今日は僅かに気温が下がるようだ。それでも真夏日にはなるようだが、これまでの猛烈な暑さを経験した後なら十分に涼感がある。避暑地に来たかのように感じてしまう。
このように暑さが和らぐとかえって疲れを感じる。これまでの疲労がようやく表面化したのだろう。猛暑のなかで耐えてきたときには感じられなかった疲れである。
こういう日は何事も短期決戦のつもりで取り組もう。疲労感を感じる前に終わらせてしまえるようにしなくてはなるまい。
日々の思いを言葉にして
投稿者: Mitsuhiro
夏休みの宿題には色々な思い出があるが、残念ながら細かいことは忘れてしまった。計画的にやればいいものを結局8月の終わりにまとめてやることになって焦り、家族にも叱られたことしか覚えていない。
宿題は実は何でもいいのだが、形にして残すことが大切だと考える。できれば自ら課題を見つけ、それに対して何らかの考察をし、一定の結論を得ることが夏の宿題にとっては大切だと思う。私は一時期自分が調べたことをもとに自説をまとめることを仕事にしていたので、夏はそれを行う大切な時期だった。最近はそれをすっかり忘れて与えられた仕事をこなすことばかりしている。そこで今夏は自分に宿題を課すことにした。
まずは自分と同じような仕事をしている人に向けて自分の経験をもとにした助言をまとめてみようと考えている。役に立つかどうかは今考えずにおこう。それが今の自分を見直すことにもつながるかもしれない。それをかならず、文章にまとめることを宿題にしたい。宿題だから期限があり、完成度が低くても提出しなくてはならない。それを8月末日としてみよう。
宿題をやらなくてはならないと思うと気が重いが、同時に若い頃の焦燥や達成感が戻ってくると思えば楽しみな感じもする。
現在の日本が必要としているのは自動運転車であることに間違いはない。高齢者の引き起こす悲惨な事故は運動機能の低下がもたらしている。運転は無理になる年齢が来てしまうのは残念ながら不可避である。
ならば車に自動運転してもらうしかない。その技術はすでに実用化されつつある。日本は規制が厳密なので公道での自動運転は実現化しにくい。しかし、そうは言っていられなくなっている。各国が自動運転車両の開発に力を入れており、このままでは日本の技術が遅れをとり、外国が規定したモノサシに従わざるを得なくなる。
自動運転車が山村を走るようになったとき、地方の風景は少し変わるかもしれない。運転者はいないがとても安全なバスが街まで連れて行ってくれる。買い物も病院も思うがままだとなれば、どうして都会に住む必要があるだろうか?
やはり日本が求めているのは自動運転車だということになる。
よく仕事ができる人は机がきれいだという人がいる。大体当たっているが間違っている。机の整頓状況と頭の良さは無関係だ。きれいならいいわけでもないし、整理など無用と言うのも間違っている。無関係なものを無理やり結びつけるから混乱する。
ここでいう仕事を他者から与えられたことを言われたままにこなすものだとしたら、やはり整理はしたほうがいい。全ての自主性を放棄して職務に忠実に生きるためには余計なものは目の前から消すべきだ。それを整理と言うならば。
ただ、ゼロからものをつくる人は整理すると自分の可能性を捨てることになることに注意しなくてはならない。余計なものを抱えていることが新しい可能性を生み出すことにつながる。イノベーターといわれる人の仕事場が雑然としているのはこれに関係がある。
ただ、だから整理はすべきではないとは言えない。精神衛生上、もしくは周囲の人たちへの配慮の関係上、汚いのは止したほうがいい。言いたいのは整理することと生産性は無関係だということだ。エビデンスもなくやたらと整理という名の消費行動を勧める言説を読むたびに陰謀すら感じてしまう。
学習効率を上げるためにはやはり従来型の紙に書く方法が今のところは一番いいらしい。なんでもコンピューターに委ねられるほど人間の脳は進化していないのだ。

そこで私は原稿用紙を持ち歩くことにした。百均の原稿用紙とそれをいれるケースを鞄に入れて歩けばいいことに気づいたのである。ペンは本当は万年筆で書きたいが外出先ではサインペンでいい。筆圧をかけずにかけば万年筆のようにも書ける。
このブログで書いているような雑記的なものを原稿用紙にも書き始めている。この方は推敲して後日何らかの形で公開したい。手書きのほうが慎重に書くので少々内容も異なる。
