の上では冷静な判断が難しいのです。

 いまはこの嵐から脱することに専念する他ありません。

病みの中

 完全に風邪に罹ってしまったようで咳とくしゃみの繰り返しに苦しめられています。高い発熱はないのでインフルエンザではなさそうです。解決しなくてはならないことが山積しているので相当の焦りもあります。

 風邪は思考力にも影響を与えるので少々厄介です。元来あまりない集中力を容赦なく奪います。マスクをして視界が狭まるのもよくありません。

 栄養を取ることが解決策になるかもしれないということで昨日からいろいろ食べ過ぎています。この時期太るきっかけは風邪対策という大義名分によるカロリー過多にあります。背に腹は変えられず、しばらくは食べることにします。

 いろいろなトラップは乗り越えなくてはならない。あまり深刻に考えずやり過ごすことにします。

騙されないための読解力

 日本の子どもたちの読解力が低下しているとは最近よく言われるニュースです。OECDが行う生徒の学習到達度調査であるProgramme for International Student AssessmentいわゆるPISAの結果に日本のメディアはかなり敏感に反応します。そして教育界もこの数値をかなり気にしているのは事実です。

 昨年参加した教員向けのセミナーのほとんどでこのPISAの話題がでました。これに対応する能力をPISA型学力などということもありました。今話題になっているのは2018年の調査で日本人生徒の読解力が参加国・地域の15番目となり、著しい低下と捉えられました。萩生田文科相もこの点について「判断の根拠や 理由を明確にしながら自分の考えを述べることなどについて、引き続き、課題が 見られることも分かりました」とコメントしています。そしてこの調査がコンピュータで行われていることなどから、コンピュータに対するリテラシーも関与していると判断されたようで、学校での一人一台コンピュータの実現を目標に掲げています。

 ところでこの「読解力」を測るテストはどのようなものかといえば、ある大学教授のブログなるものやアマゾンや楽天などで見られるブックレビューのような記事をを読んでそこに書かれている内容を読み取るものでした。詳細は文科省のページから読むことが可能です。

 ここでいう読解力は情報を正確に読み取るという能力であり、いわゆる行間を読むとか空気を読むというものではありません。日本人が一般的に考えている読解力とは少々次元が異なるものです。非常に基礎的で根本的な能力といえます。逆に言えばこれほどの読解力が低下していることに危惧を感じるのです。

 おそらくここでいう読解力は意図的に悪意のある情報源からうそを見抜いたり、勝手に誤解して誤った行動を起こしたりしないための能力のことをいうものと考えられます。その意味ではメディアリテラシーのレベルの話であるといえます。その点を踏まえておかなくてはなりません。

 ソーシャルメディアの普及で私たちは文字に接する機会が増えましたが、断片的で不十分な情報のやりとり、もしくは一方的なつぶやきに終始することが問題なのでしょう。相手の言いたいことを時には批判的にしっかり読み取り理解する能力は意識しないとつけられないのかもしれません。騙されないための読解力を馬鹿にしてはいけないのかもしれません。

 私のような国語教師にとってはこの段階の読みを読解力と呼んでほしくはないという気持ちがどこかにあります。ただ現実と向き合うことは大切なのでしょう。情報にあふれながらその処理の仕方をいまの子どもたちは実はきちんと教えられていないのかもしれません。

マスクを着けて

 僅かな喉の痛みを覚えてマスクを着けることにしました。インフルエンザなどの予防の意味もありますが、喉の保湿の方が目的です。

 中国で新型の肺炎をもたらすコロナウイルスが発見され、日本にもすでに入っているとの報道があります。いわゆるパンデミックをもたらすような感染力はないとのことです。グローバル時代では水際作戦はほぼ無意味です。最新の情報を手に入れ、対処するしかありません。

 マスクが万能ではないのはよく知られています。気休め程度という人もいます。ただ、少しでも日常生活に穴をあけないように、無駄な抵抗をやってみたいと考えています。

すべて一期一会

 自らの体内組織が刻々と変化している現実を考えるならば、感知した現実もまたその時限りのものということになります。すべてのものが一期一会なのです。

 自分という視点が不動の座標軸の原点であると考えることができれば、かなり単純な数式で世界が捉えられるかもしれません。また日常的にはそのように考えています。時空を目盛において起きた現実を同一の平面に投影しようとします。大体のことはこれで事足りるのです。

 ところが実際は原点自体が常に移動しており、揺れながら対象を見ているのです。手ブレを補正するカメラのように巧みに対象を見続けてもその限度を超えるともはや同じものを見ているともいえなくなる。私たちの見ている世界はこのように変動的なのです。

 変わってしまうことを前提として物事を捉える視点を私たちは常に忘れてはなりません。昨日そうだと確信しても明日は違うかもしれません。そういう心の余裕と、世界観はこれからの現実を生きる上でかなり重要だと感じるのです。

共同体という考え方は誰が教えるのか

 世界的な社会分断が進行している中で、日本の社会も中流意識は急激に減少しつつあります。自分さえよければそれでいいという考え方に行きつくこの流れは非常に危険なものです。人間が社会的な生き物であるという考え方を誰がどのように若い世代に伝えていくのか。大きな問題です。

 私たちはこの存在に関して過大評価をしてきたのかもしれません。確かに個人の努力は重要であり、それがなければ何も始まりません。しかし、個人の業績は必ずしも自己の利益を増大するためのものではありません。共同体の福祉に何らかの好影響を与えるものでなくては意味がないはずです。自分の成功にはその周囲にいる人々のさまざまな支援や利害関係が影響を与えています。自分だけがうまくやったというのは思い上がりにすぎません。その成功を形成した社会システムがあるからこそ達成できたもののはずなのです。

 成功者はそのシステムがよりよいものになるよう、また自分以外の存在にも利益がもたらされるよう考える必要があります。自らの共同体が衰退してしまえば自分の成功の価値も目減りすることになり結果的に不幸になるのです。こうした考え方を私たちは常に持っていなくてはならないはずなのですが、そして横溢する情報社会の中で容易に得られる叡智のはずなのですが、つい忘れてしまうのです。

 我が国を衰退傾向に向かわせているのは少子高齢化などの不可避な情勢が要因ではありますが、それよりもむしろ共同体を皆で支えていこうという考え方の欠如がそうさせているのかもしれません。国のために働くという考え方は極端な全体主義として戦後日本が避けてきました。しかし、共同体意識の欠如がもたらす悲劇はそれ以上です。仲間を大切にすること、先に進んだものが振り返って周囲を助けることというのが今後の社会では特に大切になるであろうことをどのように意識し、伝えるのか。それが大きな課題になっています。

中央林間図書館

 神奈川県大和市の中央林間図書館は東急ストアなどの複合商業施設の中にあります。蔵書は少ないですがショッピングをしたついでに気軽に立ち寄れるなかなかいい場所です。

 図書館のあり方については各自治体で様々な試みがなされています。中央林間図書館の場合は気軽に利用できる点で優れています。図書館というと私語厳禁の密室的な雰囲気がありますが、ここはショッピングセンターの中にあるためかなり開放的です。図書館とタイアップした星乃珈琲店も隣接しており、おしゃべりやコーヒーと読書とを両立できる空間まで用意されているのです。

 最近は労働時間の短縮のために職場を早めに引き上げる必要がありますが、その時間で資格取得のための勉強や趣味の読書をする人も増えているようです。そんなときに気軽に利用できる図書館の存在はありがたい。私もこれからしばしば立ち寄ることになりそうです。