投稿者: Mitsuhiro

通勤リハビリ

 ご存知の通り東京の満員電車の凄まじさは異常です。その生活から一時的に解放された日々を送ってきた私たちにも、再びあの日々が戻ってきます。

 東京の通勤電車の混雑の治安が維持されているのは、長い間順応してきた国民的努力の賜物です。他者に迷惑をかけないという教育以前の思考形式というか国民性とでもいうべきものが、異常な過密状態でも正気を保てる原因だといえます。

 ただこの性質は常に更新されなくてはすぐに消えてしまうものなのかもしれません。毎日、過密な人間関係を経験しているからこそ、保てる感覚なのかもしれないのです。すると今後数か月は非常に危機的な状況になるかもしれません。

 以前の寛容力もしくは忍耐力が回復できるのでしょうか。すでに勝手に自警団を自認して、同調圧力の先導者となっている人々がいることを考えると少し恐ろしい予感があるのです。

 冷静に大局を見られる人は実はさほど多くはありません。また、考えていても他人に引きずられずに信じることを通せる人も多くはない。かく言う私も結局長いものに巻かれる日々を過ごしています。

 とりあえずは通勤電車に乗っても動じない心の強さを取り戻すリハビリテーションをやっていこうと考えています。

弱みの暴露

 ネット上で他人を誹謗中傷してはばからない人たちのことが問題になっています。私はこの多くの原因を匿名性にあると感じています。ネットを自由に使えるという点において匿名の利点は大きいのですが、その陰に隠れて人道を外れた行為をすることに関しては許しがたい。

 まず私たちの情報の受け方として、情報源が分からないものは信じない、疑うというリテラシーが必要です。あるいは無署名情報をフィルタリングできるシステムを作ってもいいのかもしません。情報の発信者にモラルを求めても、そもそもそういうものが欠如している人には意味がありません。残念ながら無責任な情報は出てしまうので、それを機械的にカットする方法を普及させる必要があります。正々堂々と意見する人には遡及可能な署名つき発言を求めればよいのではないでしょうか。

 いずれにしても他人の悪口を公の目に触れるように書く人には、それなりの覚悟をして貰わなくてはならないでしょう。現状でも手続きを踏めば発言者までたどり着くのは可能です。これも周知させなくてはならない。本当に匿名でなんでもできると思い込んでいる人は多いのですから。

適度な刺激

 人とあまり話さない生活を続けていると、適度な刺激がなくなってしまっている気がします。何かを考える上で不可欠なものが失われているのです。

 あまり社交的ではない私でも最近の事態は極めて異常です。他人との会話の中で考えはまとまっていくのであり、一人で逡巡していても何も進まないのです。会話は大事です。

 無意識に飛び込んでくる人の話も脳の活性化には欠かせません。集団知のようなものをわたしたちは獲得しながら生活をグレードアップしているのです。

 テレビやネットのニュース、ソーシャルメディアの記事や動画はあまり心に響きません。大事なのは自分に対して話されていると感じることであり、自分が主体的に聞き取ったという自覚なのでしょう。

再起動

 東京や神奈川の非常時代宣言の幕引きの試行錯誤が始まりました。いったん始めたものをやめるのには大義名分が必要です。それをいろいろな言い方で説明するのが政治家の役割のようです。

 ある人はまだ安全が確保できていないのに警戒を解除するのは時期尚早だと言います。またある人はこのままだと生活が死んでしまう。幾分かの犠牲は仕方がないからとにかく再開すべきだといいます。私もどちらか決めかねているのですがどちらかといえば後者の方に傾いています。ただウイルスの第2波が犠牲者を出すとしたらその責任はとてもとれません。だから動けなくなっているのです。

 私は再起動には勇気が要りますがやるべきだとやはり考えています。いろいろな対策をし、制約を設けるのは仕方ないとしてとにかく始められることはやるしかない。そういう段階に来ていると思うのです。

会うこと

学校をどのように再開するのか対応に迫られています。分散登校が一つの選択肢ですが、それならば工夫が必要です。

 学校を再開することは教育を止めないためには不可欠です。社会的距離の確保が目標となり、各種産業活動が停止している中で、子どもを動かすことがそれに反する行動になることも必至です。このバランスをとらなくてはならない。

