投稿者: Mitsuhiro

家でアート

 グーグルのサービスの中でもっともいいと思うのはアート・アンド・カルチャーのサービスだ。スマホのアプリにはAR(拡張現実)で美術作品がカメラのファインダーにほぼ実物大で現れるというサービスがある。これがなかなか面白い。自分の部屋が展示室になるのだ。これは面白いのでお勧めしたい。

散歩

 近隣を散歩すると新たな発見がたくさんある。いつもは歩いていない道にあえて踏み込むとさまざまな気づきが生まれる。

 私の住んでいる所は県境や市境が複雑に入り組んでいるので、少し歩けば他県に行ける。また、さらに歩けばほかの市にも行ける場所だ。県や市が変わったからといって何があるというわけではないが、それだけで何か一種の旅人になったような気になれる。

 車で通りすぎると気づかないことがたくさんある。道の起伏に関しては車ではほとんど分からない。結構な坂道だったり、実は緩やかな下りであったりする。歩いてみて分かる。地形はその場に立ってみないと分からない。

 神社や仏閣、それに小祠の類を見つけるのも散歩の楽しさの一つである。しかも、それに拝礼していく人を見つけると、日本人は無宗教だという指摘が当たらないことを確認できる。一神教的な尺度では宗教心は測れない。そしてそれらのパワースポットが残されているがゆえに保たれている小さな未開発地帯がある。自然ではなく、聖地として整え続けられてきた場所というのが正しいのだろう。

 散歩の楽しみはいろいろある。どうしてこれを続けないのだろう。この面白さを覚えていられていられないのはなぜか。日常生活がすぐに塗りつぶしてしまう楽しみを時々思い出したい。

異次元

 首相の年頭所感表明に異次元という言葉が何度か使われた。この言葉は日銀総裁の金融緩和策に関して使われてきたのであまり印象がよくない。無理やりやって効果はあまりないという先入観ができている。首相の言いたいことはもちろんこの意味ではなかろう。ただ単なる誇張表現ならば無意味だ。

 次元という考えはそれを特定するための座標軸との関係で語られる。私たちの生活する世界は縦と横と高さの3次元でできていると言われる。よく聞く2次元とはそこから高さが失われた世界であり平面的なものである。漫画の登場人物を2次元の人物というが、実際には紙にもインクにも厚みがあり、本当は3次元だ。

 異次元という言葉には異世界と同義で使われる例もある。同じ3次元でも全く状況が異なる平行世界である。そのもどきをメタバースで実現しようとしている。これは先の異次元とは大分趣きが違う。現実逃避の意味合いも内包するのがこの意味の異次元だ。

 首相が仰りたかったのはそのどちらでもない。いままでとはまったく別の価値観、思考法で考えるということだろう。言うことは容易いが果たしてそんなにうまい話はあるのだろうか。少子化対策と言いつつ、結局は補助金をばら撒くだけならまったく同次元だ。具体的に何をして、それにどのような実効性が期待できるのかをリーダーは示さなくてならない。

 現代の日本人は陳腐な誇張表現に慣れて鈍感になっている。どうせ口先だけだろうとも思う。口説の人が横溢する中で本当の手応えを求めている。内閣の人事のゴタゴタを解決して真のリーダーシップを示してほしい。増税の可能性を表明した度胸は認める。やるべきことをやっていただければ評価する国民は多いはずだ。選挙前の人気取りならばいらない。

惑星

 このところ夜空を見ると月の他に火星、木星が輝いている。すぐに沈んでしまうが土星も見える。夕刻には金星、そして私の住まいの近くでは無理だが低く水星も出ているらしい。冬の恒星は明るいものが多く、随分賑やかだ。しばし凍えるのを忘れて仰ぎ見てしまった。

セールスポイント

 採用試験の際に人格をみようとするのが日本のあり方だと思う。学歴フィルターである程度判断し、細かい能力は問わない。人柄をみようとする。この方法は今後は減っていくのかもしれない。

 ジョブ型の雇用にとって、協調性や親和性は重要ではない。仕事ができるかどうかが問われ、結果が出なければ解雇される。こういう社会を識者は推奨しているように思う。かなり極論したが要はそういうことだろう。