ペンで書くこということは意外にも大切だと再認識した。思えば人生の半ば辺りからキーボードに筆記行為を委ねてきた。あるときには不可逆な流れとも思ったが、いまは手書き文字でも簡単にデジタル化できる時代になった。いろいろ考えると自分の能力では手書き文字を書くほうが効率も上がるようだ。
気がつけばWordPressのサービスの中にAIのアシスタント機能がついていた。簡単な指示でブロクを書いてくれる。これは便利で危険な機能だ。うっかり使うのに慣れてしまったら、せっかくの私の楽しみの一つが機械に奪われるかもしれないからだ。IのブログなのかAIのブログなのかの分かれ目はいまここにある問題なのだ。
近々の公園を散歩していたら、茄子のような紫色の花と葉をもった植物が群生しているのを見つけた。よく見ると白い花もある。花自体はそれなりに美しい。実はかなり前からこの植物のことが気になっていた。どうして茄子がこんなにもたくさん植えてあるのだろうかと。こぼれ咲きにしては多すぎる。
そこで例のGoogleレンズで検索をかけたところこれがワルナスビということを知った。北米原産の外来種で全国各地に分布しているのだという。ワルナスビは悪茄子という意味である。その悪とはこの植物に含まれる毒性のことを意味している。葉も実も食用にならないどころか中毒死の可能性すらあるという。ジャガイモの芽にも含まれるソラニンという物質がそれを引き起こすらしい。プチトマトにも似た実をつけるが口にしてはならない。
さらに悪であることに、ナス科の植物であるためこれがはびこると本当のナスやジャガイモなどに連作障害をもたらすという。またニジュウヤホシテントウなどの害虫を呼び寄せることも問題になる。この意味でも食えない植物なのだ。4、5年前から私はこの植物を認知してたものの、実はもっと昔からあった。1906年に牧野富太郎が発見して命名していたという。20世紀の終わりごろには問題化されており、すでに積年の悩みであったということになる。鍬や耕運機ですきこんでも分断した根からまた発芽するというたくましさもこの植物の厄介なところだ。農薬なども効きにくく、根まで影響力のある除草剤をまく必要があるそうだ。
身近な雑草にもさまさざまな物語があり、それがまたいろいろな影響を他に及ぼしている。ワルナスビの名を知ってしまった以上、この花を見かけると気になって仕方がないことになる。
町田にプロのサッカークラブを作ろうという機運が高まり、JFLに昇格したあたりから私は時々観戦に出かけたことがある。今は立派になった町田市立陸上競技場の客席の大半は傾斜した芝生席だったし、鉄道駅からのアクセスが悪いからプロチームは無理だと言われていたことを思い出す。今年はJ2リーグでの首位を独走しており、先日の天皇杯予選ではJ1首位の横浜・F・マリノスに圧勝した。相手はベストメンバーではないにしてもJ1の優勝争いをするチームに勝つまでの実力があることが証明されたのだ。
私が観戦したころはJFLの3~6位くらいを行ったり来たりしていた。相手は実業団チームであったが、TDKや松本山雅などのちにJリーグに昇格したチームもいた。観客はいつも1000~2000程度でそのなかにもかなりの招待席があった可能性がある。熱心な応援団がガラガラの観客席にチャントを繰り返していた。選手たちのかける声もよく聞こえたし、試合後に観客席に挨拶に来ると、観客席の少年から「コーチ」の声が多数かかった。少年チームの指導員の仕事を掛け持ちしていたのだろう。町田は少年サッカーが盛んな土地柄で、当時Jリーグで活躍する選手の出身地は静岡の街に肩を並べるくらい多かった。その後、J2に上がり、再びJFLに陥落し、そして再昇格した。
チームが強くなったのにはいろいろな要因がある。サイバーエージェントがスポンサーになったこともその一つかもしれない。人気が出るとあたかも昔からプロサッカーチームがあったかのように思う人が増えてくる。「パスを回せ」「こっちだー」と大声でボールを要求していた選手は今は都議会議員になっている。あの頃は人を集めるのだけで一苦労だったのに。
私がなんとなく大切にしているものの一つにJFL時代のチケットの半券がある。すでにプロ化の進みつつあったもので、サポータークラブに入っていたのでそのおまけとしてもらったものだ。2010年8月1日の試合で、ガイナーレ鳥取と対戦して0-1で敗れている。記録をみると7081人の集客があったようだ。私はソニー仙台やホンダロックといった実業団チームとの試合の方が実は印象に残っている。千何百人のうちの一人になれたことを嬉しく思ったものだ。