 分散登校で教育的効果がどれほど確保できるのかはきわめて怪しい。大切なのは孤立している生徒諸君に仲間の存在、社会の存在を意識させることでしょう。ならば目的は非接触でも仲間を意識させる時間を確保することです。

感染予防のために隔離することは大事ですがそれだけではなく、心の距離を縮める工夫も大切なのです。

官製マスク

 学校にも生徒向けにマスクが配布されることになりました。すでに受け取った方もいるのかもしれません。

 文科省の管轄で生徒向けに配布されている布製マスクはいまさら不要という声が多数あります。すでに一部の量販店ではマスクの在庫があり、価格も落ち着いてきています。国税を使ってマスクを配布する意味については別の説明が必要になっています。

私は非常時に指導者がいかに振る舞うべきなのかを考えたり、国家レベルで行う事業の進捗の困難を見直す教材としてこの機会を利用したいと考えています。指導者は先を見通す力が必要になります。今回は混乱している状況の中から、次に必要なのは何かを考えていく能力が問われました。大切なのは時々の評価ではなく、最終的にどれだけの人が利益を受けるのかということでした。

 君ならどうしたか。それを問いかける材料としてこのマスクはかなり説得力のある材料になります。

投げ銭

 ネット配信したパフォーマンスに対して少額の料金を自由に払える投げ銭システムを、Jリーグでも採用することになるそうです。

 ナイスプレイに対して視聴者が金銭的な評価をするのはプロスポーツの世界では理にかなっているように感じます。いろいろと解決しなくてはならない問題はありそうですが、基本的には面白い試みでしょう。最低価格が500円というのがやや難で、50円くらいからに設定した方が収益は増えそうです。

 子どもたちへの金銭教育をどうするのか。チームや選手への配当の透明性など説明責任も伴います。克服できればマイナースポーツや演劇やその他のステージなどでも採用できるところはやってみてもよいのではないでしょうか。関係者にはシステム利用料などを開示してほしい。

こういうときだからこそ新しいことへの挑戦も必要になります。

図鑑

 私が子供のころに何から知識を得ていたのかを考えてみると図鑑ではないかと思うのです。そしてこのインターネットの時代にも図鑑は結構大切な情報源なのではないかと考えます。

 私が親に感謝することの一つは小学生のころに図鑑を買い与えてくれたことです。小学館の子ども用図鑑はジャンル別に分かれていて、特によく読んだのが「昆虫」「魚類」「植物」「動物」そして「気象」「地球」でした。いまから思えば写真よりも絵が中心であり、説明も大雑把なものが多かったのかもしれません。でも小学生には十分で、私は何度も読み返しました。恐らく一生の中でもっとも読み直したのはこれらの図鑑だったかもしれません。

 いまでも図鑑をみるとあの頃のことがよみがえります。最近の図鑑は同じカラーでも発色がよく、写真も多いためにかつてのものよりもはるかに本物に近い映像が掲載されています。インターネットで検索すればたいていのものは見つかるし、中には動画さえ見られる。でも、やはり手軽さと思いついたときにすぐみられること、周囲のページとの連動性などは紙の図鑑ならではの特徴です。

 いま学校に行けない子供が増えていますが、何もないならば図鑑を与えることを勧めます。興味をもしもてば、科学のみならずすべての好奇心の扉を開くことにつながります。そのための投資ならばやすい。インターネット端末よりもずっと効果的です。

買い出し

 食料品の買い出しをしました。大きなショッピングモールの中にあるスーパーがそこだけ開いています。

 家でできるものをもう何巡のやってしまった我が家としては、早く再開してほしいと切望するばかりです。

 雲が青空に映えていました。

雨降り

 今日は朝から雨です。そのせいもあって気温が上がらず、昨日との差が激しく感じられます。

 台風1号が南海上で発生しているようです。直接の被害はなさそうですが、そのために大気が大きく影響を受けていることは確かです。この時世ですので天災は避けたい。祈るばかりです。