 企業が家族のような存在だと言われた時代が終わり、スポーツチームのように流動性の高い組織になる。会社に適した人は高い報酬が受けられる。存在感を示さないと地位を保てないのだ。

 そういう労働観に徐々に転換することをこれからの若い人たちは覚悟したほうがいい。この場合、必要なのは個人で生き抜く力だ。スキルはあったほうがいい。そのために学ぶことは止められない。

 それに加えて自己を売り込む表現力も必要だ。ただ資格を持っているだけなら、代替の人材はいくらでもいるということになるはずだ。大切なのは自分の可能性をある種のストーリーで説明できる能力なのだろう。セールスポイントはこれとこれとこれでそれらを結びつけるとこんなことができるといったように。

 そこで手前味噌になるがやはり国語の能力は欠かせない。STEAMばかり強調されているが大前提の表現力がなくては何もできまい。学生諸君には時流に乗って上辺でものをいう「知識人」に惑わされないようにしていただきたい。

北千住

 北千住は幼年期に過ごした町だ。ほとんど記憶の限界にある。信憑性は怪しいが、三輪の自動車が走り蕎麦屋が驚くほど積み上げた桶を自転車で配達していた。たびたびあった縁日での調子のいい口上に合わせて、風船売が衆目を集めていた。

 家の目の前にあった大きなお屋敷が実は高名な作曲家のものであったこと。どういうわけかその中に上がり込んでお茶か何かをいただいたこと。その家の犬に噛まれたこと。隣の同級生がやけにいいやつだったこと。ありとあらゆる流行病にかかったこと。ローラースケートでころんで脱臼したこと。どこかの病院のドアに指を挟んで泣いたこと。床屋に入ろうとしたら大きな猫がいて入れなかったこと。近くの川が汚染されていて泡だらけだったことなど断片的に思い出す。このうちいくつかもしくは全部は後世誇張されているものかもしれない。記憶は怪しい。

 北千住はいまは通過駅だ。今はどうなっているのだろう。私の過ごした時代のような未完成で清濁併せ呑むような街ではなさそうだ。北千住が理想の町と考える若者はいるはずだ。私も方向性は全く違うが暮らしたい町である。

ブレインフォグ

 ブレインフォグなる用語をこれまで聞いたことがなかった。脳の霧といえは詩的な表現だが、実態はなまやさしくない。要するに脳の障害なのだ。

 この言葉が注目されているのはコロナウイルス罹患後の後遺症とされているからである。症状としては集中できない。呆然としてしまうということらしい。アメリカでは罹患者の2割程度がこの症状を訴えているらしい。

 実は私も昨年陽性判定を受けた者である。脳の霧はどうかといえば、罹患の随分前から五里霧中であった。霧というより靄とでもいうもので、きつめのフィルターで視界が遮られている。それが私の日常であり、コロナウイルスとは無関係だ。

 私の場合は何というかある種の覚悟ができた。どんなに慎ましく過ごしていても罹るときは罹る。ならば恐れずにやりたいことを優先すべきではないかと。破れかぶれだか、いまを生きる知恵ではある。

 ブレインフォグに怯んではならない。視界不良なら新しい何かに出会う機会も増える。絶好の機会ではないか。そう考えることで何かが変わる。

 やはりコロナにおかされたのかもしれない。

休みの収穫

 短い冬休みだったがこの期間に解決したことがいくつかある。それは少し考えればよかったことばかりだ。日常生活に追われると見逃してしまうことがたくさんあることを痛感している。

 どうしても解決できなかったスマホアプリの使用上の問題点が解決できた。よく探すと解決法が書いてあった。同じような行き詰まりを感じている人は少なくないはずだ。もう少し分かりやすく示してほしい。多忙を極めるとヘルプ記事を探すことも難しくなる。

 長らく使えなかった機械の復活ができた。ちょっとした作業で直せたのだ。これもネットで取扱説明書を探し、(本物は行方不明)読み直すことで解決したのだ。結果的にはそれだけなのだがこれも仕事に追われるとできなかった。

 何冊かの本を読んだ。私の場合、一つに集中することが難しい性格にあると自覚している。何か別のことを持ちかけられると、思考が中断してそれ以上進めなくなる。休みはマイペースなので本が読めた。特に近隣の図書館はいい。不要な音楽すらない。

 散歩も少しできた。2つ先の駅までの散歩だ。都会の電車なので2つ先と言っても大した距離ではない。かつてならジョギングで片道程度の距離だが歩くのもいい。町の様子をいろいろ知ることができた。

 いいことばかりではなかったが休息とちょっとした充電ができたことはよしとしよう。この余裕を明日からも保てるのか。ひょっとしたらそれがこれからの成功の鍵なのかもしれない。

アナログスマートウォッチ

 私が使っているスマートウオッチはAppleでもGoogleでもない。CITIZEN時計なのだ。しかも充電の必要がないソーラー式だ。Eco-Drive Riiverという変な名前だ。

 この時計はいわゆるスマートウォッチの部類に入るが、アップルウォッチのように多機能ではない。できるのはスマートフォンと連携して秒単位の時計合わせや、位置情報の記録、万歩計、さらには自分で作ったプログラムを3種登録できる。

 2019年ごろに発売され、当時は話題になったが今はほとんど顧みられない。それはスマートという割にはできることが限られているからだ。今のスマートウォッチがほぼカバーしているバイタル情報の記録や、決済機能などはない。メール着信をリアルタイムで知らせる機能もない。その意味ではあまりスマートではない。

 ただ、すべての情報を3つの針と補助針の4つで済ませようとするアナログ感や短針と言いながら、長針と同じ長さであるという不思議さや、機能ボタンを押すと一斉に4つの針が動き出す機械としての動きなどが面白い。おそらく多くの人には使いにくさしか感じられないだろう。私のようなアナログ人間にはこの一生懸命針が動く姿が面白く愛おしく感じるのだ。

 何よりもいいのはエコドライブで充電が要らないことだろう。これはかなり助かる。一方でスマートフォンと連携するとBluetoothで常時接続することになり、スマホの方で結構電池消耗がある。といっても私のスマホの場合は一日一回の充電で乗り切れる。もともと毎日、充電しているので特に困ってはいない。

 このスマートウォッチの設計がいかにも日本的なのが気に入っている。一生懸命デジタルの技術を追求しましたが、結局表現はアナログですという中途半端さも魅力だ。まだ売っているのだろうか。私はお勧めしたい。ただし機械好きの人でないと喜ばないかもしれない。

賞味期限間近

 近隣の書店の一角に食料などを売るコーナーができた。賞味期限が近い商品を売ることで、食品ロスを減らす活動だという。見ると、お菓子やお茶、インスタント食品などが並んでいる。賞味期限を確かめると1~3か月後というものがあったが多くは6か月くらいはあるものだった。それらが数割引きで売られている。

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 賞味期限ということにこだわる人は一日でも過ぎたら食べられないように考える。私のような大雑把な人は数か月過ぎても大丈夫だと思って現に食べてしまう。それで食中毒になったことは一度もない。

 そもそも賞味期限とは何か。農林水産省のサイトには「袋や容器を開けないままで、書かれた保存方法を守って保存していた場合に、この「年月日」まで、「品質が変わらずにおいしく食べられる期限」のこと。」と説明されている。同じページには消費期限という分類もあり、「袋や容器を開けないままで、書かれた保存方法を守って保存していた場合に、この「年月日」まで、「安全に食べられる期限」のこと。」とあり、こちらの方は安全性が言及されている。つまり賞味期限はメーカーが味に対して責任を取る起源であり、食べられるか否かの基準ではないことになる。しかし、味の保証をしないものをメーカーや小売店が扱うことはできないため、消費期限は通常は表記されず、賞味期限が近付けば店頭から取り除かれる。

 中には賞味期限切れをセールスポイントとして商品を売る店舗もある。格安の値段で売られる商品はフードロスを大義名分とし、メーカーからは在庫処分の方法として、消費者からは割り切って安価で求めることができる手段として商売が成り立っているそうである。ネットで同じようなことをするサイトもある。

訳あり品をお得にお買い物「junijuni」

 こうした試みはいろいろなことを変えていく突破口になりそうだ。もったいない文化を世界に発信しながら、食品廃棄率の高い矛盾を解消するためにもこうした方法に注目していきたい。使えるものは使うことは日本人の伝統的な思考方法に通底するから普及するのは容易なはずだ。